その晩、絵葉書の送り主である奴さんからの連絡はなかった
携帯は、ずっと押し黙ったままだった

幻を見たのか
いや、確かにいた
あの頃とはすっかり変わった彼女〈陽子=ヨーコ〉が
………だが、しかし変わっていない彼女も同時にそこにいた
オレに向けた瞳の憂いは、
30年前のこの街が宿すあの空気を孕んでいた
この世界から抜けることのできない、やりきれなさの………

こじんまりしたBARを見つけた
薄暗い室内に紫煙が立ち込め、
スローテンポにアレンジされた懐かしいボサノバナンバーがかかっていた
男女連れ合いが2組、それぞれが離れた位置を占めていた
ちょっとは、近寄りがたさを感じる
照明も、愛を語らいあうにはほどよい明るさだ
僕は小さな窓から海側が望める通りに面した席についた
マスターの支配するカウンターからはやや距離をおいた、
斜め右のやや苦しい角度だった
その位置がこの晩の僕には、ふさわしかった
きっと、おかしな客だと彼は思ったろう

ドライで、きつめにしたマルチニを下さい、とお願いした
オリーブは抜きで。

その席には、藤さんがよくいらっしゃいますよ、ええ

視線は手元のシェーカーに注がれたまま
抑揚を抑えたしゃべりだった
器用と言うより、すでに体躯の動きと完璧にシンクロしている
プロ、なんだな
見知らぬ一人客との間合いを縮めようと、主からの気遣いとわかった
「ありがとうございます」、と礼を伝え、早速僕の目の前に差し出されたグラスまで、自分の口を運んだ
痺れるような舌触りの一杯だった
遠くで、船の汽笛が低くこだましているような気がした