こんばんは。

大好きな安城市の在宅医療に貢献したい!

日だまり訪問看護ステーション

看護師 山田万理です。

 

12月と1月は看取り支援が続きました。

 

大切な人を喪ったばかりの人には

世間がお祝いムードだったり

イベントでにぎやかな時期は

ひとり取り残されたような

暗闇にいるかのような

孤独感を味わっているかもしれない。

その気持ちが分かる。

 

大好きな祖父が亡くなった

中学3年生の夏の思い出はモノクロで、

高校に入学した4月を思い返すと

制服のロイヤルブルーのネクタイの色や

顔に当たるやわらかな風

春の匂いまで思い出すことができる。

 

喪失体験や強い悲嘆感情は

記憶から色彩や匂いを奪うようだ。

 

哀しみが癒えた瞬間は

時計の時刻のように

何時何分と表現できないけど

夏から秋、秋から冬、冬から春の間に

ゆっくりと時間をかけて

前を向いて自分らしく

過ごせるようになっていった。

 

新年早々、大きな地震があったから

悲しいニュースを見聞きすると

大切な人を喪う痛みに共感して

哀しみをより深めてしまう人もいたと思う。

 

自宅で大切な人を看取った家族から

病院に連れて行けばよかったとは

聞いたことがないけど

自宅で看取るつもりでいたのに

予想外のアクシデントや

ほんの少し勇気がなかったり

覚悟が足らずに救急搬送して

病院で看取ることになった家族からは

後悔して間違い探しばかりしていると

聞くことがあります。

 

後悔は悲嘆感情を強めたり

自責の念を抱かせます。

 

 

12月4日は衝撃的なニュースで始まりました。

 

電話対応をしている事務員が

「Sさんが昨日亡くなられた?」と

耳を疑うことを言うのが聞こえてきました。

電話先はケアマネージャーです。

 

前日は私が待機をしていたけど

息子さんからの緊急コールはありませんでした。

誰が看取ったのだろうか。

在宅医からの連絡もありません。

 

何が起きた?

 

急いで息子さんに電話しました。

「私はとんでもないことをしてしまいました。

口から泡を吹いてるお袋を見て

息をしていないようだと分かっていても

もしかしたら奇跡が起きて

生き返るかもしれないと思って

救急車を呼んでしまいました。

 

心臓マッサージされて

肋骨がバキバキに折れて

口から管を入れたから

唇が切れて血がたくさん出て

病院に着いてすぐに

人工呼吸器に繋がれたけどダメでした。

 

母親が望んでいなかったことを

してしまいました。

私がトイレで目が覚めるたびに

いつも呼吸の様子を確認して

唾液と痰を吸引していたのに

昨日に限って眠気が勝ってしまって

確認しなかったんです。

お袋が死んだのは私のせいです」

号泣しています。

 

間違い探しをしている息子さんが気がかりで

「最後だけに目を向けて

自分を責めないで欲しいです。

私は息子さんが4年間もの間

オムツ交換、経管栄養、インスリン注射

1日10回近くの吸引、お口とお肌のお手入れを

ひとりで頑張ってきたことを知っています。

お母様が安心して穏やかに過ごせたのは

息子さんの献身的な介護の結果です。

お母様は息子さんに感謝こそしても

決して責めることはないはずです。

息子さんの選択決定をすべて前向きに

受け止めていたはずです。

本当によく頑張られました。

私、今からそちらに向かいましょうか?

