(訂正)はじめにベンゾありき | クスリに頼らない自遊人

クスリに頼らない自遊人

東大法卒のアル中です。ベンゾジアゼピンを断薬して6年が過ぎました。東大野球部応援とグルメ情報、映画レヴューとメンヘラネタが中心です。
コメントには塩対応なので悪しからず御了承下さい。

*明日15日のズームミーティングです。

ミーティングID: 656 079 9148

パスコード: bMFR53

日時
8月15日(土)20時~

参加
どなたでも

テーマ
1回目
あなたは考え過ぎますか?過敏になりやすいですか?人と比べちゃいますか?

2回目(お盆ですから)
亡き人はどんな人でしたか

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
まもなく5年になります、
最後のベンゾ止めて、すべての向精神薬から離脱して。

クスリを止める、離脱するってどういう事なんだろう?

クスリを止めることが目的でありゴールでした。

クスリを止めるために必死になって、毎日クスリを飲んでいた間は。

悪いのはクスリだから、クスリでおかしくなったのだから止めさえすれば解決すると思っていました。

止めてからは離脱症状が無くなることが薬物からの離脱でした。

他の事が考えられない。
クスリを変えたり、飲み方を変えたり、他の人の飲み方を調べることに熱中していたわけですが、

思えば離脱症状とか減薬とか断薬とかしか考えられなくなっていました。

肝心の止めてどうする何をするが全くない、

心身共に特に心が完全にクスリに支配されていたのがよく解ります。

自分の心身に起こるすべてのことが、クスリやクスリの飲み方との関連性の中でしか捉えられない。

実に異常な心理状況だったと思います。

今だって、いわゆる離脱症状っぽいものには時々襲われます。

2-3日不眠になったり
得体の知れない不安や
焦燥感に襲われたり

身体の痛みや強張りがキツくなったりはしょっちゅうだし、

気候にも振り回されます。

それは、もしかしたら断薬5年してもまだ残る離脱症状なのかも知れませんが、
どうでもよくなってます。

どうせ飲まないんだから考えても仕方ないことだし、実際クスリのクの字も思い出しません。

考えてもムダだと解っていることに囚われて、不合理な行動が強迫的に止められなくなってしまうのが病的依存と呼ばれます。

飲んでいた頃、あるいは離脱後数年間と比べて自分の何が変わったのか? といえば、この点です。

「それ」を一切「クスリ」と関連付けて考えなくなったこと。

不調の原因はクスリを飲んでいないことではなく、クスリの種類が違う事でもなく
・・或いはそうなのかも知れませんが

ほとんどの場合、自分の生活環境や生活習慣の中に不調の原因も解決手段も見つけられる。

それを毎日振り返るし
億劫がらずに簡単に自分の行動の方を修正できます。

クスリでも治まったものですが、いやクスリを飲むことでしか解決できなかった、

いや、解決してこなかったことが当然のこととしてクスリを使わずに片付けられます。

運動や入浴、考え方の切り替え、ミーティングに出ること、食事や仕事のシフト、職種の見直し、関わる人の見直しなどなど。

引出しにはMy処方箋が沢山あり
どれにしようかな? と

クスリ以外で解決する方法を
知っていて、それを選択するのが習慣化しているから苦痛じゃなくなっていて、寧ろ楽しめる様になっていることだと思います。

服薬している間は絶対にそうならなかった。

例えどんなに僅かな量であっても順番が逆でした。

はじめにクスリありき
はじめにベンゾありき

クスリの種類や飲み方ありき

飲み方が間違ってるんじゃないか? 
変えたほうがいいんじゃないか?
戻した方がいいんじゃないか?

囚われているのは、
変えるのはあくまでもクスリの方で、自分の方じゃない。

自分の生活の方を見直したり変えるのは億劫で、かつ怖くて仕方なかったから

クスリをいじる

怖いから、億劫だからその行動を変えない

これも典型的な依存の症状です。

自覚がないまま、そうなってしまうのがまさにクスリの魔力、麻薬たる所以なんだと思います。

減薬や断薬を止めること

行動と思考のすべてがクスリから自由になること

これが薬物からの離脱、
クスリに頼らないで生きることだと思っています。

時間は掛かりましたし、後遺症も残りますが、今はようやくクスリから離脱した、自由になったと実感できています。

みなさんは今、
はじめに何ありき
ですか?

 

 

今日の現代文の授業はラプラスの悪魔がテーマです。