「塩」の世界史➖歴史を動かした小さな粒(マーク・カーランスキー 扶桑社)② | とばっちのお塩のブログ パート2

とばっちのお塩のブログ パート2

お薬を販売する登録販売者を辞め8年前より、非加熱の天日干しのお塩をお伝えしています。数多くのお塩がありますが、美味しいお塩があれば幸せになります。
 ミネラルはミラクルです。
美味しくて元氣が第一です。

 前回①より続きです。

 そのローマ帝国が滅亡した後、イタリアではヴェネツィアが繁栄するが、その鍵の一つがやはり塩だった。そして、当時の製塩に関する技術開発がそれを後押しする。他の都市は塩作りに精を出したが、ヴェネツィアは塩の売り買いがより効率がより効率がいいことを発見し、他の地域から塩を買い入れることに補助金を出した。やがてヴェネツィアの商人たちは塩と香辛料の貿易により地中海を制することになる。

 一方、中世以降のヨーロッパ、そして世界中の庶民を飢餓から救ったのは塩漬けの魚、とくに塩ダラだった。その背景にあったのは、中世カトリック教会の肉食禁止日の制定だった。なんと1年間のうち半分は肉食が禁じられていたのだ。お祈りだけしていればいい坊さんは、それでいいかも知れないが、日々労働する民衆はたまったものではない。それを救ったのが卓越した船乗りであるバスク人による「タラの発見」だった。タラは脂肪が少ないために塩漬けにするだけで保存でき、しかも美味だった。教会が魚食を勧めたこともあり(何しろイエスもペトロも元はガリラヤ湖の漁師だったはずだ)

 塩ダラ料理は全ヨーロッパの食卓に普及した。ちなみにバスク人の開発したタラ漁の技法は第二次大戦後まで標準的な漁法だったそうだ。かくして塩漬けタラとニシンはヨーロッパを飢餓から救ったが、同時に彼らの塩摂取量は驚くほど増え、18世紀には1日あたりの塩摂取量は70グラムに達していたと言う(…当時のヨーロッパ人はみんな高血圧患者だったのだろうか?)

 そして、ヨーロッパで塩鉱業を手中に収め、塩の専売制度を確立したのが あのハプスブルグ家であり、彼らの輝かしい繁栄はご存知のとおりだ。

   …続く