何かお手伝いできることがないですか?」

と声をかけました。

 

「日だまりさんはいつでも

私とお袋の味方でいてくれて

支えてくれたのに

裏切るようなことをしてしまいました。

申し訳ないです。

今から葬儀の打ち合わせがあります。

葬儀を終えたら私が事務所に

ご挨拶に伺います」

息子さんの来所を待つことにして

電話を切りました。

 

 

4年のお付き合いをしたSさんとは

令和元年12月に出会いました。

 

90代のSさんは認知症が進行して

会話はままならず寝たきり状態。

70代の未婚の息子さんと2人暮らしで

息子さんが献身的に介護をしていました。

 

ある日ショートステイ利用先から

状態が悪いので救急搬送する。

退院しても急変リスクが高いため

今後は受け入れできないと言われました。

姉が隣市に嫁いでから数十年という長い年月を

母親と2人で暮らしてきた息子さんは

老衰や死が近いことを受容できませんでした。

 

『母親が死にそうだと言うような施設には

2度と連れていきません

自分が面倒見ます

デイサービスもお断りです』

 

息子さんはケアマネジャーに断言しました。

とはいえ、24時間年中無休の介護には

70代には堪えます。

そんな時にケアマネジャーから

訪問看護の利用を提案されたそうです。

 

初回訪問の時に息子さんが

「お袋の考えが分からないんです

どうして欲しいのか

どうしてあげたら幸せに過ごせるのか

分からないんです。

認知症だからと分かっていても

ベッドや壁を便まみれにしたとき

怒鳴ってしまいました。

後悔しています。深く反省しています。

認知症になって母はあの頃のことを

忘れてくれたのでしょうか」

男泣きされました。

 

時間をかけて親子の物語を

聴かせて頂きました。

 

母親の人生は苦難の連続だった。

あるだけのお金を使い果たし

飲んだくれで暴力を振るう父親から

自分と姉を命がけで守ってくれた。

朝早くから汗水流して畑仕事をして

自分の食べる分をすべて子供に分け与え

とれたての野菜を

食糧に困っている人に配って回って

痛くてもひもじい思いをしても

愚痴や不満は吐かず

いつも穏やかだった。

母親は幸せになるべき人で

自分の命をかけて母親を幸せにしたい。

恩返しをしたいから

1日でも長く安心な世界で生きてほしい。

こんな話を人にしたのは初めてです。

これからよろしくお願いします。

 

泣きながら語る息子さん。

誰にも話せなかった心の叫びでした。

 

「息子さんが後悔して反省していることを

お母様は理解されていると思います。

認知症の方は昔のことを

記憶していることが多いです。

でも痛くつらい思いをしてきたお母様なので

強くて優しくて心が豊かで

許すチカラに長けていると思います。

忘れていなくても許していると思います。

今日からは後から振り返って

後悔しない介護ができるように

お手伝いさせてください」

と答えました。

 

 

10か月後、認知症はさらに進行して

『食べる』という一連の動作を

忘れていきました。

 

食べ物を認識して

かみ砕いて飲み込む

この動作ができなくなって

水分もむせるようになって

高熱と痰絡みの咳が出るようになりました。

肺炎の前兆です。

尿失禁の量が減って茶色い尿は

脱水のサインです。

92歳と高齢でアクシデントが起きると

急変して死に至ることが多いです。

 

「救急搬送して

病院で治療することを望みますか?

おそらく入院になると思います」

 

世間はコロナ禍でした。

入院すれば面会できません。

 

息子さんの答えは

「自分が寝ずの看病をします。

病院に連れて行きたくない」でした。

 

在宅医に伝え採血と

1週間の点滴(水分補給と抗生剤)指示が

出ました。

1週間で熱は下がりましたが

食べる動作を忘れてしまったので

生命を維持するための栄養がとれません。

 

息子さんが言いました。

「このままでは衰弱してしまいます。

お腹も空かせてるはずです。

母には胃に穴を開けて

栄養を流し込むのは該当しませんか」

 

私は

「胃に穴を開ける麻酔を使った外科処置は

92歳のお母様にはかなり負担になるだろうし

手術中にお亡くなりになったら

息子さんがした選択を

後悔するかもしれないと心配です。

長生きして欲しいという気持ちは

よく分かります。

ひとつ伺いますが

心臓マッサージや人工呼吸器といった

心肺蘇生も望まれますか?」と聞きました。

 

「自分は母に暴力のない平和な世界で

お腹が満たされて

穏やかに過ごして欲しいだけです。

骨が折れたり歯が欠けたりする

体に傷をつけるような処置はして欲しくないです」

 

胃ろう造設は望むけど

心肺蘇生は拒否する意思を確認しました。

 

でも私の気持ちがざわつきました。

ご本人は認知症で自分の意思を伝えられない。

息子さんの想いや価値観が優先されていないか?

