島崎城「お投げの松継承植樹祭」が開催されました。
島崎城跡の東側に植えられている伝承の「お投げの松」が病気により松枯れしました。
このたび、会員からの寄付により、新たに松を植樹することなりました。
3月21日に「お投げの松継承植樹祭」が開催され会員が20数名集まり、新たな「お投げの松」の順調な成長を祈りました。


【島崎城お投げの松伝承】
【第1話】
城主の義幹が大切にしていた松の銘木があったが落城の際、奥方のお里の方が城外へ投げ捨ててしまった。これが根付いたのが、現在東門付近(田園)にある松の古木だという。しかし、昭和40年代の「松枯れ病」に枯れてしまい、現在、三代目の松の木が植えられている。
【第2話】
島崎城が落城の危機に瀕した際、城主一族が城を脱出しようとした。
追手に迫られた武士が、幼子や大事な品を松の木越しに投げ渡したことから「お投げの松」と呼ばれるようになった。
あるいは、討ち死にを覚悟した武士が、鎧や刀を松に向かって投げ掛けたという説もある。
【第3話】
島崎氏の姫君(あるいは奥方)が戦乱の折に、敵に捕まるのを恥じて松のもとで身を投げた。その松は「お投げの松」と呼ばれ、地元の人が慰霊の祈りを捧げ続けた。この伝説は「女性の貞節」「武家の悲哀」を象徴するものとして語られる。
【民 話】
400年も昔、牛堀がいくつもの村に分かれていた頃、島崎村の山の上にお城があった。 そこは、前に夜越川、後に山々が連なった自然の要塞で、それはそれは立派な山城であった。殿さまの名前は、島崎左衛門尉、桓武平氏の流れを組む立派な武将で、たいそう領民から慕われていた名君であった。良く晴れた日のこと、殿様は家来を連れてお堀の外へ田んぼの様子を見に出かけた。まったく偉い殿様で、百姓に交じって草取りまでしていたという。
そんな時、きれいな白い蛇をみつけたお殿様は、もっと近くで見ようと思って、田んぼのあぜ道へ入ろうとした。すると一人の百姓が走り寄って来て「そっちに行くのは危ねえだ」「その蛇は神様の化身だ」と殿さまを止めた。白い蛇を諦めて殿さまが帰ろうとした時、沼地でうっかり足を取られてしまった殿様は、足元に蛇の群れが、うようよと気味悪くのた打ち回っているのが見えてビックリした。やっとのことで沼地から抜け出した殿さまが帰ろうとした、その時、突然家来に近づいて来た白い蛇があった。とっさに家来は、棒で突いて蛇を殺してしまった。その家来は二日後に訳の分からない熱にうなされ、苦しみもだえて死んでしまったそうだ。
1591年、とうとうこの島崎にも、豪族佐竹氏の兵が攻めてきた。この戦いで島崎氏は追い詰められ、最強を誇った島崎城に火の手が上がり次々と燃え落ちていった。
それを見ながら殿さまは、何故か家来の殺した白い蛇を思い出しひどく後悔した。そこで蛇を殺した場所の辺りめがけて、天守から一番殿さまが大切にしていた立派な盆栽の松を投げ落とした。その後、殿さまは城と一緒に滅んだのだが、その盆栽の松はしっかり根付き大きな松に成長した。
しかし、誰もこの松を切ろうとする者もいなかった。ところが土地改良が行われ、松の周りが渇き田になってしまうと、今まで元気だったこの松も、とうとう枯れてしまった。 地元の人たちが枯れた松を切ってみると、まるで蛇が住んでいたかのように大きな室ができていたそうだ。今でも「白い蛇は神様の化身だから金輪際殺してはならない」とこの地方で言い伝えられている。(了)
【伝承の意味】武家の滅亡譚と結びついた「忠節・親子の情愛・主従の義」の象徴。
伝承としての「お投げの松」は、実際の落城戦の記憶が住民の間で物語化されたものと見られる。