皆様お久しぶりです。
もんもんのおっさんです。
ブログの更新はほったらかしですみません。
昨年の7月上旬に末梢血幹細胞提供をさせていただいてから、もうすぐ1年が経ちます。
実はこの1年間は僕にとって、非常に忙しくもあり、想い入れのある1年でした。
昨年5月に骨髄バンクドナーに適合し、トントン拍子で最速の末梢血幹細胞の提供に至りました。詳しくは過去のブログを見て下さい。
皆様には黙ってましたが、この時に父が入院したばかりでした。コーディネーターさんには伝えておきましたが、容態をみながらの提供になりました。
結果として、適合通知から2ヶ月足らずの最速での提供となりました。
昨年のGW明けから父の闘病生活が始まりまがした。
子供たちを連れ、実家と病院に何度も通いました。
入院中は毎週、会社から二時間かけて病院にお見舞いに通っていました。
そんな中でのドナー適合の電話がきたわけですよ。郵便が基本なのにいきなり電話でしたね。
ビックリでした。
入院中の父に
骨髄バンクドナーやってくるわ!って言ってました。
父は人のためになることはやったらいいねんって、言ってくれました。
そんな父も体調が持ちなおし、8月に退院して実家で生活できるようになっていました。
骨髄バンクドナーの覚悟として、僕は必ず提供することを誓っていました。
ドナーの皆さんがそうだと思います。
父にもしものことがあっても、必ず提供することを誓っていました。
6月になると父の病状も快復してきたので一安心でした。
コーディネーターさんと提供への一歩を踏み出すことができました。
ありがとうございます。
先日、父の満中陰でした。
GW前に逝去しました。
覚悟はしてましたが寂しいです。
でも、よく生き抜いてくれました。
亡くなっても父の掌は温かくずっと手を握っていました。
ありがとう。父ちゃん。
胸にポッカリ穴が空いたもんもんです。
いまだに毎晩、手を合わせてます。
そして、5日後、
若狭ハーフマラソンに出走しました。
会社の先輩たちとエントリーしましたが、もんもんは欠席するはず!っとのことで参加賞の受け取りを済ませてくれてました。
行き違いで僕のゼッケンが見つからずでした。
皆はスタート地点です。
ゼッケンを付けて急いで向かいましたがスタートに間に合いませんでした。
急いでスタート地点に走りましたが、号砲が鳴りました。
でも、むりやり最後尾で単独スタートして、何とか追い付きました!
最後尾からの追い上げ、
なんと、骨髄バンクのタスキのお姉さまの背中が見えてきました!
オサエさんです!
宇治川マラソン以来、2ヶ月振りです。
少し会話して、
オサエさんに
頑張って下さいねー!って言いましたが
この日は無茶苦茶暑かったんです。
父の死から毎晩の深酒で内臓はアルコール漬けで、もんもんのおっさんはでした。
父もこんな感じでしんどかったんかなー。とか考えながら走ってました。
ゴールして、着替えてから
オサエさんとお会いしました。
そして、コウタ君にも挨拶できました。
可愛い坊やです。
生きてるエネルギーと言うか、癒しのオーラが出てました。
父の闘病生活は1年足らずでしたが精一杯生き抜いてくれました。
子供たちもみてくれてました。
病院のドクターをはじめ、看護師さん、スタッフの皆様、本当にありがとうございました。
僕は2017年2月に骨髄提供、
そして2018年7月に末梢血幹細胞提供をさせていただきました。
そして、思うことはやはり命の大切さです。
はたから見たら老人でも、家族にとっては大切な肉親なんですよね。