9,000回の選択 | クスリに頼らない自遊人

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東大法卒のアル中です。ベンゾジアゼピンを断薬して6年が過ぎました。東大野球部応援とグルメ情報、映画レヴューとメンヘラネタが中心です。
コメントには塩対応なので悪しからず御了承下さい。

「人は一日9,000回の選択をしている」(映画「フォルトゥナの瞳」)

ある研究では30,000回だとか。

例によって早朝覚醒、寝不足、激うつで始まった今日一日の
自分のした選択を振り返ってみる。

朝シャワーでは無く風呂を
シャツはビンクを
◯◯はブ◯ー◯を

朝はロースターでベーコンエッグサンドとアイスコーヒーを
午前の講義のつかみの小ネタを
レッスンのテーマを
自販機でWilkinsonの強炭酸水を

昼は末廣の醤油ラーメンを
スイーツは栗どら焼きを
行きは各停、帰りは急行を 

ミーティングのテーマは「夏」
と「医師とのコミュニケーション」を   

懇親会はカラオケを
コースは二時間ドリンクバー付きを

歌は郷ひろみとGrayとQueenを

最後は「ロマンスの神様」に譲ることを

夜ジムに行くことを 
晩飯は麻婆茄子を

そしてこのテーマで書くことを 

飲まないことを
…確かに結構選択している。

そして今日一日、平穏無事に過ごせたのは

そういう行動を選択をさせてもらえた結果だと思います。

一日部屋に籠もる選択も
日がな一日、誰かを恨み妬み裁き続けたりすることも

自己憐憫に酔っ払って過ごすのも

そうやって一日中不愉快に過ごす選択も
飲んでラリッてしまう選択も

もちろんできます。

そして飲み続けている間は
選択肢はほとんど無かった

選択をしているようで
飲み続けること、飲むことを考えることを選択させられていた

今の自分は間違いなく
これまでの自分の選択の結果であり
それ以上でも以下でもない

その日一日の自分の選択を振り返り

何故その選択をしたのか?
その選択の結果はどうだったのか?

チェックすることで
自分の選択のクセや囚われに気付き

明日の9,000のうち、一つの選択を変えることができるかも知れません。

アドラー曰く
人は死ぬ数日前まで変わり続けることができるそうですから。