波涛の彼方ー小野家の人々ー
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訃報

 去る一月十八日、小生の母親で、小説「小野家の人々」の主人公、原 和子(旧姓、小野和子)が

八十八年の生涯を静かに閉じました。

 母の安らかな寝顔は、それはそれは美しいものでした。横須賀の馬堀海岸で海を眺めながら暮らして

いた母の毎日は、一人暮らしながらも、とても充実していて、息子の僕から見ても羨ましいような生活ぶりでした(大変、質素でしたが)。

 母の死は、母の姉妹以外には誰にも報せていません。母の遺言には、「葬式はするな。戒名はいらない。死んだ時は、姉妹にも報せるな」と書かれてありました。生前の母はよく、「死者は生者を煩わせてはいけない」と申しておりました。

 お母さん、僕を生んでくれてありがとう!そして、今までも、これからも、こんな僕を、ずっと応援し続けてくれたことに、またこれからも応援し続けてくれるだろうことに、深く深く感謝します。

 それでは、お母さん、また会う日まで、さようなら・・・  合掌

                          

                                          平成二十年一月二十九日      

                                                   湯ノ上鎮夫


BROADWAY DANCE CENTER

日本へ帰ってから、しばらくして、裕三は週末の代々木の駅に降り立った。駅はたくさんの予備校生で賑わっていた。明治通りへ向かう小さな改札口を出ると、急に雨が降り出した。日本はすでに梅雨にはいっていた。肩にかけた大きな黒いスポーツバッグから折り畳み傘を取り出して、小さな道をしばらく行くと、明治通りに出る。通りの向こうに目指すビルが見える。車の往来はそれほど多くはない。裕三は、はやるこころを押さえながら、信号が青に変わるのを待った。

 ビルの地下へ通じる階段を下りてゆくと、正面にブロードウェイダンスセンターの受付がある。髪を短くした若い男がカウンターのなかにいる。

「六年ぶりなんですが、また始めたいと思いまして」

「メンバーカードはお持ちですか?」

「これ、十三年前に作ったんですけど」

「だいぶ前から一年毎に更新するようになったんですよ。会員番号は同じままなんですが、新しい会員証を作りますので、次回には写真を一枚持ってきてください」

 左のほうからダンスミュージックが地鳴りのように響いてくる。本館の大スタジオでジャズダンスの振り付けのレッスンが始まったようだ。

「土曜は、ジャズダンスの初級のクラスはないんですか?」

「初級は平日だけです」

「土曜は中級と上級だけかあ。これはちょっと無理だなあ。このクラシックバレエのクラスは初級ですか?」

 裕三はスケジュール表を見ながら訊いた。

「ええ、今ちょうどレッスンが始まったばかりですが、見学しますか?」

「お願いします」

 裕三はかつて通い慣れた初級者用のスタジオへ向かった。細い道をはさんで向かいの建物の地下にそのスタジオはある。階段下のずっしり重たい鉄製の防音扉を静かに押し開けると、中から華やかなピアノの音が洩れてきた。僅かに出来た隙間から体をすべり込ませると、スタジオでは十人くらいの若い女性たちが、練習用のバーにつかまって、クラシックバレエの基本動作を繰り返し練習していた・・・。


 女性ボーカルのスローバラードが、本館大スタジオいっぱいに、響き渡っている。ボーズの大型スピーカーから溢れ出る大音量のサウンドが、スタジオ全体をびりびりと震わせていた。ブロードウェイダンスセンターにはニューヨークから現役のブロードウェイダンサーが、入れ替わり立ち替わり、ジャズダンスの特別レッスンをしにやって来る。その日、裕三はいつものバレエのレッスンのあとに、今まで見学しかしたことのなかったジャズダンスの特別クラスに参加してみることにした。それは、裕三がいくら大躁とはいえ、かなり勇気のいることだった。三十人くらいの若い女性ダンサーにまじって大恥をかくのは目に見えていた。

