階級闘争史観(マルクス史観)では
「国家」そのものも個人を支配弾圧搾取する「悪」であり、支配階級のための装置であって、そのうち役割を終え消滅するものとされている。
歴史以外の教科書にも「国」や「国家」は決して肯定的には書かれない。
世界は世界連邦なる理想に向かい、それが実現するまでの必要悪として登場する。
国際関係や国際紛争も、階級闘争の眼鏡を通して見る。
抑圧侵略される
可哀想な正義の小国
vs.
抑圧侵略する
悪の帝国
この善悪二元対決構造で国際関係や戦争を解釈しようととする。
例えば
【日露戦争】
アジアを蹂躙する悪の帝国ロシア
vs.
自存自衛のために勇敢に戦った
正義の小国日本
(ココまでは正しい)
この日本が、わずか30年もすると
昭和に入り突然発狂して中国を侵略した悪の帝国、日本
vs.
侵略された善なる弱き中国
となる
この中国も30年後には
【中越戦争】
ベトナムを侵略した中国が悪
された小国ベトナムが善
(ついでにいえば、国民党軍が台湾を強奪している)
【ベトナム戦争】
当然
悪の大帝国アメリカ
vs.
正義の小国ベトナム
そしてこのベトナムがその直後
【ベトナム-カンボジア戦争】
大国ベトナムが悪
侵攻されたカンボジアが善
小国は常に正義であり
「被支配的立場」から抵抗してし、
階級闘争戦争の勝者となった。
と描かれいる。
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自分自身、中学生位までこう信じていたが
もう、支離滅裂で笑うしかない。
国の本質なり体質はそんなにコロコロ変わらない。
戦争そのものは好ましからざるものであるのは言うまでも無いし、
国力を疲弊させ、国民に決して歓迎されない戦争をすき好んでやりたがる国も指導者も、史上ほとんどない、やはり最終手段なのた。
例外は定期的に在庫兵器の一掃と新兵器のデモンストレーションが国策として必要なアメリカ位。
当事国それぞれが各々の正義を掲げて戦ってきたのであり、そうでなければ時の国家は国民を死地に赴かせたり、戦時の不自由を強いる事はできない。
民主主義を採用する国では
選挙に負けてしまうから
正義の中身は
大義名分であったり
積年の恨みだったり
近隣国間は利害が対立するのは当然で、外交でラチがあかない場合に解決する手段として殴り合っていたのが戦争である。
戦争の対義語は
外交(話し合い)でああって、
平和ではないし
平和の対義語も
戦争では無くて
混乱とか無秩序である
残酷で悲惨な戦争はあっても、
正しい戦争も悪い戦争も無い
絶対的な悪の帝国もやはり
お伽話なのだ
因みに十字軍やコンキスタドール、アメリカ入植とインディアン討伐などは
戦争ですらない
征服と
異教徒大虐殺
そう呼ぶべきものである。