無気力無関心(仮) -231ページ目

統計と期待値について

トイツ場に続いて、これも誤解されやすい「確率」の概念について考察したいと思います。



麻雀や他のギャンブルだけでなく、日常の色々なところで確率という概念が使われています。しかし、確率には2つの種類があることを意識する人はあまりいません。


その2つとは統計(~した確率)と期待値(~する確立)のことで、この2つは厳密には違うものですが、混同して使う人が多く、確率という言葉のイメージを悪くする原因にもなっているようです。



まず簡単な例として天気予報を挙げてみます。


僕の使っている日めくりカレンダーには、過去20年間の統計による天気予報が載っています。


また、yahoo で天気予報を見ることもできます。この2つはどちらも(実際の天気がどうなるかは別として)明日の天気を予想したもので、「過去の天気」と「現在の雨雲の動き」というどちらも事実を元にした予測でありウソではありません。


しかし、ここでどちらのほうが信用できるかというと、当然yahoo の天気予報の方でしょう。



次に、コインの裏・表を例に挙げてみます。コインの表が出る確率と裏が出る確率は常に1/2です。


期待値の観点からいけば、これ以上言及することはありません


しかし、この場合は単純に期待値を信用する人だけではありません。


中には統計的に表・裏の出目の法則を推測しようとする人もいます。



ここで仮に、統計データを元に何らかの法則を発見したとします。


例えば『数百万回の試行の末、表も裏も10回までしか連続して出ることはなかった』⇒『11回目では同じ出目は出ない、11回目は逆の出目が出る』という法則が生まれたとします。


「この法則は数百万回という膨大な試行の結果なので嘘ではありません、この法則を使えば大儲けできます。」と言えば信用する人がいるかもしれません。


また、似たようなものに宝くじやナンバーズの当選番号を予想するツールがあります。



まあ、ぶっちゃけ全てインチキな訳ですが、事実を元にしているのに、何処に嘘があるのでしょうか?


それは、『嘘には三つの種類ある「大きな嘘」「小さな嘘」そして「統計」』という言葉がありますが、その中のの統計の嘘だからです。


この場合、正確な確率(統計)を出そうと思ったら試行回数は無限でなくてはなりません。


そうすれば10回連続で同じ目が出ても、11回目は期待値と同じ1/2という確率が求められるはずです。言い方を代えると「期待値=試行回数無限の統計」になります。



しかし、自分の経験の範囲だけの統計データを、あたかも期待値的なデータのように言う人が非常に多くいます。


さらに、それを疑いもなく受け入れて、さも当然かのように振舞う風潮がギャンブルにはあります。


ちなみに、メディアでは自分の都合のいい範囲を取ったり、見せ方を小細工してデータを捏造することも日常的に行われています。



最後に僕の意見としては、「統計と期待値の違いをきちんと把握して、統計の嘘に騙されないようにしましょう」という事です。

トイツ場について1

今日はトイツ場に関する考察を書きます。


よく麻雀の現場ではトイツ場という言葉を耳にしますが、そもそもトイツ場の定義とは何でしょうか?


A)トイツ系の手役を狙っている人間がいる状況

B)順子を作り難い状況(手牌に刻子として使用されている、捨牌に多く見えている)

C)自分の手牌と同種の牌をツモり易い状況(ツモが勝手にトイツになる)

だいたいこの3つに定義されると思います。


しかし、このA・B・Cの状況は厳密にはまったく違うものであるにもかかわらず、実際には同じものとして扱われているようです。また、Aは人間の意志によってもたらされますが、Cはまったく偶然的なものです。Bは2つの中間にあたるでしょうか



トイツ場に関する議論が行われる際、お互いの主張するトイツ場の定義が違うにもかかわらず、そのまま議論され続けるのでいつまで経っても結論は平行線のままであることがよくあります。

では、A・B・Cそれぞれについて考察していきます。


A)全員がトイツ系を狙ってなくても、トイツ系の仕掛け・捨牌は非常に目立つので意識し易いと言えます。

B)この種の状況の代表的なもの、それは字牌です。なぜなら字牌は孤立していて順子を作ることができないので、常にトイツ・刻子としてしか扱うことができません。


数牌に関して言えば、例えば⑦が4枚見えれば⑦をまたぐ順子は作ることが出来ません。よって⑧・⑨に関しては孤立しているといえます。しかし、⑥より下の牌はどうでしょうか、特には影響はありませんが、強いて言えば⑥が擬似的に老頭牌(数牌の1・9)となるくらいでしょうか。


C)なんだか分からないけど勝手にトイツ・暗刻が出来ていく、ということに関しては別に特別なことではありません。同じ牌は4枚あるのですから当然同じ牌をツモることはあります。


トイツ場だからトイツになる牌が分かるという人もいますが、結論からいくと分かりません。ツモる可能性がある牌を推測することは可能ですが、実際にツモるかどうかは別問題です。(序盤トイツになる牌を多くツモったからといって、終盤もトイツになるかといったらそうではない)



次に、A・B・Cの3つを総合的に考察します。


トイツ場を主張する人は往々にして、『A→B→Cの3段論法またはA・B・Cのループによって手牌にトイツができ易い』と言っている訳ですが、実際にはA・B・Cには相関関係はなく、正しくは『A・B・Cに相関関係があるという固定観念によってトイツを意識してしまう』ということになります。これ程までの思い込みはマンガの読みすぎメディアの功罪ともいえるかもしれません。