これは愛なのか? 

本人の尊厳を尊重した結論なのか?

それとも息子さんのエゴなのか?

 

 

健康上のトラブルが起きた時は

人生会議のタイミングです。

 

人生会議とは

どこでどのように自分の人生を生きるか、

健康上のアクシデントが起きたときや

生命の危機的状況で

望む医療や拒否したい処置などを

あらかじめ家族や近しい人

できれば医療介護福祉に関わる専門職と

話し合って決めておくことです。

 

人生会議と呼称されるACPの支援には

4つのステップがあります。

ダイヤグリーン意思形成支援

 本人も気づいていないような価値観の断片を

 拾い上げ、形作ることを支援

ダイヤグリーン意思表明支援

 本人の価値観や気がかりが自身の言葉で

 語られるように支援

ダイヤグリーン意思決定支援

 本人の価値観に基づいて、最善の医療・ケアを

 複数の選択肢から選ぶことを支援

ダイヤグリーン意思実現支援

 本人の意思をできるだけ実現することを支援

 ~令和3年12月安城市作成の

 専門職のためのACPマニュアルより引用~

 

人生会議は死に方を考えるものではなく

生き方会議です。

大事なのは1人で決めない 

1度で決めないこと。

なぜそう思うのかという

根拠や理由を大切にすること。

 

 

息子さんのエゴではないか?と

ざわついた私は

娘さんにも状況を説明して

息子さんの代理意思決定を伝えました。

 

「弟は長く母と過ごしているので

母のことは弟が一番理解しています。

それに私は介護を弟に任せきりで

私だったら弟のような介護はできません。

どうか弟が後悔しない選択を

尊重して欲しいです。

どんなことがこの先起きようとも弟や

お医者さん看護師さんを責めるようなことは

絶対にしません」

娘さんが言いました。

 

息子さんの代理意思決定と

娘さんの意見を在宅医に伝えました。

在宅医は往診して息子さんに

生命の危機は脱したけども

生命維持が難しく厳しい状況。

看取りの覚悟を決める時だと伝えられました。

 

「まだ92歳のお袋に医療の提供を

拒否するなんて

残酷なことを言わないでください」

 

もう92歳と医療者は思い

まだ92歳と息子さんは思う

価値観の違いから生まれる齟齬

 

在宅医は総合病院に紹介状を書きました。

手術をする側の医療職と

病院というシチュエーションを変えて

もう一度話し合ってもらって

最善の意思決定を目指そうと。

 

紹介状を持参して

ケアマネジャーが手配した介護タクシーに

母親と乗り込む息子さんは

期待に胸を弾ませた表情でした。

複雑な思いで見送りました。

 

 

 

92歳の母親に胃ろう造設を望み

1日でも長生きして欲しいという

息子さんの選択を断片的に切り取ると

年金目当てなんじゃないかと

否定的な考えを持つ人もいるかもしれない。

 

でも息子さんは

定年まで県庁にお勤めで家にお金を入れて

お母さんがお金に困らず

生活できるようにしていたし

きれい好きで部屋を整理整頓して

お母さんが身に着ける衣類は

肌触りにこだわり良質な物を選び

パジャマやシーツ、布団を

こまめに洗濯して日に当てていました。

 

もしも年金目当てだったら

節約するべきところを

母親に使うお金は一銭も惜しくないと言って

居心地が良い環境を整えていました。

 

 

2年前、母親の年金を頼りに

生活していた息子が

医者が医療処置を拒否したという理由で

弔問に訪れた医師を

猟銃で撃ち殺した事件がありました。

 

 

