いつ死のうどうやって死のう -4ページ目

いつ死のうどうやって死のう

毎日死にたい
明日も死にたい

毎日毎日、今日かな?今かな?って地球最後の日を選んでる

わたしはいま人生のどこまで辿り着いたの?

まだまだ辿り着いてないなにかがあるの?

 

世の中のすべてを愛することは

できないことくらいは分かっているから

せめて自分の目の届く範囲のすべてを愛したい

 

なにも壊さないように

特攻以外の作戦を探したい

朝日が昇るのを毎日望んでいたい

ないはずの窓を開けて

この窓からも

朝日が昇るのを信じてる

大事なものはそばに置いてちゃいけない

いつもどっかいっちゃうから

なくなるくらいなら遠くから眺めてるだけでいい

 

ポケモンがどんどん下手になってく

それは大人になったということ

それでいい

 

病気で咲かない桜

病気だからしかたがない

それでいい

表面上取り繕っていても

許せないことばかりで、ずっとそれにとらわれてしまう人生で

そんな人生は嫌だと、なかったことにすればいいと思ったら

離人症になってしまって、さらに生きづらくなってしまった

 

最期の時が近づいた今

連絡がきたのは血縁者である私で

世界で1番許せない人間が、人生で1番困っているからお前が助けろと第三者から連絡があったとき

怒りでも悲しみでもなく、ただただ無な気持ちが込み上がってきた

 

だれも助けてくれなかった

私が組み敷かれているとき、母親は正座をして私を見ていた

顔にツバを吐きかけられて、精にまみれた風呂に入らされて、

夜中酒臭い熱い息をしたバケモノが布団に入りこんできて、手を忍ばされて、

他人にわたしの体がどんな体か、どんなかたちでどんな大きさかを冗談のように大勢に言って、

それを私じゃない私が眺めて見ている

助けてっていっても 誰も助けてくれなかった

それが当たり前のように、誰も無関心で

みんな自分のハッピーに夢中で

私は自分がただの風景のようだと思った


それでもお金には代えられないと

無視を決め込んだ母親と一緒に私はそいつに捨てられたが

結局、そいつは愛人に捨てられ、金だけをむしりとられ、

いきついた先はゴミ扱いした私のところ

 

自分は神の力が宿ってると勘違いして

お前らは俺を崇めない罰当たりだと罵りった人間が

そのゴミにすがるしかなくなっている

宗教ってそういうもん

宗教にのめり込んでるやつ、気づいたほうがいいよ現実に

 

受け止めて消化しなければならない

また誰もまた助けてくれない

また誰もたよれない

 

助けてっていっても、助けてもらえなかった怖さを

世の中の多くの人間がしらない

 

本当に助けて欲しい時ほど

怖くて誰も頼れない人がいることを

世の中の多くの人間がしらない

 

助けてもらえるのが、あたりまえではないこと

そのありがたさ、慣れてはいけない生きる勇気、みんなしらない

 

ただただ無な気持ちしかなく、

淡々と作業をしているような気分で

はいわかりました、と返事をした。たった今さっきのこと。

迫ってくる

はやく動かないと

もう遅い

そんな瀬戸際にいる

小石がパラパラと
ひと粒ずつこぼれ落ちていく感覚
言葉にすると見つかりそうで怖い
でも一人では耐えられない
見つかるか見つからないか怯えながら
穴から顔を出し
辺りを伺って
すぐ見つかっては壊されて
壊されたら手で触って確かめて
もうこれ以上壊されないようにまた深く深く潜るのに
また一人では耐えられなくなり穴から顔を出す
 
モノは壊れる
名前のついてるものはなにかに利用される為についている
あれもこれもその心も
なにかに利用されるために名前がつけられている
 

さんざん言われ尽くしてるけど
声を上げられない人は損だとつくづく思う

周りを尊重して
あれがいい、これがいいを我慢してる人は
報われることが少なくて
わがままな人や
めんどくさいことをもの言えぬ優しい人に押し付けてる人の方が
幸せになってたりする気がする

よく宗教では
周りを見れない自分本位な人ほど不幸になる、みたいな話を目にするけど
ならもっといい世の中になってるはずでは?

