完先・アリアリについて
麻雀OFFスレで完先・アリアリについて書き込まれているようなので、僕も考察してみます。
そもそも麻雀には完先・アリアリという概念がないだけでなく、一般的なルール自体がありませんでした。それこそ麻雀卓の数だけルールが存在するような状態でした。(アルシアール・サンマ・ブーetc)
そんな状況の中で、昭和27年に初のリーチ麻雀ルール「報知新聞ルール」が発表され、以降のルールの基礎になりました。
しかし、報知新聞ルールの中の一節「1翻しばり」の解釈について誤解が生まれました。
ルールでは、「アガリは1翻以上が確定していなければならない」とありますが、これは「アガった時に1翻あればよい」という意味でしたが、一部の人々が「副露した時や聴牌したときに役が完全に確定していなければならない」というように解釈してしまい、完全先ヅケルールが誕生しました。なお完先に対する形でアリアリという概念も生まれました。
その後、アリアリルールは関東を中心にほとんど形を変えることなく現在に至りましたが、完先ルールは多くのローカルルールを取り込み、独自の発展をしました。しかし、完先は個人の解釈の数だけ亜流のルールが存在するようになりトラブルの原因となるので、現在では廃れていっています。
(豆知識)よく先ヅケ・後ヅケという言葉がありますが、どこがどう違うのでしょうか?
もともと後ヅケという言葉は存在せず、「後から鳴いて役を作ること」を先ヅケと読んでいました。しかし、完先ルールが誕生した時、「副露した時に役を確定させる」という意味で先ヅケと呼ぶようになってしまったので、混乱を避けるため「後から鳴いて役を作ること」を後ヅケと呼ぶようになりました。
まあこれも完先の弊害の一つといえるのかもしれません。
ここからは僕個人の見解ですが、完先が発達した背景としては、当時は全国的に麻雀の情報があまり流通していなかったことと、麻雀の持つギャンブル性・内向性が原因だと思います。
一昔前ならば、麻雀をやるとしたら知り合いにルールを教えてもらい、知り合い同士という小さなコミュニティーの中でやり続けるので、最初に習ったルールが絶対で、そのルールに対する正当性など考えるはずもなかったのです。
ただ、交通・情報が発達した現在では色々な人と様々な形で麻雀を楽しむことができます。またその為にはトラブルの少ない、ある程度統一されたルールが当然必要であります。よって、不特定多数の人間がやる麻雀のルールのフォーマットはアリアリであるのが好ましいと思います。
「理論」「非理論」「駆け引き」
では、麻雀の状況を表すものには何が存在するのかということですが、それが「理論」「非理論」「駆け引き」の3つです。
まず理論に関しては、自分の手牌・捨て牌・点数状況などや相手の表情など目に見えるものだけでなく、相手の手牌やツモ山の推測も理論的だといえます。
非理論というのは、いわゆる経験則(オカルト)といわれるものです。これは「風が吹けば桶屋が儲かる」程度の理屈で現実的ではなく、高校生程度の数学の知識があれば、正しいかどうかは簡単に判断できます。
しかし、多くの人がこの経験則を信じているというのも事実ですから、それを逆に利用するというのは理論的であるといえます。
最後に駆け引きに関しては、理論と非理論の両方を含みます。
麻雀は常に速く高いアガリを目指す訳ではなく、守備やブラフなどを用いたり、相手の気持ちを読んだりして多彩な駆け引きを駆使して最善の結果を目指すのです。これは理論的だといえます。
ただし、基本的に駆け引きとは人に対して行うもので、麻雀牌(ツモ牌)に対して行う駆け引きは非理論的だといえます。
麻雀というゲームの本質としては、ツモ牌はツモってみるまでは分からないし、相手の手牌も公開されるまでは分かりません。にもかかわらず、ツモ牌や手牌が分かるというならばそれは、イカサマか超能力か嘘つきかと言わざるを得ません。
前回の補足
昨日書いたものに少し補足します。
『「みんなそう言ってるし」「本に書いてあったし」「~プロが言っていたし」』の部分ですが、本当に全てが正しいと思いますか?ほとんどの人は疑ったこともなかったかもしれません。
実は、麻雀が日本に伝来して100年ほど経ちますが、その時々の流行の打法のというものはありましたが、定石の理論化というものはほとんどなされてこなかったのです。それは麻雀=ギャンブルという考え方と関係があります。