命に係わる意思決定支援は

慎重に多職種でするべきです。

お互いが盾になり守るために。

 

この事件は息子が代行した決定に

医療者が従わなかったから起きました。

そもそも意思決定というのは

代行するべきではありません。

代理と代行は異なります。

その人だったらどんな選択決定をするだろうと

推定意思を汲んで家族、友人と

多職種の専門職で話し合って

最善最適解を導くことが代理意思決定です。

これこそが、ACPつまり人生会議です。

 

きっと事件の息子は

専門職の言葉を受け入れず

自己主張したのだろう。

 

Sさんの息子さんの要望や意思決定は

代理なのか代行なのか?

在宅療養を支えるチームは

意思決定支援に手を尽くしたので

病院側にバトンを渡しました。

 

病院側もやはり

90代の体に侵襲的な処置をする

リスクを鑑みて

胃ろう造設に反対しましたが

代案として経鼻胃管チューブの留置を

提案しました。

 

鼻から胃まで管を通して

その管から栄養や薬を注入する方法です。

常に管が入っているから違和感はあるし

抜いてしまわないように

両手にミトンをつけたり

ベッド柵に手首を縛り付けるという

抑制が必要になります。

異物が常に体に入っているから

管の先に菌が繁殖して

感染するリスクもあります。

 

月1回カテーテル交換のための通院をする

24時間問わずの頻回な吸引をする

1日3回の栄養注入をする

この3点がワンオペ介護でできるのなら

経鼻胃管チューブを留置して

栄養管理することにしましょう

というのが病院が出した結論でした。

 

「山田さん、お袋のいのちが繋がりました。

鼻から管入れて家に帰ります。

覚えることがたくさんありますけど

頑張りますので

退院したらよろしくお願いします」

と電話がかかってきた10日後に

退院しました。

 

経鼻胃管チューブからの栄養と薬の注入

唾液や痰の吸引、インスリン注射の手技を

10日間で取得したのです。

 

在宅介護に向けた並々ならぬ決意を感じました。

 

1年後、久しぶりに私が訪問したとき

息子さんが

「山田さんが久しぶりに来てくれたよ。

嬉しいね、母さん」と声をかけたら

ぱっちりと目を開けて息子さんを見て

2度頷きました。

 

92歳に胃ろう造設することを

本人が望まない処置ではないか

息子さんのエゴではないかと

1年前の私の心はざわつきました。

 

でも

息子さんの献身的な介護をうけて

安心して穏やかな表情で

息子さんと一緒に

今、ここを生きている様子を見たら

胃ろう造設という選択決定は

食べる飲むという食事や内服の

代替え手段であって

生かされるだけの延命処置ではなかったことが

分かって腑に落ちました。

 

息子さんの頑張りがあって

時間が経って見えた景色がある。

霧が晴れるようにクリアになって

これが最善最適解だった!と思えた。

  

 

約束通り、葬儀を終えてから連絡を頂きました。

「お袋のために買ったものを

捨てるのが辛くて仕方ないんです。

これからもずっと続いていくと思ったから

新品の物がたくさんあります。

もらってくれますか?

誰かに役に立ててもらえませんか?」

 

レンタルしていた介護ベッドや

リクライニングチェア

外出時に使う玄関に設置するスロープなど

母親の存在を示していたものが

次々と片付けられて

がらんとした空間にいると

心にぽっかりと開いた穴が

どんどん大きくなっていく。

 

使う人がいないのに

手放せないでいるものが

唯一、自分とその人を繋いでいるような感覚。

 

「大切に使わせていただきます。

息子さんの想いは

在宅介護をしているたくさんの人が

分かち合ってくれます。

その人たちに譲ることにします」

 

経管栄養に使っていたシリンジやチューブ

お口の手入れのためのスポンジブラシや

マウスウォッシュクロス

オムツなどたくさんの物品を持って

挨拶に来所されました。

 

