BROADWAY DANCE CENTER | 波涛の彼方ー小野家の人々ー

BROADWAY DANCE CENTER

日本へ帰ってから、しばらくして、裕三は週末の代々木の駅に降り立った。駅はたくさんの予備校生で賑わっていた。明治通りへ向かう小さな改札口を出ると、急に雨が降り出した。日本はすでに梅雨にはいっていた。肩にかけた大きな黒いスポーツバッグから折り畳み傘を取り出して、小さな道をしばらく行くと、明治通りに出る。通りの向こうに目指すビルが見える。車の往来はそれほど多くはない。裕三は、はやるこころを押さえながら、信号が青に変わるのを待った。

 ビルの地下へ通じる階段を下りてゆくと、正面にブロードウェイダンスセンターの受付がある。髪を短くした若い男がカウンターのなかにいる。

「六年ぶりなんですが、また始めたいと思いまして」

「メンバーカードはお持ちですか?」

「これ、十三年前に作ったんですけど」

「だいぶ前から一年毎に更新するようになったんですよ。会員番号は同じままなんですが、新しい会員証を作りますので、次回には写真を一枚持ってきてください」

 左のほうからダンスミュージックが地鳴りのように響いてくる。本館の大スタジオでジャズダンスの振り付けのレッスンが始まったようだ。

「土曜は、ジャズダンスの初級のクラスはないんですか?」

「初級は平日だけです」

「土曜は中級と上級だけかあ。これはちょっと無理だなあ。このクラシックバレエのクラスは初級ですか?」

 裕三はスケジュール表を見ながら訊いた。

「ええ、今ちょうどレッスンが始まったばかりですが、見学しますか?」

「お願いします」

 裕三はかつて通い慣れた初級者用のスタジオへ向かった。細い道をはさんで向かいの建物の地下にそのスタジオはある。階段下のずっしり重たい鉄製の防音扉を静かに押し開けると、中から華やかなピアノの音が洩れてきた。僅かに出来た隙間から体をすべり込ませると、スタジオでは十人くらいの若い女性たちが、練習用のバーにつかまって、クラシックバレエの基本動作を繰り返し練習していた・・・。


 女性ボーカルのスローバラードが、本館大スタジオいっぱいに、響き渡っている。ボーズの大型スピーカーから溢れ出る大音量のサウンドが、スタジオ全体をびりびりと震わせていた。ブロードウェイダンスセンターにはニューヨークから現役のブロードウェイダンサーが、入れ替わり立ち替わり、ジャズダンスの特別レッスンをしにやって来る。その日、裕三はいつものバレエのレッスンのあとに、今まで見学しかしたことのなかったジャズダンスの特別クラスに参加してみることにした。それは、裕三がいくら大躁とはいえ、かなり勇気のいることだった。三十人くらいの若い女性ダンサーにまじって大恥をかくのは目に見えていた。

ストレッチを兼ねた基本動作の練習でレッスンは始まる。体の大きな黒人ダンサーのW先生は、よく響くおおらかな声で次々と指示を出す。裕三も音楽に合わせながら身体を動かしてゆく。すぐに汗がふき出してくる。四十分くらいたって、基本練習の終わったころには、身体はへとへとになっている。短い休憩をはさんで、今度は振り付けの練習が始まった。W先生は何度もお手本を見せてくれる。本場ブロードウェイの振り付けだ。生徒たちは、すぐに先生の動きを真似て、振り付けを覚えてしまう。裕三は、ついていくのがやっとだった。立ったまま、身体をくるくる回転させて、右へ行くところを、左に行ってしまい、何度もぶつかりそうになる。音楽に合わせて、一回三分ぐらいの振りを次々につなげてゆく。仕上げの練習を通しで行うころには、生徒たちの顔は紅潮して、ほとばしる汗は光り、ビートのきいたスローバラードに陶酔の表情をうかべるようになる。いつしか裕三も我を忘れて身体を動かすようになっていた。そうして、祈りにも似た感情がこみ上げてくるのを感じていた・・・。

(了)