ストレッチを兼ねた基本動作の練習でレッスンは始まる。体の大きな黒人ダンサーのW先生は、よく響くおおらかな声で次々と指示を出す。裕三も音楽に合わせながら身体を動かしてゆく。すぐに汗がふき出してくる。四十分くらいたって、基本練習の終わったころには、身体はへとへとになっている。短い休憩をはさんで、今度は振り付けの練習が始まった。W先生は何度もお手本を見せてくれる。本場ブロードウェイの振り付けだ。生徒たちは、すぐに先生の動きを真似て、振り付けを覚えてしまう。裕三は、ついていくのがやっとだった。立ったまま、身体をくるくる回転させて、右へ行くところを、左に行ってしまい、何度もぶつかりそうになる。音楽に合わせて、一回三分ぐらいの振りを次々につなげてゆく。仕上げの練習を通しで行うころには、生徒たちの顔は紅潮して、ほとばしる汗は光り、ビートのきいたスローバラードに陶酔の表情をうかべるようになる。いつしか裕三も我を忘れて身体を動かすようになっていた。そうして、祈りにも似た感情がこみ上げてくるのを感じていた・・・。

(了)


ドイツへの旅

平成十三年の秋から年の暮れにかけて、三回ほど日本を離れた。ちょうど五年まえのことである。擦り切れたパスポートには旅の記録がまだ残っている。

 十月二十三日から二十五日にかけてドイツへ、取ってかえして翌十一月二日から四日にかけてマレーシアへ、さらに年も押し詰まった十二月二十一日から二十四日にかけてオーストラリアへと、何かにせかされるように旅をした。躁の勢いは、このとき、日本のみならず遠く異国の地まで及んだのである。

 大躁の大波のなかでの旅だったにせよ、この三度の旅のなかで最も懐かしく、感慨深く思い出されるのは、十七年前に(いまとなっては、二十二年まえのことになるが)卒業したドイツの母校、デトモルト音楽大学のある北ドイツの小都市、デトモルトを訪れたときのことだ。

 自分がムジークアカデミーを卒業したのは、三十歳のときである。ドイツ留学中に、いろいろなドイツ人家族と知り合ったが、なかでも特に懐かしく思い出されるのは、外科医ヴェラー家のことだ。三人の小さなお子さんのピアノ家庭教師をしていたこともあって、家族ぐるみの付き合いをした(自分は最初の妻と二人でドイツに暮らした)。

 十七年という長い時の流れや幾多の人生の浮き沈みをかいくぐって、自分の手帳には、ヴェラー家の電話番号がかろうじて残っていた。或る晩、手帳にヴェラー家の電話番号を見つけるや否や、枕元の受話器に手をのばした。受話器の向こうで、呼び出し音が、「プーッ、プーッ」と鳴っている。その短いあいだに、第一声をドイツ語でなんと言おうかと考える。頭は素早く回転した。

Weller (ヴェラーです)

男の人の声がした。

Harada spricht von Japan(原田です。日本から電話しています)」

 ややあって、

Herr Harada! Wie geht es Ihnen?(原田さん!お元気でしたか?)」

Herr Weller, es ist nach langer Zeit…(ヴェラーさん、お久しぶりです・・・)」

ヴェラー氏の声は昔とちっとも変わっていない。

Nächste Woche werde Ich nach Detmold fahren. Da möchte Ich Sie besuchen(来週デトモルトへ行きます。そのときにヴェラーさんのお宅へお邪魔したいんですが)」

ヴェラー氏は、いつもは落ち着いた声でゆっくりと話す人だったが、この時ばかりは、日本からの急な電話に少し慌てた様子だった。話しているうちに、ヴェラー氏の眼鏡の奥に光る思慮深い青い目、陰影に富んだ表情が鮮やかによみがえってきた。そして、受話器を置いたとたん、自分は思わず「美しい!」と叫んでしまった。この企てにすっかり感動してしまったのである。

 

フランクフルト空港から電車を乗り継いでデトモルト駅に着いたときには、時計はすでに深夜0時をまわっていた。ダウンコートのフードをかぶり、手袋をして、首をマフラーでぐるぐる巻きにした格好で、十七年前と少しも変わらぬさびれた駅前(ドイツの町は城のある旧市街のほうがにぎわっている)に一人ぽつねんと立つ。吐く息は白く、一瞬顔にまとわりつくが、すぐに漆黒の闇に吸い込まれてゆく。靴底から凍てつくような寒さが伝わってくる。やがて、一台の車がゆっくりと近づいて来た。自分は軽く手を振った。

