父さまを自宅で看取った時


わたしにも一つだけ
「 じぶんが選択を間違えたせいでは?」

と想えたことがあり

訪問診療にいらしていただいていた医師にだけ

じぶんを責めていた氣持ちを、
告白していたのでした。


𓂃 𓈒𓏸𑁍‬ 𓏸𓈒‬‬ 𓂃𓂂ꕤ*.゚𓂃𓈒𓏸 𑁍‬𓏸𓈒‬‬ 𓂃





 

健康上のトラブルが起きた時は

人生会議のタイミングです。

 

人生会議とは

どこでどのように自分の人生を生きるか、

健康上のアクシデントが起きたときや

生命の危機的状況で

望む医療や拒否したい処置などを

あらかじめ家族や近しい人

できれば医療介護福祉に関わる専門職と

話し合って決めておくことです。

 

人生会議と呼称されるACPの支援には

4つのステップがあります。

ダイヤグリーン意思形成支援

 本人も気づいていないような価値観の断片を

 拾い上げ、形作ることを支援

ダイヤグリーン意思表明支援

 本人の価値観や気がかりが自身の言葉で

 語られるように支援

ダイヤグリーン意思決定支援

 本人の価値観に基づいて、最善の医療・ケアを

 複数の選択肢から選ぶことを支援

ダイヤグリーン意思実現支援

 本人の意思をできるだけ実現することを支援

 ~令和3年12月安城市作成の

 専門職のためのACPマニュアルより引用~

 

人生会議は死に方を考えるものではなく

生き方会議です。

大事なのは1人で決めない 

1度で決めないこと。

なぜそう思うのかという

根拠や理由を大切にすること。

 

 

息子さんのエゴではないか?と

ざわついた私は

娘さんにも状況を説明して

息子さんの代理意思決定を伝えました。

 

「弟は長く母と過ごしているので

母のことは弟が一番理解しています。

それに私は介護を弟に任せきりで

私だったら弟のような介護はできません。

どうか弟が後悔しない選択を

尊重して欲しいです。

どんなことがこの先起きようとも弟や

お医者さん看護師さんを責めるようなことは

絶対にしません」

娘さんが言いました。

 

息子さんの代理意思決定と

娘さんの意見を在宅医に伝えました。

在宅医は往診して息子さんに

生命の危機は脱したけども

生命維持が難しく厳しい状況。

看取りの覚悟を決める時だと伝えられました。

 

「まだ92歳のお袋に医療の提供を

拒否するなんて

残酷なことを言わないでください」

 

もう92歳と医療者は思い

まだ92歳と息子さんは思う

価値観の違いから生まれる齟齬

 

在宅医は総合病院に紹介状を書きました。

手術をする側の医療職と

病院というシチュエーションを変えて

もう一度話し合ってもらって

最善の意思決定を目指そうと。

 

紹介状を持参して

ケアマネジャーが手配した介護タクシーに

母親と乗り込む息子さんは

期待に胸を弾ませた表情でした。

複雑な思いで見送りました。

 

 

 

92歳の母親に胃ろう造設を望み

1日でも長生きして欲しいという

息子さんの選択を断片的に切り取ると

年金目当てなんじゃないかと

否定的な考えを持つ人もいるかもしれない。

 

でも息子さんは

定年まで県庁にお勤めで家にお金を入れて

お母さんがお金に困らず

生活できるようにしていたし

きれい好きで部屋を整理整頓して

お母さんが身に着ける衣類は

肌触りにこだわり良質な物を選び

パジャマやシーツ、布団を

こまめに洗濯して日に当てていました。

 

もしも年金目当てだったら

節約するべきところを

母親に使うお金は一銭も惜しくないと言って

居心地が良い環境を整えていました。

 

 

中略*

 


Sさんの息子さんの要望や意思決定は

代理なのか代行なのか?

在宅療養を支えるチームは

意思決定支援に手を尽くしたので

病院側にバトンを渡しました。

 

病院側もやはり

90代の体に侵襲的な処置をする

リスクを鑑みて

胃ろう造設に反対しましたが

代案として経鼻胃管チューブの留置を

提案しました。

 

鼻から胃まで管を通して

その管から栄養や薬を注入する方法です。

常に管が入っているから違和感はあるし

抜いてしまわないように

両手にミトンをつけたり

ベッド柵に手首を縛り付けるという

抑制が必要になります。

異物が常に体に入っているから

管の先に菌が繁殖して

感染するリスクもあります。

 

月1回カテーテル交換のための通院をする

24時間問わずの頻回な吸引をする

1日3回の栄養注入をする

この3点がワンオペ介護でできるのなら

経鼻胃管チューブを留置して

栄養管理することにしましょう

というのが病院が出した結論でした。

 

「山田さん、お袋のいのちが繋がりました。

鼻から管入れて家に帰ります。

覚えることがたくさんありますけど

頑張りますので

退院したらよろしくお願いします」

と電話がかかってきた10日後に

退院しました。

 

経鼻胃管チューブからの栄養と薬の注入

唾液や痰の吸引、インスリン注射の手技を

10日間で取得したのです。

 

在宅介護に向けた並々ならぬ決意を感じました。

 

