『守ろう 島崎城』

― 島崎城跡を守る会 応援ソング ―

一番                                                       霞ヶ浦に 風が吹く 土塁の上に 陽が昇る
歴史を刻む この大地 未来へつなぐ 城のあと                                   空堀深く 草揺れて 武士の声が 聞こえるよ
みんなの手で 守りたい 水郷の誇り 島崎城

 

【サビ】                                                     守ろう 島崎城  ふるさとの夢                                          未来へ歩こう 語ろう つながろう                                          歴史の道を みんなで守ろう 島崎城
水郷 宝物 笑顔と力を 合わせれば
きっと未来へ つながるさ                                             二番                                                       春には桜 空に舞い 夏は緑の 風薫る
秋には赤く 紅葉して 冬は静かに 月灯る                                     この城あとを 歩くたび 遠い昔が よみがえる
子どもたちへ 伝えたい ここに歴史が 生きている

【サビ】

守ろう 島崎城  先人たちの 想いを                                       歌おう 学ぼう 広げよう 水郷の文化 いつまでも

守ろう 島崎城  みんなの心の ふるさとを
力を合わせて これからも 未来へ歩いて ゆこうよ

三番                                                       城を守った 人々の  勇気と誇りを 忘れない
語り継がれる 物語 お投げの松も 風の中                                     御札神社の 石段に 今日も祈りが 響いてる
歴史を愛する 仲間たち ここに集って 輪になろう

【サビ】                                                     守ろう 島崎城 霞ヶ浦の 空の下
出会って 笑って 支え合い みんなで築こう 明日を

守ろう 島崎城  水郷の光 いつまでも
この町 この夢 この歴史 未来へつないで ゆこうよ

エンディング

夕陽が染める 城の丘  鳥の声だけ 空に舞う
島崎城は 今もなお 静かに私たちを 見守ってる

ああ 島崎城 ふるさとの誇り 永遠に
守る心が ある限り  歴史の灯は 消えはしない

 

二本松寺は

  • 平安時代初期(824年頃)、慈覚大師円仁によって創建されたと伝えられています。
  • 鎌倉時代の建久2年(1191)、**島崎氏初代・島崎高幹(左衛門尉高幹)**が島崎城築城にあたり、現在地に寺を移転させました。
  • 高幹は約1ヘクタールの寺領を寄進し、京都の比叡山にならって**島崎城の鬼門除け(北東の守護寺)**としました。
  • 当時の二本松寺は単なる寺院ではなく、境内を城郭化し、島崎城の支城・砦としての役割も担っていました。
  • その後約400年間、二本松寺は島崎氏歴代の祈願寺として栄えました。

島崎城との位置関係

二本松寺は島崎城の北東側に位置し、中世城郭で重要視された「鬼門封じ」の寺院として配置されたと伝えられています。      これは戦国期の有力領主がよく採用した城郭防衛思想です。

二本松寺と島崎城跡は、クルマ5分の距離です。

あじさい見学のついでに、島崎城跡の散策はいかがでしょうか?
 
 

 

 

 

島崎城「お投げの松継承植樹祭」が開催されました。

島崎城跡の東側に植えられている伝承の「お投げの松」が病気により松枯れしました。

このたび、会員からの寄付により、新たに松を植樹することなりました。

3月21日に「お投げの松継承植樹祭」が開催され会員が20数名集まり、新たな「お投げの松」の順調な成長を祈りました。

 

 

【島崎城お投げの松伝承】

【第1話】

城主の義幹が大切にしていた松の銘木があったが落城の際、奥方のお里の方が城外へ投げ捨ててしまった。これが根付いたのが、現在東門付近(田園)にある松の古木だという。しかし、昭和40年代の「松枯れ病」に枯れてしまい、現在、三代目の松の木が植えられている。                                                

【第2話】

島崎城が落城の危機に瀕した際、城主一族が城を脱出しようとした。                    

追手に迫られた武士が、幼子や大事な品を松の木越しに投げ渡したことから「お投げの松」と呼ばれるようになった。

あるいは、討ち死にを覚悟した武士が、鎧や刀を松に向かって投げ掛けたという説もある。

【第3話】

島崎氏の姫君(あるいは奥方)が戦乱の折に、敵に捕まるのを恥じて松のもとで身を投げた。その松は「お投げの松」と呼ばれ、地元の人が慰霊の祈りを捧げ続けた。この伝説は「女性の貞節」「武家の悲哀」を象徴するものとして語られる。

 

【民 話】

400年も昔、牛堀がいくつもの村に分かれていた頃、島崎村の山の上にお城があった。  そこは、前に夜越川、後に山々が連なった自然の要塞で、それはそれは立派な山城であった。殿さまの名前は、島崎左衛門尉、桓武平氏の流れを組む立派な武将で、たいそう領民から慕われていた名君であった。良く晴れた日のこと、殿様は家来を連れてお堀の外へ田んぼの様子を見に出かけた。まったく偉い殿様で、百姓に交じって草取りまでしていたという。

そんな時、きれいな白い蛇をみつけたお殿様は、もっと近くで見ようと思って、田んぼのあぜ道へ入ろうとした。すると一人の百姓が走り寄って来て「そっちに行くのは危ねえだ」「その蛇は神様の化身だ」と殿さまを止めた。白い蛇を諦めて殿さまが帰ろうとした時、沼地でうっかり足を取られてしまった殿様は、足元に蛇の群れが、うようよと気味悪くのた打ち回っているのが見えてビックリした。やっとのことで沼地から抜け出した殿さまが帰ろうとした、その時、突然家来に近づいて来た白い蛇があった。とっさに家来は、棒で突いて蛇を殺してしまった。その家来は二日後に訳の分からない熱にうなされ、苦しみもだえて死んでしまったそうだ。

1591年、とうとうこの島崎にも、豪族佐竹氏の兵が攻めてきた。この戦いで島崎氏は追い詰められ、最強を誇った島崎城に火の手が上がり次々と燃え落ちていった。

それを見ながら殿さまは、何故か家来の殺した白い蛇を思い出しひどく後悔した。そこで蛇を殺した場所の辺りめがけて、天守から一番殿さまが大切にしていた立派な盆栽の松を投げ落とした。その後、殿さまは城と一緒に滅んだのだが、その盆栽の松はしっかり根付き大きな松に成長した。

しかし、誰もこの松を切ろうとする者もいなかった。ところが土地改良が行われ、松の周りが渇き田になってしまうと、今まで元気だったこの松も、とうとう枯れてしまった。 地元の人たちが枯れた松を切ってみると、まるで蛇が住んでいたかのように大きな室ができていたそうだ。今でも「白い蛇は神様の化身だから金輪際殺してはならない」とこの地方で言い伝えられている。(了)

【伝承の意味】武家の滅亡譚と結びついた「忠節・親子の情愛・主従の義」の象徴。           

伝承としての「お投げの松」は、実際の落城戦の記憶が住民の間で物語化されたものと見られる。