「こんばんは、ヴェラー夫妻。また会えてほんとうによかった」

 夫妻は車から出てきて、出迎えてくれた。「ハラダさん、よくまたデトモルトにいらっしゃいました」

 固い握手を交わす。

「外は寒いから早く車に乗ってくださいな」

 奥さんが後部座席のドアを開けて、自分を手招きする。

「ありがとう。十七年ぶりの再会ですね。お子さんたちもお元気ですか?」

「ええ、三人ともすでに家を出て、いまは夫婦だけになってしまいました」

と、ご主人が言う。あの小さかった子どもたちが、大きくなって独立していたのだ。自分は否が応でも、十七年という歳月を感じずにはいられなかった。

「ヴェラーさん、まだクランケンハウスにお勤めですか?」

「主人はもうすぐ定年ですのよ」

ご主人が口を開こうとすると、奥さんのほうがすばやく返事をしてしまう。ヴェラーさんはいつも一拍おいてゆっくりと話すので、早口でおしゃべりの奥さんのまえでは無口になってしまいがちだった。

「ところで、奥さんはお元気?」

「マリコとは別れてしまったんですよ・・・」

車内は一瞬、沈黙した。

「・・・人生にはいろんなことがあるのね。それが人生だわ・・・」

 ヴェラー夫人は顔を少し曇らせ、ゆっくりと自分に言い聞かせるように呟いた。

 車はデトモルト郊外の高台にあるペンジオーンへ向かっていた。ヘッドライトの光だけが暗闇を照らしている。車はしばらく林のなかを走ってゆく。あたり一面、靄がかかっていて視界が悪い。車は長い坂道をゆっくりゆっくり上がってゆく。やがて、闇の彼方に街の灯がちらちらと見えてきた。

 翌朝、デトモルトの街まで歩いてみることにした。途中、人に聞くと、街まではたっぷり一時間はかかるという。ところが十分も経たないうちに、みぞれまじりの雪が落ちてきた。北ドイツの暗く重い雰囲気に散々苦しめられたことを急に思い出した。ゆるやかな坂道をしばらく下ってから、左にひろがる林のなかの遊歩道へ入る。この小道はやがて小川にぶつかり、ムジークアカデミーの宮殿正面へ通じているはずだった。自分はまた、さまざまな情景を思い起こしていた。日の光に映えるデトモルトの晩秋の美しい森を。雨に濡れた石畳の落ちついた街の佇まいを。なかんずく美しいムジークアカデミーの宮殿を・・・。


「ベッシュ教授のレッスン室は、ウェーバー先生の室に変わっていました」

 その晩はヴェラー家の夕食に招かれた。

「ハラダさんがデトモルトにいたころの先生で、アカデミーに残っているのは、ウェーバー先生ぐらいのものでしょう」

 ご主人はワイングラスをゆっくりとテーブルに置いた。ウェーバー先生はドイツリートの専門で(シューベルトなどドイツ歌曲にはリート解釈という独立した一分野がある)、歌もピアノもよくする音楽家だった。自分も一度教えを請うたことがある。    

「ウェーバー先生は演奏旅行中とかで、残念ながらお会いできませんでした」

 昼間、教室の入り口でばったり出会った若い二人の女学生に聞いて、ウェーバー先生の不在を知ったのである。かつてウェーバー先生のことをあまりよく思っていなかったベッシュ教授の室を、いまこうしてウェーバー先生が使っていることに皮肉とも言える巡り合わせを感じた。ウェーバー先生は当時、女性問題でかなり苦しんでいたが、一方ベッシュ教授夫妻の不仲もまたつとに有名な話であった。

 その夜はヴェラー夫妻のお宅に泊めてもらうことになった。今はもう使われていないかつてのピアノの教え子、マーチンの屋根裏部屋に新しいシーツとともにベッドがしつらえてあった。斜めに傾いた屋根の明かり窓から月の光が射し込んでいる。ベッドの脇には小さな本棚があって、ドイツ語の本がきれいに揃えて並べてある。なかにゲーテの「ファウスト」があった。手にとって月明かりを頼りにページをめくっていくと、

