いつ死のうどうやって死のう -3ページ目

いつ死のうどうやって死のう

毎日死にたい
明日も死にたい

生きてきた歴史 選択したもの 全部間違ってた

私は一生 普通にはなれない

あの感覚は 私にはない なりたくもない

この考えがもう 間違ってる

自分が楽しければ 誰を傷つけてもいいのが世の中の真理だ

自分が傷つくだけなら どこまでも我慢できてしまう それがもう病気だ 治らない病気

誰かが自分のために泣いてくれないと 自分を大切になんてできない

私が傷付くことに 傷ついてくれる誰かがいないと 私は私を大切にできない 

ずっとずっと無限に不法投棄できるゴミ箱

平気な顔して生きていくの疲れてきた

疲れた 死にたい 誰にも言えない

心配させたくない 悲しい顔見たくない

みんなみんな大変なんだから 私のことなんかで時間を使わせたくない

私は元気で明るい人間 頼られる側の人間

しっかりしないと しっかりしろ

私は物心ついたころから

生粋のメンヘラなんだけど

幸い全然周りにバレてなくて

入院するときなんかも

「ちょっと出張長引くわ!」とかいって

雲隠れしてたんだけど

 

最近、中学と高校の地元の友達の1人に

自分がADHDであることを話したら

すげー驚いてて

それがなんかちょっと嬉しかったんだよね

 

ずっと鬱やらADHDやらを隠して

「普通」になるために全力をつくしてきた身としては

努力は無駄じゃなかったと

ちゃんと普通の人と認めてもらえていることが

嬉しく感じる


摂食障害もバレてないから

私がデブっても

「おめーはすぐガリガリに痩せれんじゃん笑」

とか

ガリガリでみんなと食事取れなくても

「食えよ!」って

変に気遣わずみんな普通に接してくれて

頑張っててよかったーなんて思ったりもする

人から気を使われるのがすごい苦手

愛され慣れてない

 

三浦春馬が自殺したとき

みんな驚いてたけど

私は他人事に思えなくて

きっと私が死んだら

こんなふうに驚くんだろうなあなんてぼんやり考えてた

 

 

自分が撒いた種で苦むのは幸せなことだから

何もないところでただ落とし穴に落とされ続けるのとは違うから

自由は責任を伴う

美化して絆だと思いこんでいるもの 私には重い鎖に見える

 

苦しい

私はただ幸せな家庭が欲しい

あとは何もいらない

家族が欲しいんだよ

幸せに生きてみたいんだよ

金ならたくさんあるから それ買わせてくれよ

いくらで買える? どこに売ってる?

何度結んでも靴紐を解かれ続ける靴しかない

 

 

あああああ

言葉を紡げるだけ人は自由か

これにはどんな責任を伴うのか

今年は「前世に本能寺の変でも起こしたんか?」ってくらい

1年をとおしてかなりキツイ1年だったんだけど

いろいろ調べているうちに

今年からちょうど5年後に

算命学でいうとこの 大運天中殺に入ることがわかった

 

大運天中殺っていうのは20年つづく人生の乱れみたいなもので

宝くじにあたったような強運が20年がつづくんだって

 

ただその20年が

大変いいものになるか 大変悪いものになるのかは

それに入る前の5年間に左右されるのだそう

 

その5年間が 精神的にキツイものだったら

のちの20年は宝くじにあたったような20年

 

その5年間が いつも通り平穏なものだったら

のちの20年は破滅の20年になるらしい

 

 

ことしは父親が死んだり

お金も人にとられちゃったり

本当に大変だった

 

ずっとずっと

生まれてこなければよかったって生きてきたんだけど

はじめて生まれてきてよかったと思える縁も

ずっとずっと続いていくものだと思ったものも

なんでか強制終了しちゃったから

結局私の人生って いつも振り出しに戻されるよなーとか

大切なものって なんでかいつも何かに取り上げられるようになくなっちゃうなーとかで

「私は大切に思うものをつくってはいけない」って

色々我にかえった1年だった

 

 

それでも大切なものはまだまだあるわけで

これらも取り上げられちゃうのかなーってビクビクしてる

大切にすればするほどなくなるのであれば

そんなもんつくっちゃいけないけど

でも人間だから どんなに抑え込んだって

大切なもんは大切でしかなくて こわい

 

でも今年の1年が のちの20年を楽しく生きるための前払いだと思ったら

うん がんばろう

って一瞬でも思えたから

占いとか霊感商法とか信じないけど

緻密な計算で出された統計学は 信頼してしまう

「なんとなく」「直感で」って判断は嫌いだけど

数字は好き 理論的な話は好き

 

 

神様っているんかな

いるんだと思う

悪いことをしたなら 罰はなるべくちゃんとうけたい

ちゃんと受けてるよね?

なんとなく 直感だけど

誰にも優しくできない

キツい

こんなんじゃないわたしは

違う誰かになりたい

なりたい人もいない

なりたくない人だらけ

キツい

周りの人間の 幸せそうな顔だけを見ていたい

いらない なにも

天国と地獄は 例え話

その人は私に「音楽だけが救いだ」といった

私はその音楽を守りたかったし

自分の方法で守ってきた

その人のひとつひとつの宝物を

どれも無くさないように

うまく誘導して うまく避けて

不器用でうまくできなかったけど

どうにかしてこの素晴らしい音楽を守りたかった

 

その人が音楽を作る理由になりたい

それが私の全力だった

男とか女とか損とか得とかsexができるとかできないとか

最初から最後まで

私には少しも まったく関係なくて

 

その人の中に撒いた種は

私の中で咲いていた

誰からも愛される

聴いたことのない音の鳴る

花を育てようとした

 

その花を

あの人が欲しいと言っていたから

あの人に渡したいと言ったから

それで平和になる世界があるのなら

それでいいよと答えただけのこと

間違いが起こらない世界なんてない

世界平和なんてもんはない

だから間違いが起こらない世界を作るんじゃなくて

間違えても許される、許せる、そんな世界で生きていたい


きっっっったねー

何が1番大事かすら霞んでしまうような

欲望まみれのクソしかいない世界のすみっこからでも

誰からも愛されなくても

ただただ色んなものを愛していたい