「京の夏の旅」特別公開イベント | 晴走雨読な日々〜Days of Run & Books〜

晴走雨読な日々〜Days of Run & Books〜

晴れた日は山に登り街を走り、 雨の日は好きな音楽を聞きながら本を読む
そんな暮らしがいい!

今年の「京の夏の旅」キャンペーンは、「新撰組結成160年」ということで、新撰組に関わる文化財のいくつかが特別公開されています。行ける時に行こうと思い、予想最高気温が37℃という25日に、ヨメを誘って一部を見てきました。

 

JR京都駅から嵯峨野線で丹波口駅まで。平日朝にもかかわらず、車内は嵐山に向かう内外の観光客で満員でした。

 

丹波口駅で降りて、ターレーが走り回る京都中央卸売市場の脇を南へ。最初に目指したのは島原地区です。

 

江戸時代には、東の吉原と並ぶ公認の花街として有名だった島原**も、その当時の面影が残るものはほとんどありません。その一つが、東の入り口にあたる、この島原大門(おおもん)です。

 

**島原というのは正式な地名ではなく、京の中心から西の外れにあるこの地に移転させられた時の騒動が、当時九州で起きていた「島原の乱」を思わせたことから名づけられたそうです。

 

大門を潜った先にすぐあるのが、元禄年間に創業し、太夫を抱える「置屋」(おきや)と宴会場の「揚屋」(あげや)を兼ねて、今でも島原で唯一営業を続けている輪違屋(わちがいや)です。今回5年ぶりの公開で、おそらく最後の一般公開になるだろうということで、是非観ておきたかったところです。

 

一人¥800の観覧料を払って、中に入ります。店の名の通り「輪違い」の紋が入った暖簾や格子窓が見えます。

 

地元のボランティアガイドさんが付いて、いろいろ説明してくれました。輪違屋になる前の店の名「養花楼」の額が残っています。

 

奥に入ると

 

太夫らが控えていた、主座敷があります。

 

部屋の隅には、ここをよく訪れた近藤勇の書が屏風に仕立てられていました。

 

部屋の襖に貼られているのは、太夫が客に宛てた達筆な文(今で言うとホステスが馴染みの客に電話するようなもの?)だそうです。

 

写真撮影がOKなのは、この一階のみで、急階段を上がった二階の座敷は、ガイドさんの説明を聞くだけでした。

 

(ここからは、ネットに上がっている写真で説明します)

 

壁に本物の紅葉を塗り込んで、乾燥後に取り出した跡に、顔料で彩色を施した「紅葉の魔」。

 

銀箔の襖に道中傘を貼り付けた「傘の間」。

 

太夫が控える「太夫の間」。太夫は遊女と違い、お茶や花、和歌などの教養を持ち合わせた女性のことです。

 

現在も5人の太夫さんを抱えて営業しているそうで、お座敷遊びも可能だとか。(いくらかかるか知りませんが 笑)

 

輪違屋を出て、島原地区の奥にある角屋(すみや)へ。ここは宴会場として客をもてなす「揚屋」だったところ。普段は隣接する美術館だけが、期間限定で一般公開されているだけで、室内の公開はこちらも5年ぶりだそうです。

 

ここも、一人¥800の観覧料を払って中に入ります。ここもボランティアガイドさんが付いて、いろいろ解説してくれました。

 

最初にに目に入るのが、蔦紋が入った大きな暖簾の展示。

 

ここが座敷への入り口。石畳が斜めになっているのは、玄関から中庭が見えるようにしたためとか。

 

柱には新撰組隊士の刀傷が残っています。

 

横の入り口から中に入ると、台所に案内されました。最初に目につくのが大きな釜が5つ同時に炊くことができる竈門。

 

高い天井には、煙を逃がす窓もあります。

 

玄関で刀を預かって収めていた箪笥。

 

一番大きな奥座敷の「松の間」。ここで新撰組初代局長の芹沢鴨が泥酔させられ、屯所のあった壬生の八木邸に運ばれた後に暗殺されたのは有名な話ですね。

 

庭に目をやると、名前の謂れになった大きな「臥龍松」(がりょうまつ)があります。庭の奥に見えるのは茶室です。

 

欄干や家紋の蔦を象った釘隠しも凝っていますね。

 

琉球螺鈿を施された衝立もあります。

 

表座敷の「網代(あじろ)の間」。

 

その名の通り、天井板が網代組になっていて、窓にも縄目の模様が施されています。

 

ここの釘隠しは、当時高価だった銅製の凝ったデザインです。

 

二階に上がる箱階段がありますが、今回は一階のみの公開なので、こちらも上がることはできませんでした。

 

角屋を後にして、近くにある島原西門跡へ、今は石碑が建っているだけです。

 

お腹が空いたので、近くにある蕎麦屋さんで腹ごしらえ。

 

そこから千本通を北に上がって、壬生地区へ。その頃には日差しがキツくて、汗が拭いても拭いても吹き出てきます。

 

こちらには、新撰組の屯所だった、旧前川邸とか

 

八木邸とか

 

新徳寺など、新撰組ゆかりの建物が集中していますが、暑くて体もバテ気味だったので、これらはパスして

 

壬生寺だけ見て歩くことにしました。過去にも訪れたことがありますが、ここも普段は公開されないとところを見ることができるというのが理由です。

 

最初に今回特別公開されている本堂へ。こちらも、一人¥800の観覧料を払って中に入ります。

 

中は撮影NGなので、HPから写真をお借りしました。

 

 

本尊である延命地蔵菩薩を中心に、平成になって本尊の傍侍と障壁画が新調されたので、かなり綺麗でした。壁の上に書かれている文字は般若心経です。

 

本堂の裏手にある資料館も特別公開されていて、土方歳三の刀と同じ刀剣や、有名な「だんだら羽織」の復元展示などがありましたが、こちたも写真撮影は禁止でした。

 

御朱印をいただいたことがなかったので、本尊と新撰組巡礼版をゲット。

 

新撰組が隊士の訓練場としていた壬生寺で、忘れてはならないのが「壬生塚」です。

 

隊士の墓がある壬生塚の奥には、近藤勇の胸像があります。絵馬はだんだら羽織の形になっていますね。

 

新撰組結成160年の記念で、今年この同じエリアに建てられたのが、この副長・土方歳三の胸像。(今風のイケメンの顔立ちは、なんかなぁという感じですが)

 

壬生寺は、京都三大念仏狂言のひとつである壬生大念仏狂言が行われることでも有名です。その念仏狂言が行われる大念仏堂は、境内の目立たないところにありました。

 

帰り際に、2年前にオープンしたという「だんだら珈琲店」に入り

 

だんだらクッキーソフトを食べてクールダウンできました。

 

12月に行われる京都検定3級では、この新撰組結成に関わる問題が出るそうです。私が先日受けた3級の試験は、よほど勘違いしていない限り合格していると思うので、もう一度受験することはないかな。

 

新撰組のファンでもありませんが、またひとつ京都の歴史に触れることのできたイベントでした。