Verweile doch ! Du bist so schön! (時よとまれ、おまえは美しい!)」

 という有名な文章の下に鉛筆で線が引かれている。ファウストはこの言葉を発したために悪魔に魂を奪われて死んでしまうのだが、今回のドイツへの旅の発端で自分もまた己の企てに対して思わず「美しい!」と叫んだことを思い出して、何だか不思議な心持ちがした。


ドイツへの旅もようやく終わろうとしている。あくる日は飛行機の時間に合わせて、かなり余裕をみてデトモルト駅へ向かった。ご主人がクランケンハウスを抜け出して見送りに来てくれた。

「フランクフルト空港駅まで一枚、二時の電車に乗りたいんですが」

 切符売場の男の係員は、しわだらけの顔を上げて、

「二時の電車はケルン経由に変わったから、少し時間がかかりますよ」

 と、しわがれた声で言う。いつもならデトモルトから南下、カッセルを経由してフランクフルトへ向かうのだが、ケルン経由となれば、大きく西へ迂回することになる。

「何時の飛行機に乗るのかね?」

「夕方の六時なんですが、間に合いますか?」

「まあ、ぎりぎりじゃろうな」

 飛行機のチケットは格安航空券だから乗り遅れたら大変だ。ヴェラーさんは、そばでやりとりを聞いていて、

「ちかごろは、アメリカ軍の都合で、すぐダイヤが変わるんですよ」

 と言って、苦笑いをした。

電車はビーレフェルト駅で特急電車に連結されて、スピードを徐々に上げながら西へ向かう。弱々しい太陽が分厚い雲のあいだから顔を出しかけたころ、自分は眠ってしまったらしい。

目を覚ましたのは、電車がごとりと音を立てて、ケルン駅を発車したときだった。急いで窓からうしろを振りかえると、ケルンの大聖堂の尖塔が、低く垂れ込めた雲につきささっているのが見えた。

ここからしばらくは、満々と水を湛えて、悠然と流れるライン川を左に見ながらの旅になるはずだ。


    (平成十八年八月十三日、記)




 


よしこ

鶴見の町はずれの路地裏に、呑み屋よし子はある。あたりが漸く暗くなり始めるころ、店の堤燈にぽっと灯がともる。男は色褪せた藍色の暖簾をくぐった。

「こんばんは」

「あら、原田さん、いらっしゃい」

「何だか雨が降ってきそうだよ」

「もう梅雨に入ったのかしら」

 お店のカウンターには誰もいない。薄暗い電灯が二坪にも満たない店内を仄かに照らしている。ラヂオから夕方のニュースが静かに流れている。カウンターのくすんだ黒い天板に電灯の光がかすかに反射している。

最近足を悪くしたママは少しまるくなったように見える。顔の綺麗な観音様のママだ。ママはカウンターのなかに入って、背の低い椅子にゆったり腰を降ろしている。七十ちかいママの顔が、闇のなかに白く浮かんで見える。

 裕三はビールをたのんだ。ビールはよく冷えていた。

「ママもビールだったね」

「そうよ。あたし、ビールしかやらないの」

「ママも一杯どうぞ」

 裕三はママのグラスにビールを注いだ。

「ありがとう。じゃあ、いただくわ」

 ママはグラスにかるく口をつけた。

そのとき、急に、背にした店の引き戸ががたがた鳴った。

「お客さんかな」

 うしろを振り向いたが誰もいない。下のほうへ目をやると、植木の影が引き戸の曇りガラスに写って揺れている。

「風が出てきたんだわ」

「今夜は、なんだか荒れ模様だ」

 ママは冷蔵庫からよく冷えたビールを、もう一本取り出して、静かに栓を抜いた。ラヂオはいつの間にかニュースが止んで、対談番組に切り替わっている。

「原田さんの背中も、その曇りガラスに写っているのよ」

 目の前の電灯の光が裕三の影をつくっているらしい。

「二種類のお客さんがあってね。先客がいると入ってこない人。客がいないと入ってこられない人」

「よくわかるんだね、ママ」

「お客さんが、お店の前に立つと、その人の影が写って見えるのよ。ちょっと立ち止まって、すぐに行ってしまう人もいるわ」

「店の外と内で、違う影が同時に見えるんだね。なんだか面白いね」

 裕三は、ママ自慢の、ねぎ竹輪の小鉢に、箸をつけた。

     (家族の重さ、第二部へ続く)




