「継続するのに必要なもの。」を読みました。
なぜ、飽きっぽい著者がnoteの記事を書き続けられたかが書いてありました。
答えは丁寧さを心がけた。
雑な場にしなかったから。
いざひるがえって自分のことを考えました。
果たしてどれだけ丁寧さを心がけているのかを。
結局、そのものの価値を決めるのは自分自身だということ。
自分の態度が姿勢が投入度合いがそのまんま価値に反映されるということ。
確かに心に残る映画もマンガも小説も絵画も音楽もそこに作者が丁寧に丁寧に丁寧に心がけた結果生み出されたもの。
丁寧に心がけたものにはきっと魂が宿るのかも。
それが見る人の魂と共鳴して感動を引き起こすのかも。
丁寧さを心がけるのに終わりはない。
出来るところから始めてみたい。
雑になりそうな時は、この文章を思い出して。
雑に扱ったそれは、かならず飽きる。丁寧に扱ったそれは、かならず育つ。ノルマ的な仕事がつまらないのは、それを雑にこなす自分がいるからでもある。雑でもこなせてしまう自分が、対象を飽きさせる。
古賀史健/note より
実は、古賀史健さんを知りませんでした。
「嫌われる勇気」の共著者といわれて思い当たる位しか知りませんでした。
これを見たら少しはわかりました。
丁寧さにはおわりがない。
出来る出来ないはともかくとして
意識することから始めたい。