最後に僕の見解としましては、『トイツ場を意識する必要はないが、トイツ場を意識している人間は非常に多くいるので、戦略的に利用することが出来る』といったところでしょうか。

夢鬱つ

今日は一日丸まってたよ。


なんか勢い出ちゃって麻雀ネタを書き殴ってみたけど、何も反応ないし、もしかしてみんな引いちゃってる?温度差ありまくり?それ以前に誰も見てない?などと鬱入ってました。


株とパチは仕事でやってるけど、麻雀は100%趣味なんですぐ熱くなっちゃうんです。麻雀打ちというより、ただの麻雀オタクだからマニアックに走りがちなんです。スマソ。


もしよかったら、見ている人は感想でも批判でも何か書き込んでくれると、鬱入らずにすむんでよろしくお願いしたいです。




ここでちょっと気分を変えて雑談でも。


14日は華麗にスルーしたが、今年もチョコは母ちゃんと妹からだけ、魔法使えるようになるのも近いか?


野村克也「野村ノート」 を読む、野球馬鹿にはたまらない内容で非常に共感し感動した。ひょっとして、これも誰もついて来ない?オッサン臭い?


プロフィールに自画像をうp、毛深くてスマソ。


明日からまた、麻雀コラムを再開したいと思います。


理想的なルールについて

はっきり言うと、現在「理想的なルール」なるものは存在していません。


色々な団体・組織で独自のルールを持ち、自分のルール以外には見向きもしていないというのが現状です。さらに言えば、自分の団体の特色を打ち出す為に、わざと他の団体と違うルールを採用しているにすぎません。そこには団体の主張も競技性の追及もありません。 


これでは、麻雀の統一ルールも理想のルールもできる筈がありませんし、そもそもそれに関する議論すらなされていません。


ただここで、僕が理想のルールについて提案をしたところで、多くの人と議論されなくては、それは僕独自のルールであるにすぎません。しかし、その議論の場はありませんので、ここで麻雀の競技性に関して非常に大切な(現在は無視されている)事柄について書きたいと思います。


それは、「打牌に関する不当な制限が多すぎる」ということです。

ルール的なものに関しては例えば、喰い換え・パオ・ツモ牌のない場合のリーチ等です。これに関しては物理的に可能な場合は、打牌に制限をするべきではないということです。これは完先ルールに見られる不当な打牌の制限に関しても同様です。


またルール以外でも、その打牌は無責任だとか卑怯だとかいう理由で打牌を制限される場合がありますが、これも不当であるといえます。なぜならば麻雀は4人でやるという性質上、誰かに都合の良いことは他の誰かには都合が悪いということが十分にありえます。それを無責任だといって非難するのは単なるエゴにすぎません。


結論としては、打牌に関する不当な制限さえなければ、そのほかの部分に関しては選択制(一発・裏ドラ・ダブロン・連荘etc)でもかまわないと思います。

完先・アリアリについて

麻雀OFFスレで完先・アリアリについて書き込まれているようなので、僕も考察してみます。


そもそも麻雀には完先・アリアリという概念がないだけでなく、一般的なルール自体がありませんでした。それこそ麻雀卓の数だけルールが存在するような状態でした。(アルシアール・サンマ・ブーetc)


そんな状況の中で、昭和27年に初のリーチ麻雀ルール「報知新聞ルール」が発表され、以降のルールの基礎になりました。


しかし、報知新聞ルールの中の一節「1翻しばり」の解釈について誤解が生まれました。

ルールでは、「アガリは1翻以上が確定していなければならない」とありますが、これは「アガった時に1翻あればよい」という意味でしたが、一部の人々が「副露した時や聴牌したときに役が完全に確定していなければならない」というように解釈してしまい、完全先ヅケルールが誕生しました。なお完先に対する形でアリアリという概念も生まれました。


その後、アリアリルールは関東を中心にほとんど形を変えることなく現在に至りましたが、完先ルールは多くのローカルルールを取り込み、独自の発展をしました。しかし、完先は個人の解釈の数だけ亜流のルールが存在するようになりトラブルの原因となるので、現在では廃れていっています。


(豆知識)よく先ヅケ・後ヅケという言葉がありますが、どこがどう違うのでしょうか?

もともと後ヅケという言葉は存在せず、「後から鳴いて役を作ること」を先ヅケと読んでいました。しかし、完先ルールが誕生した時、「副露した時に役を確定させる」という意味で先ヅケと呼ぶようになってしまったので、混乱を避けるため「後から鳴いて役を作ること」を後ヅケと呼ぶようになりました。

まあこれも完先の弊害の一つといえるのかもしれません。


ここからは僕個人の見解ですが、完先が発達した背景としては、当時は全国的に麻雀の情報があまり流通していなかったことと、麻雀の持つギャンブル性・内向性が原因だと思います。


一昔前ならば、麻雀をやるとしたら知り合いにルールを教えてもらい、知り合い同士という小さなコミュニティーの中でやり続けるので、最初に習ったルールが絶対で、そのルールに対する正当性など考えるはずもなかったのです。


ただ、交通・情報が発達した現在では色々な人と様々な形で麻雀を楽しむことができます。またその為にはトラブルの少ない、ある程度統一されたルールが当然必要であります。よって、不特定多数の人間がやる麻雀のルールのフォーマットはアリアリであるのが好ましいと思います。