鶴見三業地 (家族の記憶、冒頭部分)

 

 首筋になにか冷たいものを感じて、ふと空を見上げると、雪のかけらが幾つも舞い降りてきた。暗い灰色の雲が、空一面を低く覆っていた。

 急に空気が冷たくなってきた。

 男はコートの襟を立てて、寒さをふせぎながら、夕暮れの三業地を、行きつけの中華料理店へと足を速めた。まだ時間の早いせいか、通りに人影はほとんどなく、ニ、三人の客引きの男たちが道の真ん中で立ち話をしている。小料理屋やバーが軒を連ねている或る路地の一角に中華料理「珍味」は赤堤燈をぶら下げていた。

 男はその路地の入り口でほんの少しだけ立ちどまって、明かりのともった看板やネオンの光が色とりどりに重なり合う光景をぼんやりと眺めるのが好きだった。そうするといつも決まって何とも言えない不思議な気分がこみ上げてくるのだった。此処だけは、まるで時間が止まってしまったかのように、物皆すべてが黄昏て見えた。

 男は珍味の赤堤燈に灯がともっているのを確かめてから、きょうもまた、人っこ一人いない路地へ足を踏み入れた。


「おかみさん、雪が降ってきたよ。外はすごく寒いよ」

 裕三はガラスの引き戸を開けて言った。店の間口はほんの一間足らずで、左側の引き戸が、カウンターの端をふさぐ形で固定されている。

「あら、原田さん、いらっしゃい。初雪だわね」

 おかみさんは、カウンターの席からゆっくりと立ち上がった。

「おやじさんはどうしたの?」

「さぶちゃんを連れて散歩に出たんだわ。でも、まだ戻って来ないのよ。さぶちゃんがまた逃げちゃったんだわ、きっと」

 店には、さぶちゃんという名の若い柴犬が飼われている。店の奥のほうに居場所があって、普段はそこにおとなしくしていた。

「さぶちゃんは、おやじさんが嫌いなのよ。自分の思いどおりにならないと、すぐ怒り出すんだから。きょうは何にします?」

 おかみさんはカウンターの中に入って笑顔を見せた。

「熱燗で一本、それに餃子をひとつ」

 裕三は、ガラス戸越しに外の見えるカウンターの席に腰かけて、いつもと同じものを注文した。カウンターは客が四、五人も入ればすぐ一杯になってしまう。が、裕三の来るときは、なぜか相客のいないときのほうが多かった。燗をつけるお湯の音を聞きながら、裕三は、目の前の古びた漆喰の壁を黙って眺めていた。年月を経て繕いのきかなくなった店の造作は、そのまま珍味の老夫婦の過ごしてきた長い歳月を感じさせた。それはまた、人が年を取ることの悲しさと、年を取ることで、初めて得られる安らぎとを同時に表わしているようにも思えた。

「はい、どうぞ」

おかみさんは、熱いお酒の入っている徳利を、ガラスのお猪口と一緒にカウンターの上の台へのせた。裕三はハンカチでそれを受けて、カウンターのテーブルへゆっくりとおろした。ツーンという安酒の匂いが鼻をつく。徳利のなかを覗き込むと、熱いお酒のなかを小さな泡が幾つも上ってきていた。しゅんしゅんという泡の音が、今にも聞こえてきそうな気がする。裕三には、泡が希望を抱いて上ってくるのか、望みが消えて上ってくるのかよく分からなかった。両方の泡が同時に上ってくるような気もした。