「なぜあの日に限って

吸引しなかったんだろう

寝てしまったんだろうと後悔しています。

あの時に吸引していれば

口から泡拭いて

たくさんの唾液で溺れるように

死ぬことはなかったはずなのに。

奇跡を信じて救急車を呼んでしまって

体中ボロボロに傷つけてしまって

申し訳ない事をしてしまって。

ああすればよかった

あんなことしなければよかったと

毎日毎日後悔して涙が止まりません」

肩を震わせて男泣きをされる息子さん。

 

出会ったときに

これからは息子さんが

後悔のない介護ができるように

支えていきたいですと言いました。

 

ところが目の前には

4年間の献身的な介護をしてきた自分を

否定するかのように

顔をぐしゃぐしゃにして泣く息子さんの姿。

 

「これは私の推測でしかないのですが

口から泡を吹いていた

唾液まみれだったというのは

窒息したのではなくて

呼吸がとまって飲み込めなくなったから

なんじゃないかと思います。

窒息死ではなくて老衰の末に

息を引き取った自然死なんだと思います。

だからどうか、自分のことを責めずに

今までよく頑張ってきたと

認めてあげて下さい。

じゃないと、息子さんの心と体が心配で

お母様が報われないかと思います。

これからは空から見守ってもらえます。

だから大丈夫。

肩の荷を下ろして楽になって下さい」

4年間の親子の物語を振り返って

紡いだ言葉が届きますようにと願う。

 

「病院の先生からも同じことを言われました。

CTから読み取ると

死因は窒息ではないそうです」

 

やっぱりそうだったんだ!

 

そして救急搬送して心肺蘇生処置で

体中を傷つけてしまったと

息子さんは深く後悔しているけど

救急搬送したから画像診断ができて

死因が特定できました。

意義のある行動だったのです。

 

息をしていないのを発見して

日だまり訪問看護に連絡していたら

心肺蘇生をすることはなかったけど

在宅医はもしかすると

誤嚥や窒息も視野に入れた

死亡診断をしたかもしれません。

 

もしそうなっていたら

それこそ息子さんはこれから先ずっと

吸引せずに寝たことを後悔して

重い十字架を背負うように

生きていくことになったかもしれません。

 

「最期の姿は

望むカタチではなかったかもしれません。

でも、救急搬送して死因が特定できたのは

お母様からのギフトかもしれません。

今までありがとう

あなたのせいじゃないからねと

伝えたかったのかもしれない。

だからもう責めないで欲しいです」

息子さんに言いました。

 

「まだしばらくは

後悔の気持ちは持ち続けると思います。

山田さんや日だまりの皆さんのように

私と母親を優しく温かく

包み込んでくれる人に初めて出会いました。

それだけで私も母も幸せでした。

ありがとうございます

1つお願いを聞いてもらえますか

山田さんと握手がしたいんです」

涙と鼻水を服の袖で拭きながら言います。

 

「私こそ出会えたことに感謝しています。

私は息子さんがお母様を

献身的に介護するのを見てきて

自分の未来に希望が持てました。

私も息子を大切にしたら

私が年老いて自分のことも

息子のことが分からなくなっても

私のいのちを

息子が守り抜いてくれるかもしれない。

そんな強い希望が持てました。

ありがとうございます」

 

差し出された右手を両手で包んで

ありったけの愛を込めて

惜別の握手をしました。

 

あれから1か月以上の時が過ぎました。

息子さんがお母様から譲り受けた

畑仕事を再開しているといいな。

 

「自分の分さえも人に分け与えて

生活に十分なお金を渡しても

もったいないと言って

節約するのがお袋なんです。

自分よりも他人の幸せを考えるお袋を

尊敬しています」

と言って畑でできた農作物を

子ども食堂に寄付していました。

 

私からすれば

息子さんもお母様に劣らずの

『与える人』で

尊敬すべき人だと思います。

 

息子さんが自分のことも大切にして

食事して眠り、体を動かして

健やかに毎日を過ごせるように願います。

 

 

それでは今日はこの辺で。

最後までお読み頂き

ありがとうございます。