ある新聞のメルマガで、司馬遼太郎の著書「この国のかたち」を取り上げていたのを受けて、久しぶりに手に取ってみました。
司馬遼太郎の日本史についての考察は、「司馬史観」と呼ばれる独特の視点から描かれたものが多く、そのユニークな取り上げ方は昔から人気があります。
雑誌の巻頭随筆として10年間に渡り連載され、全部で100編以上のエッセーで構成されていますが、彼の考え方の土台となる視点は最初の3回分を読めば、ほとんど掴むことができる気がします。
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ー日本人は、いつも思想はそとからくるものだとおもっている。
という一文で始まる連載第1回は、このシリーズの特徴がよく現れた内容です。ここでいう「思想」とは普遍的なもの、仏教、儒教、キリスト教、イスラム教、共産主義などを指します。
ここで一気に7世紀の大和政権に話題が飛びます。それまでいろいろな部族が群雄割拠していたにも関わらず、なぜあっという間に統一できたのか?司馬は当時中国に隋という統一国家ができたため、そのいわば「外圧」による恐怖から民族がまとまったと考えます。
同じようなことは、明治維新にも見ることができて、廃藩置県を行なって一夜にして?統一国家ができてしまった。これも十九世紀に帝国主義の列強に侵略されるという恐怖の共有が明治政府を作るもとになった、と彼は書いています。
大和政権は中国の「律令格式」を導入して国家を治めたのですが、100%そのまま取り入れるのではなく、宦官や科挙の制度は取り入れることはせず、日本の実情に合うように修正したようです。
これは近年まで、日本の特徴というか得意なところですね。海外の技術を取り入れて、それを日本に合うように修正してモノにしてしまい、ついには本家を凌ぐようになる。ただし、ここ数十年はこのやり方がうまく行っていなくて、例えば四半期決算だとか、DXだとか、そのまま日本の旧制度に当てはめようとして却って混乱を招いているような気がします。
儒教や仏教にしても、国民全てが信奉するという「思想」にはならず、あくまで「学問」として、または国家統一の手段として、中国やインドとは違ったものとして取り入れられたと彼は書いています。
(鎌倉時代の浄土真宗など、民衆の中に分け入った仏教という例外もありますが)
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ここで、宋の時代に中国でうまれた宋学(のちの朱子学)に話が飛びます。
「尊王攘夷」という考え方が13世紀ごろの宋貿易を通じて輸入されますが、これもまた中国の考え方と違うかたちで日本の中で広まります。武士の政権である鎌倉幕府は京の公家から見たら攘夷になり、南北朝時代の後醍醐天皇の南朝も考え方は尊王攘夷になるわけです。
この考え方は江戸時代末期まで残り、明治政府の開国で消滅したかに見えて、昭和になってナショナリズムというかたちで蘇り、太平洋戦争の敗戦に至るという経緯になるというのが、司馬遼太郎の考察です。
こういう大きなスパンでの日本史の見方や考え方は、学校での歴史授業で取り上げられることはないので、そういう意味で「司馬史観」が新鮮で人気があるのでしょう。
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「司馬史観」でいう「近代」とは、日露戦争で勝利した1905年から、太平洋戦争で敗戦する1945年までのことを指すようです。
彼によると、日露戦争で勝つために海軍増強に向かった日本は、その結果(思いもせず?)勝ってしまったがために、その後「参謀本部」という独立機関を生み、「統帥権」という明治憲法からも超越した思想ができてしまったといいます。
これは当時の欧米の列強の「帝国主義」とは似て非なるもので、彼曰く「一人のヒトラーも出ずに、大勢でこんなばかな40年を持った国があるだろうか。」と嘆いています。
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司馬の歴史に対する考え方は、二十歳前後に太平洋戦争で戦地に赴き、やがて生き延びて敗戦の国土を彷徨い歩いたという原体験が根底にあると、彼自身が語っています。
あの狂気の40年は日本ではないと思い、本来の日本(及び日本人)の在り方を古代に遡って調べていくうちに、彼自身が抱いていた疑問とその答えをまとめたものが、彼の歴史小説や歴史に関する随筆のようです。
「坂の上の雲」をはじめ、彼の著作はいろいろ読んだことがあります。ところどころ、それはちょっと違うのではないか?と読みながら思うところもありますが、そういう見方もあるのか、と新しい気づきに触れる方が多いのも事実です。
また、どれか読み直してみようかと思った今日この頃です。
