茨城県神栖市在住の森田衛氏より、平将門の研究論文を投稿頂きました。
今回、13回シリーズの第7節を掲載致します。

新皇将門 ⑦(常世の国の夢を追い求め、純粋に突き進んだ男の生涯)

平貞盛「都(みやこ)」に戻る
   葬儀のために「都」から故郷の坂東に戻った貞盛は、父.国香の遺体を焼け跡から探し出し埋葬した後、郎党に館の再建を命じた。一連の後始末を終えた貞盛は、一度「都」に戻ることにした。なにぶんにも貞盛は、右馬充の官職を奉じ「都」に在勤の身であるため父.国香の葬儀もすんだ以上は、いったん「都」に戻らなければならなかった。
   当時、板東地方から京都への往還には、東海道と東山道の二道が動脈となっていて、東山道は、碓氷峠を超えて信濃を経て木曽路へ出るものであった。
勿論、東山道利用の方が日数はかかる。今回、貞盛は藤原(田原)藤太秀郷の館に立ち寄り父.国香の葬儀のお礼をするために敢えて東山道を選んだ。
秀郷は、貞盛に対して、どうして一人の将門を、常陸源氏の力や、貴方や、また良兼殿まで揃っていて暴動を抑えられないのかと貞盛に問いかけた後に貴方はどうゆう考えでいるのかとも秀郷は切り出した。
   貞盛は、将門の乱暴には目に余るものがあり、これ以上、乱の波及を坐視してはいられない故、「都」への帰路に際して源護殿の訴状と叔父.良兼の上訴文を「都」に訴え出て征伐するしかないというものだった。ようするに朝廷の力で征討軍を組織して将門を成敗するしかないと貞盛は考えていた。

「都」から召喚・出頭命令が出る
   前年の承平5年(935年)に将門を攻撃して3人の息子を失った源護(みなもとのまもる)が「都」の朝廷に訴え出ていたのであった。源護の告訴状は、平将門という者は東国一帯で暴威を振るい私の3人の息子も殺された。このまま放置しておけば東国一帯が不安な状況に陥ります。何卒、平将門を処罰して欲しいと言う内容の将門と真樹についての告状[承平6年(936年)]を提出された。
   この事が元で「平将門、至急都に召喚すべし」と指示書が「都」より出ると言う情報が将門の耳にも入って来た。将門は国庁の役人に護送されて都に行くよりも自分から「都」に行き事態の経緯を話した方が良いと判断し十数人の家人、郎党を連れて20頭あまりの馬に、生糸、絹織物、鹿の皮、米などを積み「都」に向かった。
   「都」に着いた将門は、まず、太政大臣になっている藤原忠平の所に坂東から連れて来た駿馬2頭と絹織物を持ち挨拶に行った。藤原忠平と会うのは6年ぶりであった。将門は6年前忠平の家人で滝口の衛士として務めていた時から忠平には何かに付けて目を掛けて貰っていた。藤原忠平に挨拶を済ませると検非違史庁に出頭した。
    判官の質問に対して将門はひとつひとつ丁寧に答え将門の態度は誠実そのものであった。源護の訴状には、事実とあべこべな事がよくもまあ嘘がつけたものだとびっくりするほどまことしやかにしたためられていた。こうして検非違史庁の役人に対しての弁明が終わった。しかし、その後、何日経っても検非違史庁からは何も言ってこなかった。
   やっと検非違史庁からの裁断が下りた。その内容はこの度の訴えについて、将門を全く無罪にする訳には行かない。たとえ仕掛けられた合戦であっても、やはり源護の息子たちを殺し、火を放ちその営所を焼き払った。
さらに、国香を自殺に追いやった罪は必ずしも軽いものではないが諸般の事情を勘案して微罪に処する。と言うものであり、そのまま拘禁されてしまった。拘禁といっても軟禁状態で「都」から出る事は出来ないが外出も許された。
   裁判が終わると将門は藤原忠平に呼ばれた。忠平は将門にこう言った。「将門よ、しばらく堪えよ。」将門にはその意味がよくのみ込めなかった。
忠平の言う「しばらく堪えよ」と言うのは明年の正月に朱雀天皇のご元服の祝儀が行われる。この時に恩赦があるはずだ。誰と誰を許すかは太政大臣の私に一任されている。忠平はその中に将門を入れる腹であった。
   承平7年(937年)正月4日の朱雀天皇元服の大赦によって全ての罪を赦されて将門は帰国する。将門に勝訴の判定が決まったわけである。
なお、水守営所の平良正に関しては、その後の動向が不明であり、病死か討死したものと考えられる。
   将門は、「都」で一連の取調べが終わり正式な判定が下されたのだからこれで良兼叔父と常陸源氏の源護も納得し一族の争いはなくなると信じていた。
勿論、将門自身も国香伯父も良正叔父も亡くなってしまった今、もうこれ以上の合戦を続けるつもりも無いし、その必要も無かった。
   しかし、良兼と源護は将門を討つことを諦めていなかった。良兼は坂東諸国での将門の異常な人気の高まりに対し、このまま放っておけば今後は確実に平氏の長者の位置を取られると思ったからである。一方の源護は自分の子供たちが殺された恨みを何がなんでも晴らさねばと根強い執念を持っていた。                           
-次回、第8節へ続く。-

2025年(令和7年) 5月19日 森 田 衛 (神栖市)



茨城県立歴史館「常陸平氏」関連講座のご案内いたします。

【5/24(土)開催】「常陸平氏」関連講座は、当日11時から整理券を配布します。

伊勢に行く者、常陸に残る者—桓武平氏の選択—
企画展「常陸平氏」の関連イベントです。
日時|令和7年5月24日(土) 14:00~15:30
場所|当館講堂
講師|当館 飛田英世(展示担当)
定員|150名
当日11時から整理券を配布します。事前申込は不要です。
※総合案内にて、展示室チケットをご購入ください。
※電話、はがき等でお問い合わせいただいても、事前受付はできません。
ご了承ください。