いわゆるバクチの胴元という人間にとっては、客の射幸心を煽ることによって寺銭を稼いでいるので、理論的な定石というやつが広まると、射幸性が下がって都合が悪いのです。公営ギャンブルを大っぴらに批判する人間がいないのも同じ理屈です。
そこで、バクチ打ちの間で広まったのが経験則(麻雀で言うとオカルト)というやつです。経験則とはその人の(またはみんなの)考えというだけで、理論的に正しいかとは無関係なのです。
話を元に戻しますが、雑誌やプロが言っていることの多くは定石と経験則が混在してるので、すべてが正しいとは限らないのです。
麻雀も嘘を嘘と見抜けない人には難しいということです。
麻雀におけるデジタル・アナログという考え方について
一時期(今でも?)盛んに議論されていた、デジタルとアナログという考え方を考察してみたいと思います。
ちなみに一般的には、
デジタル:状態を示す量を数値化して処理を行う方式のこと。
アナログ:デジタルに対応する言葉で、連続した量を他の連続した量で表示すること。
分かりやすく言うと、何かの温度を測る場合、
デジタル:連続した量(温度)を、とびとびな値(離散的な数値)として表示する。
アナログ:連続した量(温度)を、他の連続した量(目盛りの長さ)で表示する。
参考:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
これから分かることは、デジタルにしろアナログにしろ、状態を表現する手段であり、表現されるものは基本的に同じであるはずです。(デジタルでもアナログでも表現法は違っても温度は同じ)
ところが麻雀業界においては、
デジタル:運や流れという要素を廃して、効率を重視すること。
アナログ:運や流れという要素が存在するとして、それを読んだり操ったりすること。
ということは、麻雀の状況について、デジタルとアナログでは同じ状況の場合でも捉え方が違うということになります。
仮に温度を例に用いるとする、デジタルで測るのとアナログで測るのでは温度に違いがあるということでしょうか。
この一般的デジタル・アナログと麻雀的デジ・アナ論の矛盾についてどう思われますか?
また、ここから導かれる結論はなんでしょうか?
麻雀は不確定要素と理論が混在したゲームだからデジタルとアナログどちらの考えがあってもいい。
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上の主張を読んで納得した人はいませんか?
違います。本当は麻雀にはデジタルもアナログも最初から存在していないのです。
しかし、なぜ多くの人があると思っているのでしょうか?
「みんなそう言ってるし」「本に書いてあったし」「~プロが言っていたし」
それは、知らず知らずのうちに固定観念という他人の価値観を受け入れてしまっているからです。
では何が存在するのか?それは次に続きます。
キーワードは「理論」「非理論」「駆け引き」です。
点数計算について
麻雀を含めギャンブルの分野では色々な意見や主張をする人がいます。
しかし、『理論的に語ることができる人はほとんどいない』、または『理論的に語ることができるがそれは主流の考え方ではない』というのが現状です。
これから僕がコラム形式ですが、それに挑戦していきたいと思います。
・点数計算について
麻雀の実力を表す目安の一つとして、点数計算ができるかという事があります。
大抵の人は点数表をそのまま暗記すると思いますが、それを理屈で理解できている人はあまりいません。
ちなみに、(符)×2^(翻+2)×(親:6 子:4)です。
よって、子の40符2翻の出アガリの場合
40×2^(2+2)×4=2560≒2600
十の位を切り上げて、2600点となるわけです。
(豆知識1)なぜ翻に2が足されるのか?
この足される2のことを場ゾロといいます。(いわゆるバンバンというやつ)
その昔のルールでは、開門のサイコロがゾロ目であった場合2翻アップという決まりがありました。
しかし、現行のルールにおいては、サイコロの目に関係なく常に場ゾロが追加されるようになりました。
(豆知識2)なぜツモとロンで点数が違う場合があるのか?
それはツモった場合の計算法は、(親:6 子:4)の部分を(親2:2:2 子1:1:2)に分けるからです。
よって、子の40符2翻のツモアガリの場合
40×2^(2+2)×1=640≒700
40×2^(2+2)×2=1280≒1300
十の位を切り上げて、700:700:1300となり、合計2700点となるわけです。