「おかみさん、雪もだいぶ降ってきたよ。今日は積もるかもしれないね」

 裕三は外を見て言った。

 するとその時、店の外で「ワンッ」と犬の鳴く声がした。膝の悪いおかみさんは足を引きずりながら引き戸の所までいって、「あら、さぶちゃんだけだわ」と言って、急いで犬を店の中に入れた。外の冷気が一瞬、暖房で温まった空気を押しのけて店内に流れ込んだ。さぶちゃんは自分でニ、三度背中についた雪をふるい落としてから、裕三と少しだけじゃれ合った。そうして、満足したように店の奥の自分の居場所に戻っておとなしくしていた。

「おやじさんはきっと向かいの雑居ビルのメーターを調べてるんだわ。ビルの持ち主が京都へ行ったっきり帰って来ないんで、おやじさんが管理を任されてるの」

「ストリップ劇場があったビルですか?」

「そう、今はもう、やってないけどね」

「鶴見ミュージックでしたっけ。行ってみたかったなあ」

「映画館も閉館しちゃったし、三業地もどんどん寂しくなるわ・・・」


 それからニ、三日して裕三が再び珍味へ顔を出すと、おやじさんがさぶちゃんと一緒に店番をしていた。おやじさんは小柄で痩せていた。また、年のせいか耳がかなり遠かった。

「おかみさんはどうしたの?」

 裕三は少し大きめの声で聞いた。

「今、風呂に出かけた」

 おやじさんは、やはり大きな声でぶっきらぼうに答えた。珍味は棟割長屋のような横に長く続く三階建の雑居ビルの一階にある。夫婦は二階と三階を住居にしていたが、内風呂が無いので風呂は外に出かけねばならない。銭湯は店の裏手を大きく蛇行して流れる鶴見川の川向こうにあった。

「おやじさん、来年も台湾へ帰るの?毎年、五月頃だったよね」

「ああ、そうだね」

 そう言って、おやじさんは遠くを見るような目をした。

「俺の故郷だからね・・・でも俺ももう年を取り過ぎた・・・今度で最後になるかもしれないよ・・・」

 と、中国語訛りの言葉でとぎれとぎれに言う。しかし、眼鏡の奥に光る彼の小さな目には、なにか期するようなものが感じられた。

「台湾の五月も綺麗なんでしょう」

 と、裕三は応じたが、彼はこの時、なぜか返事をしなかった。

「お酒を一本つけてください」

「はい、お酒一本」

 大きな声で、きまじめに復唱して、おやじさんはカウンターの中に入った。そうして、おもむろに燗の準備を始めた。

「俺も若い頃はよく飲んで歩いたもんだ。これもいたしな」と言って、おやじさんは小指を立てて頬をゆるめた。屈託のない笑顔だった。そして、「相手はもちろん玄人だ。俺は玄人しか相手にしねえ・・・」と付け加えた。さぶちゃんは店の奥でおとなしくおやじさんの話を聞いている。

お湯がしゅんしゅんと音を立てている。その音はやがて木魂しながら、裕三の心の底に悲しく落ちていった。


 年が明けてまだ間もない或る日、裕三は深夜の三業地へ出かけた。吐く息が、凍てつくような漆黒の夜空に白く漂う。仄暗い通りの向こうから、客引きの男が肩をすぼめながら近づいてくる。顔見知りのTさんだった。年配のTさんは音も無く道行く人に近づいて、柔らかに響く低い声で静かに語りかける。大抵の男は思わず立ちどまって話を聞いてしまう不思議な力を持っていた。

「珍味のおやじさん、死んじゃったよ」

「えっ、本当?」

「本当だよ。つい先日のことだよ」

「・・・暮れに会った時はあんなに元気だったのに・・・」

「何だか突然のことだったらしいよ」

「そうですか・・・」

 裕三は立ちどまって、どうしたものか少し思案した。気がついてみると客引きのTさんはいつの間にか闇の中に消えてしまっていた。

 珍味はすでに灯りを落として、引き戸は固く閉ざされている。おやじさんの楽しみにしていた、台湾行きはついに果たせなかったかと思うと、裕三の胸は急に痛んだ。目を瞑って店の前でしばらく佇んでいると、真っ暗な店の中から犬の鳴く声がかすかに聞こえてきたような気がした。店は、深い悲しみに、ひっそりと静まり返っているようにも思えた。

        (家族の記憶、第一部へ続く)


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