“戦術論”論2
ちょっと間が空きましたけど、『“戦術論”論』の続きです。
今回は、巷の戦術論における問題点の1つ、構造的矛盾について書きたいと思います。
例えば、ある手牌に対して『牌効率』で打牌が選択されたとします。
普通の人は、それを読んで「なるほどー」と思うでしょうね。
そして次のページでは、また違う手牌に対して『ツモ牌の傾向』で打牌を選択されてみたり…
このように様々な戦術(?)が披露されている本を、「さすが○○プロ、勉強になるなー」と崇めるという訳です。
「なるほどー」とか「崇める」とかの部分は、ただのギャグですの無視していただくとして、ある手牌には『牌効率』で、またある手牌では『ツモ牌の傾向』や『手役狙い』『捨牌の傾向』『運の要素』を用いた打牌選択がされるという点に注目していただきたいです。
このような『様々な手法を用いて打牌を行なう』という行為そのものは問題ありません。
自分の思うようにすればいいだろうし、それを非難したり妨げたりする必要もありません。
ただし、戦術論としてこのような形で発表するのには大きな問題があります。
この場合の問題点としては、2つのものがあります。
・選択するという意味
・場合分けという概念
という感じで続きます。(『議論平行線のメカニズム 』も読んでいただけると理解が深まるかもしれません。)