「晴子情歌」 | 晴走雨読な日々〜Days of Run & Books〜

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晴れた日は山に登り街を走り、 雨の日は好きな音楽を聞きながら本を読む
そんな暮らしがいい!

私の好きな作家のひとり、髙村薫の小説を久しぶりに読んでみました。

 

彼女はサスペンス小説作家で、初期の代表作「リヴィエラを撃て」や直木賞を受賞した「マークスの山」などが有名ですね。

 

ところがそんな彼女も、1995年に起きた阪神淡路大震災を経験してから作風が変わってしまったという話を聞き、その直前に書かれた「レディ・ジョーカー」を最後にしばらく筆が止まってしまいました。

 

震災後の2002年に発表された「晴子情歌」は、それまでのようなサスペンンス小説ではなく、純文学作品という書評を目にして、ちょうど他の作家にハマッていたこともあり、読むことを長いこと躊躇っていました。

 

それから20年余り経って、最近ようやく手に取ってみようと読み始めたのです。

 

 

高村の書く小説の特徴として、その外見からは想像もつかない男性的な文章表現があります。本人の写真を見ていなければ男性作家と間違えてしまいそうな骨太で汗臭い文章が綴られます。

 

この「晴子情歌」は大正・昭和初期に生き抜いた一人の女性「晴子」とその息子である「彰之」の物語です。晴子が北洋漁業船に乗る彰之に宛てた手紙と、その彰之の漁場での出来事が交互に綴られるという、ちょっと変わった構成になっています。

 

晴子の手紙は、旧字体と旧仮名遣いで書かれているため、慣れてない人は読む進むのに苦労して、途中で挫折してしまったというレビューもいくつか目にしました。私は幸いそういう文章には慣れていたので、それほど苦労することなく読むことができました。

 

加えて、彼女の文章の特徴として、(句点で区切られているとはいえ)一つの文章が長く、しかも数ページにわたって改行がないことも多いので、びっしりと文字で埋め尽くされた紙面を見るだけでゲンナリする人も多いのでしょう。そこをちょっと我慢?しながら読むと、彼女の文章表現にハマることになります。

 

ただの情景描写や心理描写でも、どこからこんな表現の仕方ができるんだろうと思うほど、ねっとりとした濃厚な文章が続きます。働く風景、家族や親族間のやり取り、そして自然描写。高村薫の真骨頂ともいえる厚みのある表現がいっぱいです。

 

男性的な文章が多かった過去の作品と比べて、特に晴子の書く手紙の文章は女性的な表現もあり、意外でした。でも、こんな手紙を100通も息子宛に書く母親はいないだろうし、受け取った息子にしても、母親の恋愛体験まで赤裸々に綴られた手紙をどんな気持ちで読んだのでしょうか。(←これがこの小説のキモですが)

 

手紙の中で晴子の半生が描かれ、それだけで大正時代から昭和初期までの社会情勢やら地方の生活事情やらが浮かび上がり、近代歴史ロマンという雰囲気も感じ取れます。当時の青森や北海道が舞台になっていて、おそらく現地で何十人ものひとに聞き取り調査をしたり、昔の資料を丹念に調べたりしたと思われる具体的な描写は、ノンフィクションといってもおかしくないほど細かいことろまで表現されています。

 

北洋漁業(スケトウダラ漁)の描写も、まるで映画でもみているような綿密でリアルな文章で描かれ、ここだけ読むと往年の高村小説を思い出してしまいます。

 

本人もインタビューで語っていますが、それまで西洋的(キリスト教的)な世界観がベースだったのが、震災を経験してから人生観が変わり、これを自分で収めるのは仏教しかないと思ったそうです。この作品にはそんな彼女の心境の変化も見られ、般若心経の表現なども出て来ます。

 

旧仮名遣いに加えて、ストーリーの時系列が過去と現在を行ったり来たりするので、読むのにはなかなかハードルが高いです。最初は硬くても、舐め続けたら次第に溶けて甘くなる飴のような味わいのある文章にチャレンジしてみてください。