2018年発行です。
木皿泉は、夫婦二人の脚本家、小説家です。
「すいか」「野ブタをプロデュースする」「セクシーボイスアンドロボ」「Q10」などなどのドラマの脚本を書かれています。

木皿さんの作品は、言葉が生きて泳いでいる感じ。新しい感覚の出会いが私の宝物です。仲里依紗(女優)「木皿ドラマ」の台詞の数々はどのように生まれたのか――伝説のドラマ「すいか」に通じる幻のデビュー作「け・へら・へら」シナリオも収録。「野ブタ。をプロデュース」「セクシーボイスアンドロボ」「Q10」「富士ファミリー」『昨夜のカレー、明日のパン』『さざなみのよる』『カゲロボ』......木皿泉の最新エッセイ集。読み返してみると、脚本家としての、あるいは小説家としての木皿泉の源泉はここにあるのだなぁと改めて思う。我々の作風もまた、節操がない分、偏見もなく、何もかも詰め込んだ、ごった煮のようなものだからだ。こうあらねばならない、というのは私たちにはない。それは人は日々変わってゆくものだと思っているからだ。「思いのほか長くなってしまったあとがき」より
WEBページから
今回の本でも、たくさんの印象的なコトバがありました。
作品を作る心がけが現れています。
そう、結局は面白いものをつくった人が勝ちの世界なんですよ。賞なんか関係ない。視聴率なんかどうでもいい。いかに人の記憶に残るものをつくるか。P136
ドラマや小説のセリフは、借り物ではなくあくまでも自分自身の体験から来ているそうです。
きっとだから見る人の心に響くのでしょうね。
木皿さんのドラマや小説には印象に残るコトバがたくさんありますよね、と褒めていただくことがある。どこから、そんなコトバが出てくるんですかとよく聞かれるのだが、私たちは感心させようと意図して書いているわけではない。自分自身が傷ついたり、苦しいと思っていることがあって、何とかそこから抜け出せないかという切実な思いから、コトバを絞り出す。すべては、自分の問題を解決するために書いている。だから自分の苦しみはそんなに怖くない。自分に声をかけるすべを知っているので、なんとかしのげると思っている。P159
イヤなことがあった時や自分に余裕のないときほど人にはつらくあたってしまうものです。
そんな時に思い出したいコトバです。
私たちはいずれこの世からいなくなってしまう。そんなことを考えた日は、人に優しくできたりするものである。P167
今の自分になるためにはは誰だっていろんなことを経験したはずなんです。一朝一夕にはいかなかったはずなんです。きっと。
悪意を持って思いっきり背中に投げつけられたものでも、リボンをつけて優しく手渡されたものでも、私は受け止めてきた。そのたびに、私は私になっていったんだと想う。P170
人生を他人ごとだと思っているうちはまだ人生を出発すらできていないのかもしれません。
この世には、生きているのにまだ生まれていない人がいるのだと想う。人ごとではなく、自分のこととして受けとめ生き始めた時、人生は始まるのではないだろうか。P172
誰かと一緒に生きられることは本当に素晴らしいことなのかもしれません。
それまで、私は一人で生きていると思っていたが、今は車いすのダンナを通して世の中を見るようになった。世の中は、思っている以上に柔軟で親切だった。P174
あの時のあの味だけはもう味わえないのかもしれません。
子どもたちだけで留守番の時、家にある一円硬貨をかき集め、当時十一円だった饅頭一個を買いにゆき、三人で分けて食べた。あの時の味は、どんなにひもじくても一人ではないという安心の味だったと思う。今、自分で稼いだお金で高級スイーツを買ったりするが、あの時の饅頭ほどには甘くはない。P176
時に人を恨みたくなることも少なくない世の中ですが、きっと、人の幸せと自分の幸せは繋がっているのかもしれません。
人はずっと同じところにとどまってはいないのである。弥生犬のように、満ち足りた顔で、みんなの幸せを願うのが、自分自身が幸せになる一番の早道なのである。P244
あとがきの最後は、こんなコトバで締めくくられておりました。
そして、今、苦しい思いをしているあなたへ。それは永遠には続かないから大丈夫。人はきっと変わることができるはず。この本で、私たちは、自分に向かって、世の中に向かって、そういうことを言いたかったのだと、このあとがきを書きながら今気づいた。P244
また、元気づけられてしまいました。