なぜ止めるのが難しくなるのか? | クスリに頼らない自遊人

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東大法卒のアル中です。ベンゾジアゼピンを断薬して6年が過ぎました。東大野球部応援とグルメ情報、映画レヴューとメンヘラネタが中心です。
コメントには塩対応なので悪しからず御了承下さい。

お酒でも、ベンゾみたいな薬物でも、あるいはギャンブルなんかの行為でも、

およそ「依存」
それも病的依存と言われるモノやこと

何で悪いとわかってることが止められないんでしょうか?

理由は沢山ありますし
人にもよるとは思いますが

共通しているのは以下だと思っています。

第一に、
それが習慣化してしまっていること。

習慣の力って、善きにつけ悪しきにつけものすごく強力です。
素面でマトモな体調でも、変えるにはすごいエネルギーが要りますし、変えると何かと具合が悪くなります。

ましてそれが麻薬なら、
酒やベンゾ飲んで寝るのが長年の習慣になっていれば、それだけで止めるのはかなり難しくなります。

飲んでいない。
そう意識するだけで何もできなくなります。

会社帰りにパチスロ打つのが習慣になってれば、仮に午前中は「会社終わったら映画行こう、デートしよう、美味しいもの食べよう」
色々ウキウキと計画していてもまず絶対そうなりません。 

その時間になると確実に、当然の様にスロ打ちに行ってます。

人の習慣とはそんなものです。

二番目が、主観的な要素ですが、

止めることに長く苦労し、苦しみ続けているうちに

止められることが信じられなくなるからでしょう。

止めても自分の人生が良くなるとは考えられなくなってしまう。

止めても幸せになれる気がしなくなってしまう。

余りに長く苦しめられているうちに。

仕事無くしてる人なら
仕事ができる様になる気がしない。

楽しみを無くした人なら
何かを楽しめるようになる気がしない。

人との関わりを無くした人は
再び人と楽しく交流できるようになる気がしない。

全くしないんですよね…  
「それ」が無い生活が幸せだというイメージが湧かない、想像できない。

ズブズブに嵌まっていると、自信というものが知らないうちに、根こそぎ奪い取られてしまっている。

「止めてなんかいいことがあるの?」

そう思ってしまう。
これが「依存」のコワいところだと思います。

言い換えれば

私は止められる
止めて幸せな人生を取り戻せる

そういう「自信」を奪ってしまうのが「依存」だと思います。

どーせ止めても良いことなんかない

なら苦しむのはアホらしく理不尽だ。

これではとてもとても、離脱の苦しさを乗り越えてやろうなんて思える筈がありません。

だってどうせ止めても苦しいままなんだから…
割にあわない。

言い訳の病気と言われる「依存」でも、最大の、
そしてある意味正当な言い訳がこれでしょう

「何のために止めなきゃなんないの?」
だってどうせ不幸なのに…

だったら
何年も苦しむのなら

今とりあえずこの苦しい離脱症状を誤魔化すことができれば、

今晩眠ることができれば 

今この時間さえ凌げれば

先のことなんかどうでもいい

どうせ止めたって良いことなんかないんだから。

そういう風に思考が歪められてしまう。


そんな具合になってしまっているのは「そいつ」のせい
続けているせい

いや
そんな具合いにそいつに「続けさせれている」のだ、と

そのことに自分で気がつき、認めるのが離脱への第一歩だと思うのですが

なかなか渦中にあると難しいものです。

人に言われてもわかりにくいし、受け入れ難いんです、

そこまで自分が「何か」コントロールされてしまっていることって。