最初はその良さはわからなかった | 好きなことだけで生きられる

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「好きなことをしてそのことを発信しつづけると、そこに人とお金が集まります」by立花岳志
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初めて映画「男はつらいよ」を観たのは、1980年の1月。
24作目の「寅次郎春の夢」でした。

映画の中に外人が出てきてたのを覚えています。

中学一年生、13歳の冬休みに友達の家に遊びに行った時に友達の家族と一緒に連れて行ってもらいました。

映画は2本立てで、
もう1本は、「神様がくれた赤ん坊」前田陽一監督 桃井かおりと渡瀬恒彦が出演していました。

同棲している男のところに、いきなり子供の父親だと見覚えのない男の子を置いていかれる。本当の父親を3人で捜しまわるお話。

「男はつらいよ」はなんと言っても見るのが初めてでした。

それもあってかとにかく話を追いかけるのが精一杯で、話を味わう余裕がありませんでした。

むしろ、もう一本の映画の方がなぜか心に残りました。

50歳を過ぎるまで、「男はつらいよ」とは無縁の日々が続きました。

そんな感じなので、30歳の時に渥美清が亡くなった時もそれほど心は揺さぶられませんでした。

なぜ、50を過ぎていままで興味のなかった「男はつらいよ」を観るようになったのか。

それは、言ってみればささいなことがきっかけでした。

4年くらい前になるでしょうか。

一緒に良く映画に行く年下の知り合いとの会話の中で「男はつらいよ」の話題になりました。

彼は、

「男はつらいよ」は、観ると昔の女優さんが知れて面白いから観ていますと言うではありませんか。

あと、昔の風俗がわかるのも観ている理由にあげていました。

こちらはろくに映画を観ていなかったので、話を合わせることができませんでした。

知っているのは、よくおぼえていない中1の時に観た1本と、ストーリーがマンネリだという聞きかじりの知識だけです。

これでは、「男はつらいよ」は語れない。

面白いにしてもつまらないにしても、
知らないことには話せません。

よし、これはもう何としても、
もう観るしかないな。

と思っていた矢先に
なんと、BSで「男はつらいよ」の全作放送がやっているのを見つけました。

ただ、気がついた時はもう38作目までが放送されていました。

観れたのは、39作目「男はつらいよ 寅次郎物語」からでした。

しかも、放送はすでに始まっていて、観たのは1時間後ぐらいからでした。

マドンナ役は、秋吉久美子でした。

その後は、見逃すまいとして、しっかり録画予約をして48作目まで無事に観ることができました。

思ったよりはマンネリではないし、なにより寅さんとマドンナとの行く末に目が放せませんでした。

フラレるとわかっているのに。

思ったよりは観ている者を飽きさせない「男はつらいよ」シリーズに好感を覚えていました。

これはぜひシリーズ1作目から見始めた39作目の途中まで観てみたいなと思っていたところ。

何と翌年もう一度BSで、「男はつらいよ」シリーズを全作放送してくれたのです。

よしきた。

もちろん、準備万端。録画予約もセットして、放送される土曜日が楽しみな日々を過ごしました。

こうして、ようやく、無事に全作を観ることができたのです。

1年がかかっていました。

観終わって感じるのは、どの作品も無駄がない傑作揃いのシリーズであると感じました。

渥美清初め、役者が役と一体になって演じていたように感じ、あたかも、寅さんやさくらやおいちゃんおばちゃんが実際に存在していても全く不思議ではない位、存在感がありました。

映画を観る前と後では、「男はつらいよ」に対するイメージが180度変わっていました。

こうして、「男はつらいよ」シリーズは私の人生に欠かせない映画のひとつになったのです。