のぶです
ベンゾジアゼピンから離脱して4年になります。
こないだ豚足を食べてその食感で離脱症状を思い出しました。
減薬はじめた頃でしたか、
何を噛んでもゴムを噛んいでる様な異様な感覚がして、何も美味しくも無かったですね。
石鹸や化学臭に過敏になったり
モノを触った感触がヘンだったり
チクチク痛かったり
音がうるさかったり
五感の異常は典型的なベンゾの離脱症状です。
気味が悪く不快でしたが、離脱だと解っていたし幸いこれは長引きませんでした。
命に別条あるものでものでもないので特に怖くもなかったです。
減薬は2年弱の長丁場になりましたが、そのほとんどはジアゼパム換算5mgを切ってからでした。
僅かな量に左右されて遅々として進まず、何度も心が折れました。
離脱症状自体は短期で一過性だと信じてましたし(結局そうで無いのも沢山ありましたけど💦)、回復の証として必然的に出るものだと考えていたので、苦痛ではあっても耐えられたんですが、
何をやっても回復しない認知や感情の問題には絶望的になりました
こっちが前に進むのを妨げていました。
どうせ離脱しても
いいことなんか無い
と
クスリにやられたアタマは悲観的にしか考えられないみたいです。
なので減薬のモチベーションを維持するのが本当に大変でした。
その分ズルズル引き摺って長引いてしまッたのかも知れません。
いつ終わるともしれない苦痛に
目的や希望無しでは
到底耐えられません
クスリと縁切りしてから
やることやりたいこと
目的がハッキリしていれば、もっとスンナリ離脱できていたんだと思います。
何時までに、何のために?
クスリから離脱するのか?
離脱して
心身の健康を取り戻して
社会復帰するとか「マトモな生活」を取り戻すためですよね?
具体的には人それぞれでしょうけど
なにせ私には戻るべき場所、受け入れてくれる場所はありませんでした。
休職中で戻る職場があるとかなら少しは違ったのかもしれませんが…
仮に離脱したところでこの壊れたアタマが戻るとも働ける気も全くしませんでしたし、
正直やる気も起きませんでしでした
すべてが億劫でした。
長い減薬に疲弊してどうでも良くなってしまってました。
そんな中、決して多くはありませんでしたが茶話会や減薬サポート情報会議でお会いできた、離脱して回復し社会復帰されている方々の姿や体験談
回復の物語には随分勇気づけられました。
自分も何時かこうなれるかもしれない
自分もいつかこうなりたい
そして離脱と回復の体験を伝えたい
離脱に目標と希望が与えられました
これが無ければ長丁場を耐えいうことはできなかったと思います。
それすら3年4年と燻り続けてしまえば今頃どうなっていたか解りません。
目標を持つこと
希望を持つこと
回復を信じること
その生き証人の姿に触れること
クスリに頼らないで生きるために
一番効いたクスリだったと思います。
【10月のMDAA開催予定】
MDAA東京(東戸塚)
会場: 東戸塚地域ケアプラザ
MDAA大阪
会場:高槻マリア・インマクラダ幼稚園
大阪府高槻市野見町2-15
土曜日は休園日にあたりますので教会の入口から入ってください