かつての球場紹介(第1回)阪急西宮球場 | こじはるネ申推し、ファイターズファンのブログ

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かつての球場紹介(第1回)は阪急西宮球場です。




施設データ
所在地 兵庫県西宮市高松町
開場 1937年5月1日
閉場 2002年12月31日
取り壊し 2004年9月1日 - 2005年夏
所有者 阪急電鉄
グラウンド 内野 - 天然芝(開場 - 1940年代) 黒土(1950年代 - 1989年) 人工芝(1990年 - 閉場)
外野 - 天然芝(開場 - 1977年) 人工芝(1978年 - 閉場)

旧称 阪急西宮球場(開場 - 1991年3月31日)
使用チーム - 開催試合

阪急軍(阪急職業野球団)
→阪急ベアーズ
→阪急ブレーブス
→オリックス・ブレーブス(1937年 - 1990年※正式な本拠地化は1952年。)
全国中等学校野球選手権大会
→全国高等学校野球選手権大会(中等 - 1946年、高等〔甲子園球場との併催〕 - 1958年、1963年)
大陽ロビンス(1948年 - 1949年)
収容能力
55,000人(開場時の数値)
35,000人(1978年:人工芝完成記念パンフレットより)
40,000人(営業晩年の公式ウェブサイトより)
グラウンドデータ
球場規模 両翼 - 101 m(ラッキーゾーン設置時までは91.4 m)
中堅 - 118.9 m(開設時は120mとする文献もある)


この球場は遊技場である大毎フェア・ランドの跡地に1937年作られた。日本初の二階建スタンドと全面天然芝のグラウンドを持つ野球場として、シカゴのリグレー・フィールドなど当時のMLBの諸球場を参考に設計された。プロ野球創成期からある歴史的な球場である。競輪開催も行われていた。



西宮球場は立地は西宮北口からすぐと良かったが、セ・リーグ人気に押され、観客が伸びなかった。それどころか西宮の阪神戦でも観客5000人しかいない、こともあったという。競輪のほうが潤っており、阪急本社は球団経営より競輪に力を入れていたという。そういう事情もあってか赤字の続く阪急は資産を売却せざるを得なくなり、ブレーブスをオリックスに身売り。売却されるのはブレーブスか宝塚歌劇団かという話で、宝塚歌劇団を優先したという。



オリックスは3年間西宮球場を本拠地とするも、グリーンスタジアム(現在のほっともっとフィールド神戸)に本拠地を移転。本拠地を移転した後も2軍戦や高校野球なども行っていたが、大阪ドーム(現京セラドーム大阪)開業に伴い試合が行われることが少なくなった。1992年アメフトや競輪が催し物の中心に。球場を改修し阪急西宮スタジアムに改名。ところが、人工芝の劣化、競輪ブームが去った影響で、経営状態は更に悪化。時代の波に押され、2002年閉場することになった。跡地には現在阪急西宮ガーデンズという商業施設が建っている。


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上空から見た西宮球場。白亜の宮殿と呼ばれた荘厳な出で立ちが印象的。





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球場正面の写真。勇者のマークが掲げられている。ブレーブスがオリックスに身売りとなり、西宮スタジアムとなったあとは取り外された。





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外野席からホームベース側を撮った写真。球場外観の出で立ちだけでなく、球場内に流れるオルガンの音や1980年代当時は珍しかったオーロラビジョンなど魅力があった。内野席では阪急百貨店の応援団が12球団唯一トロンボーンを使ったゆったりとしたリズムでの応援や主な相手として南海ファン中心にヤジ合戦が行われていたという。外野席は白鶴の広告やビニールの屋根が印象的だったそうだ。ここで、福本の盗塁世界記録、山森のホームランキャッチ、ブーマーのナベQから放った162m弾などの伝説が誕生したのだ。





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西宮北口駅にあったシャッター。球場が取り壊されてから数年経ってもあったという。阪急の選手を模した絵が描かれている。現在はドアとなっている。





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阪急西宮ガーデンズにある西宮球場時代のホームベースのあった場所にあるデザイン。ここには球場があったのだ。





私はこの球場に行ったことがないが、画像を見て行ってみたいと思った。今の球場にない雰囲気を感じたからかも知れない。福本や山田や蓑田やブーマーらが活躍してた時代を見てみたい。