●浅野いにおの「デッドデーモンズデストラクション」が映画化された。
3月27日現在、すでに前章が公開中。
後章は5月24日公開の予定。
予告編を観る限り何だか切なくて観る者の心を締めつけられる展開に興味がそそられた。
そんな中で上記の記事を見かけた。
例によって吉田玲子が脚本家で参加しているみたいだ。
道理でこちらの興味が惹きつけられた理由が判った気がした。
記事を読むとなるほど漫画では後半に明かされる登場人物たちの過去エピソードが前章に持ってこられているそうだ。
これもそれも漫画を読み込んでいかにその漫画の伝えたいテーマを観る者の心に的確に伝えるかを考え抜いた上でのことに違いない。
具材の良さを活かすも殺すも料理人の腕ひとつ。
原作のすべてのエピソードを映画で描くのは最初から無理なこと。
当然そのエピソードを選ぶ取捨選択が迫られる。
そして選んだエピソードをどの順番でどう見せるかが脚本家の腕の見せどころというわけだ。
記事には吉田玲子のこんなエピソードも紹介されていた。
過去に、吉田玲子脚本を絵コンテに起こしたアニメ演出家に取材をしたことがあるが、吉田の仕事は、原作通りに見える表現からでも、一つひとつの描写に明確な意味を感じられるのだという。それはおそらく、作品の本質的な部分を理解した上で、テーマを共有しながら取捨選択をおこなうことができていると理解することができる。ましてや、本作のような入り組んだ内容では、それこそが必要になってくる能力であるはずだ。
(記事より引用)
リアリティを持たせるためにこだわる漫画家浅野いにお作品であるだけにどのエピソードを選びどう見せるかを考えるのも並の苦労では及ばないことだろう。
今回の作品に吉田玲子が脚本家で参加したことが凶と出るか、吉と出るかその効果のほどが問われている。
公開したばかりではあるが映画前章の入りもなかなか好調のようだ。
肝心の本編の出来はどうか。
こればかりは自分で確かめてみないとわからない。
どうでもいいことだが原作者の浅野いにおにひとこと言いたい。
「鬼太郎じゃあるまいし、タイトルがデデデデ、デデデデ言いづらいんですけど」
「あと覚えづらい、というか覚えられない」