1年後、久しぶりに私が訪問したとき

息子さんが

「山田さんが久しぶりに来てくれたよ。

嬉しいね、母さん」と声をかけたら

ぱっちりと目を開けて息子さんを見て

2度頷きました。

 

92歳に胃ろう造設することを

本人が望まない処置ではないか

息子さんのエゴではないかと

1年前の私の心はざわつきました。

 

でも

息子さんの献身的な介護をうけて

安心して穏やかな表情で

息子さんと一緒に

今、ここを生きている様子を見たら

胃ろう造設という選択決定は

食べる飲むという食事や内服の

代替え手段であって

生かされるだけの延命処置ではなかったことが

分かって腑に落ちました。

 

息子さんの頑張りがあって

時間が経って見えた景色がある。

霧が晴れるようにクリアになって

これが最善最適解だった!と思えた。

  

 

約束通り、葬儀を終えてから連絡を頂きました。

「お袋のために買ったものを

捨てるのが辛くて仕方ないんです。

これからもずっと続いていくと思ったから

新品の物がたくさんあります。

もらってくれますか?

誰かに役に立ててもらえませんか?」

 

レンタルしていた介護ベッドや

リクライニングチェア

外出時に使う玄関に設置するスロープなど

母親の存在を示していたものが

次々と片付けられて

がらんとした空間にいると

心にぽっかりと開いた穴が

どんどん大きくなっていく。

 

使う人がいないのに

手放せないでいるものが

唯一、自分とその人を繋いでいるような感覚。

 

「大切に使わせていただきます。

息子さんの想いは

在宅介護をしているたくさんの人が

分かち合ってくれます。

その人たちに譲ることにします」

 

経管栄養に使っていたシリンジやチューブ

お口の手入れのためのスポンジブラシや

マウスウォッシュクロス

オムツなどたくさんの物品を持って

挨拶に来所されました。

 

「なぜあの日に限って

吸引しなかったんだろう

寝てしまったんだろうと後悔しています。

あの時に吸引していれば

口から泡拭いて

たくさんの唾液で溺れるように

死ぬことはなかったはずなのに。

奇跡を信じて救急車を呼んでしまって

体中ボロボロに傷つけてしまって

申し訳ない事をしてしまって。

ああすればよかった

あんなことしなければよかったと

毎日毎日後悔して涙が止まりません」

肩を震わせて男泣きをされる息子さん。

 

出会ったときに

これからは息子さんが

後悔のない介護ができるように

支えていきたいですと言いました。

 

ところが目の前には

4年間の献身的な介護をしてきた自分を

否定するかのように

顔をぐしゃぐしゃにして泣く息子さんの姿。

 

「これは私の推測でしかないのですが

口から泡を吹いていた

唾液まみれだったというのは

窒息したのではなくて

呼吸がとまって飲み込めなくなったから

なんじゃないかと思います。

窒息死ではなくて老衰の末に

息を引き取った自然死なんだと思います。

だからどうか、自分のことを責めずに

今までよく頑張ってきたと

認めてあげて下さい。

じゃないと、息子さんの心と体が心配で

お母様が報われないかと思います。

これからは空から見守ってもらえます。

だから大丈夫。

肩の荷を下ろして楽になって下さい」

4年間の親子の物語を振り返って

紡いだ言葉が届きますようにと願う。

 

「病院の先生からも同じことを言われました。

CTから読み取ると

死因は窒息ではないそうです」

 

やっぱりそうだったんだ!

 

そして救急搬送して心肺蘇生処置で

体中を傷つけてしまったと

息子さんは深く後悔しているけど

救急搬送したから画像診断ができて

死因が特定できました。

意義のある行動だったのです。

 

息をしていないのを発見して

日だまり訪問看護に連絡していたら

心肺蘇生をすることはなかったけど

在宅医はもしかすると

誤嚥や窒息も視野に入れた

死亡診断をしたかもしれません。

 

もしそうなっていたら

それこそ息子さんはこれから先ずっと

吸引せずに寝たことを後悔して

重い十字架を背負うように

生きていくことになったかもしれません。

 

「最期の姿は

望むカタチではなかったかもしれません。

でも、救急搬送して死因が特定できたのは

お母様からのギフトかもしれません。

今までありがとう

あなたのせいじゃないからねと

伝えたかったのかもしれない。

だからもう責めないで欲しいです」

息子さんに言いました。

 

「まだしばらくは

後悔の気持ちは持ち続けると思います。

山田さんや日だまりの皆さんのように

私と母親を優しく温かく

包み込んでくれる人に初めて出会いました。

それだけで私も母も幸せでした。

ありがとうございます

1つお願いを聞いてもらえますか

山田さんと握手がしたいんです」

涙と鼻水を服の袖で拭きながら言います。

 

「私こそ出会えたことに感謝しています。

私は息子さんがお母様を

献身的に介護するのを見てきて

自分の未来に希望が持てました。

私も息子を大切にしたら

私が年老いて自分のことも

息子のことが分からなくなっても

私のいのちを

息子が守り抜いてくれるかもしれない。

そんな強い希望が持てました。

ありがとうございます」

 

差し出された右手を両手で包んで

ありったけの愛を込めて

惜別の握手をしました。