スマホにかまけていると「○○○」には入れない
”フロー”というのは心理学者のミハイ・チクセントミハイが提唱した概念で、ひとつの活動に完全に没頭している状態を指す。
フローによって、人生を豊かにする体験や永続的な満足感がもたらされるという。
けれど、気もそぞろな状態ではひとつの行為に浸りきるのは無理だ──当然ながら、フローにも入れない。スマホが注意を奪うツールである以上、使う頻度が高くなればフローには入りづらくなる。
創造性を発揮するには、精神の解放とじゅうぶんな休息がいる。
スマホにかまけているとどちらも得られにくい。
私が思うに、創造性にとって退屈がいかに重要かは、リン゠マニュエル・ミランダの言葉に集約されている。
「子供のころのことでよく覚えているのが、車で三時間の道のりを親友のダニーと過ごしたときのことだ。ダニーは車に乗るまえに庭先で小枝を拾って、車に乗ってるあいだじゅうずっとそれで遊びをつくってた……小枝でだよ。
棒は人間になったり、もっと大きな何かの一部になったりして、しゃべりだしたかと思ったら、今度は電話になった。ダニーの隣でぼくはドンキーコングを抱いてすわっていたんだけど、こう思ったよ。
すごいや、こんな枝切れで三時間も楽しめるなんてって。それで、よし、ぼくも自分の想像力を鍛えるぞって思ったんだ」
自分の人生を取りもどすのに必要な「スマホ断ち」
いい知らせがある。スマホによる悪影響の多くは取り消せる。集中の持続時間はまた延ばせるし、集中力も取りもどせる。ストレスを減らし、記憶力を改善し、夜にはふたたび熟睡できるようになる。
その道案内をするのが”スマホ断ち”だ。
マインドフルネスは定義のむずかしい言葉だ。けれど、スマホ断ちという目的を考えると、マサチューセッツ大学医学大学院マインドフルネスセンター研究責任者、ジャドソン・ブルワーの定義がいちばんしっくりくるだろう。
「マインドフルネスとは、世界をより正確に観察することである」──そこには、自分自身も含まれる。
そういうわけで、まずはマインドフルネスのやり方をお伝えしていこう。
最初に取り組むのは、自分の感情や考え、反応をじっくりと観察することだ。
次に、その誘惑に対して自分がどう(あるいは、そもそも)対応したいかを判断する練習をしていく。
平たく言うと、抗いようのない衝動だと私たちが思いこんでいるものは、じつは脳が発信する誘惑である。これは重要な視点だ。
というのもこのことを知っていれば、誘惑しつづける脳に対して、なぜそんなつまらない茶番に誘いこもうとするのか、と問いなおすことができるからだ。
渋滞は即席のカラオケ練習会への誘いであってもいいはずだ。金曜の夜にひとりなら、誰も見たがらない映画をひとりで楽しむチャンスだと捉えることもできる。
マインドフルネスはそうした誘惑に気づき、うまく乗り切るための機会をくれる。と同時に、私たちを依存へと駆り立てる心の奥底の感情や恐れ、欲求にも気づかせてくれる──それこそが、依存を断つために不可欠なステップだ。
スマホの使用時間を減らすうえでも、自分がスマホで何を得たいと思い、何を避けたいと考えているのかを理解しておかなければ、最後には行き詰まるはめになる。
マインドフルネスを実践すると、脳には別の人格があるように感じられるだろう(私は自分の脳を頭のネジの飛んだ親友だと考えている)。
脳の誘惑のすべてに、イエスと答えなくていいと理解したとき、あなたは自分の人生の手綱を取りもどすことになるのだ──スマホ上でも、スマホ以外でも。
キャサリン・プライス
科学ジャーナリスト