依存症に治療法無しと言われるが
処方向精神薬依存の「治療」を引き受ける病院が無いわけでは無い。そこでの治療プログラムが適切か?は置いておいて(存在しえないものに適切も不適切も無いのだが)
建前として濫用者しか受け入れていない。
私は酒は在宅で何とか止めたが、
ベンゾはなかなか切れず、減薬で離脱症状が半端なかった頃に幾つかの病院に当たったら
「常用量依存、はぁ?」
てな対応、議論する元気も無かったし、アル中のクセにポン中とは一緒にされるのは冗談じゃないと思ってたから諦めた。
私の場合は
病院のハシゴも処方箋の濫用も闇入手もしていない、正規に処方された分しか飲んで無かった。
苦しくなればソラナックスを飲み、足りなくなれば眠剤を前借りし
眠剤が足りなければ寝酒で対応し
それでも足りなくなれば主治医に頼めば必要なだけ増やしてもらったから不正入手する必要がなかった。
ベンゾは増え続けてピークでは日に5剤12錠、ジアゼパム換算では50mg近くまで増え、あとは入院してメジャーか、と言う段階になってやっと自分の異常に気づいて減薬に舵を切った。
これ、濫用なんだろうか?
てか、濫用って何?
依存に量は関係ないから常用「量」と言う定義には何の意味もない。
入手手段に濫用はないし
濫用本来の意味である「目的外の使用」もしていない。
ベンゾ飲まないと何もできなくなってたし、ベンゾ飲む以外の解決を考えられなくなってたが
濫用はしていない。
別に好き好んで飲んでいた覚えはない、仕事に行くため眠るためにやむなく飲んだだけだから
嗜癖というのも全然お門違いだと思うが(酒も同じ。博打と◯◯◯は完全に嗜癖でしたけど)
依存かどうか、と言われれば身も心も100%ズブズブ依存だし
薬害か? と言えば
100%薬害で間違いない。
濫用、常用、依存、薬害
別にこれらは対立概念じゃないから矛盾はしていない。
濫用でも嗜癖でもないし
薬害被害者だが
依存に陥っている
実際に「常用依存」から脱出できた人の多くが、まだ飲んでいた頃の自分をこのように振り返るのもまた厳然たる事実です。
そして
ベンゾへの精神的な囚われが強くなったのは、むしろ激しい離脱症状を経てから。
「良くないクスリだ」との知識を得て、実際に体感し、止めたいと願うようになってからです。
それまで5%位だったアタマの中の「ベンゾジアゼピン」が70-80%位になってしまった。
これは離脱症状か?
減らし過ぎたのか?
次は何時どれだけなら飲んでもいいのか? イケナイのか?
自分は何時止められるのか?
一日中ネットで「ベンゾ」「離脱症状」「減薬」を検索しブログ漁りを始めて、365日減薬しかできなくなってから
でした。