ちゃんと自分本位な人ほど不幸になってる?なってないよね

詐欺とか殺人とか
そういうでかい事件は裁かれるけど
それでさえも全体のごく一部で
世の中にはバレてない悪がたくさんあって
真面目な人ほど損する社会になっていて
「悪い生き方は不幸になる」って言ってる神様自身も
あまりに悪が多すぎて人手が足りないから
小さな悪は捌ききれてないんじゃないかと思う

それならバレない程度に
狡賢く優しい人を利用して生きて行った方がお得な気がする
真面目に優しく生きることにはなんの価値もなくて
周りを助けなければ幸せになれるのにそれをせず
それはただ自らが損をする生き方を選択してるだけ、っていうのが本当の世の中のような気がする


そんなことに気づき始めてるけど
わたしにはそれが性格的にできなくて
悪い人が裁かれるのをどこかで待ってるし
そういう他人の人生を考えられないまま生きてるような人にはなりたくないと思ってしまうの

してもらったことは、してあげたい

自分がされていやなことは、したくない

 

小学生でもわかる、そんな当たり前のことが
そんなの何も評価されないのにアホらしい、ただの自慰でしょ?ってなる世の中を
あまり好きになれないから
ちゃんと優しい平和な地球になってほしい

このブログの本題である、「どうやって死ぬか」についてなんだけど、

なんと大学の論文で「お得な自殺」という表題でかつて卒論を書いた学生がいた。

 

この「お得」というのは、コストの意味合いではなく

自殺するにあたってのデメリットがどれだけ抑えられるか

という意味で使われている。

 

「自殺」という本来ならダークなテーマを

「お得」という親しみやすくポップな言い回しで論じている。

なんともグッと来る!

 

 

論文自体は2005年?とか、ずいぶん前のものなのだけど

どの年齢層がどういう自殺をしているとか、その理由が考察されている。

 

この扱いにくいテーマを卒論でOKを出した教授も立派だし、

経済学部と自殺を紐付けようとした学生のセンスもまた素晴らしい・・

 

書いた人は高島裕紀さんというex学生さんなのだが

この論文がゼミの教授である村澤教授の書籍に掲載されていること以外情報がつかめなかった

 

いまどんな人生を過ごしているのか、自殺っていうテーマに取り憑かれて本人も自殺しちゃったのか

それは謎のままだった。

 

情報を求む!

 

https://ymurasawa.web.fc2.com/takashima06.pdf

 

今日の昼
近くのコンビニに買い物に行った
コンビニの店員さんは一人だった
ネームプレートに「店長」って書いてあった
咳をしていた

惣菜コーナーで物色してたら
私と背の同じくらいの女性がいた
70歳くらいだった
ゆっくり歩いていた
帽子をかぶっていた
マスクはしていなかった
ちょっとそこまで、な洋服を着ていた

じーっと惣菜コーナーをみていた
なにを味わうかを悩んでいた
手に取ったのはサラダだった
それを掴んで緑のカゴに放り入れた


その何でもない姿に
母親を重ねる
父親から餌のように与えられるなけなしのお金で
誰のためでもなく
自分が生きるためだけの食材を選ぶ
 

父親は手取りで年収1億ある

父親には別に家族がいる
小さい子供もいる
嫌がらせのように
母親の富だけ増える
しかし富の使い方を知らないので
背中を丸めながら
いつも安いものを長く大事に使って

アムウェイでできたトモダチのために、誰も使わないミキサーを3つも買う

すると
その女性がレジに向かった
咳をしている店長と
マスクをしていない女性が
普通にレジを使っていたのを
ぼんやりみていた

そこで目が覚めた
その女性がタバコを買っていた
母親はタバコを吸わなかった

ここは大阪だ
私と同じ身長だったのと
ちょっとそこまでの服と
ゆっくり歩く姿が
なにかを思い起こさせて
勝手に母親の姿を重ねたことから
目が覚めた

わたしはわたしの買い物をするために
惣菜コーナーを物色した
別のレジで会計して家へ戻って
ドレッシングをかけずに

サラダをそのまま食べた

長いこと苦しんだけど

退院して1年
だいぶ健康的になった
20以上増えたし
事情を話してない人たちは
ただ太ったねって言ってくるけど
前みたいに焦らなくなった
気にはするけどさ
 
仕事が忙しくて
ご飯が物理的に食べられなくなり
ふとした瞬間に爆発的な食欲に襲われ
大量に食べては罪悪感から吐き
今度は自分に対する嫌悪で苦しむ
 
鼻血と微熱が止まらなくて
関節が痛くて
病院にいったら
体も心も常に死にたがってるよって言われて
もうなにもかも嫌で
全部なにもかもおかしくなっちゃって
気づいたら入院していて
気づいたら一年経ってた
普通ってこんな楽なんだって
とても感動したのを覚えてる
 
普通においしいご飯を食べて
夜のんびり電話して
うとうとして眠る
とても普通が私の幸せ
常に自分を見張っていなくてはいけなかった
一年前とは少し変わった
 
どんなに太くても
健康であることのほうがずっと価値があると思う
過食ってほど食べてないのに
すべて吸収してしまうようになった体は
とても憎らしいけど
 
これは、人間の仕組みに基づいた
私の中の人間らしい細胞の部分がもたらした
人間であるがゆえの結果
私のせいじゃない
人間だからしょうがない
そう思えば大丈夫
 
今日を生きるための食べ物
今日を味わうための食べ物