ヘップバーンとは誰のことかとへボン言い | キャリア・読書・人生の窓

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汝の一日、かくの如く終れば、汝の一生もまたかくの如し。
そうだ、今日考えたことを書き留めておくことにしよう。

 3月13日は日本語のローマ字表記の創始者

ジェームス・カーティス・ヘップバーン(へボン)

の生誕日。

1815年 1911年

初の和英辞典の編纂者。

この辞典のためには、日本語をローマ字表記する

必要があった。


       合格


 ヘボン米国長老派教会 の医療伝道宣教師で

あり、眼科医。

聖書 の日本語訳にたずさわり、また初の和英辞典

である『和英語林集成 』を編纂した。

ヘボン式ローマ字 表記は『和英語林集成』中での

日本語の表記法が元になっている。


       合格


 米国ペンシルベニア州 ミルトン 出身。

幕末 に訪日し、横浜 で医療活動を行った。

宣教師デュアン・シモンズ と共に、横浜の近代医学

の基礎を築いた。

その功績を称えて、横浜市立大学医学部 にはヘボン

の名を冠した講堂「ヘボンホール」がある。


       合格


また、東京 明治学院 (現在の明治学院高等学校

明治学院大学 )を創設し、初代総理に就任。

日本の教育にも貢献した。


       合格



・・・・グッ モーニン


~~ああ おはよう


・・・・How are you ?


~~Fine thank you.


・・・・ええとですねー


~~なんだ 今日は全部英語でくると


   思ったが


   これ以上はだめか・・・


・・・・そうね、挨拶ぐらいなら何とかなるけど


    込み入った話になるとやっぱり日本語ね。


    それでへボン先生のことだけど


    眼科医だったの?


~~ そうだ。


    ペンシルヴァニア大学医学部で学び


    ニューヨークで眼科医として開業したんだ。


・・・・・へー。


    それで日本へいつ来たの?


~~ 1859年(安政6年)へボン44歳のとき


    クララ夫人とともに日本にやってきて


    横浜で施療所を開いた。


    当時の日本はまだ異人は生命の保証も


    おぼつかない物騒な時代。


    よく来たね。


・・・・・ で、そんな危ないのに


     あえて来たということは、もっと他に


     本当の目的があったんでしょう?


~~ そうだ。


    へボンの目的は日本にイエス・キリストの


    福音を伝えるためだ。


    それは彼の若いときからの願望で


    あったのだ。


    従って施療はその目的のための手段。


    すべて無料にした。


    ニューヨーク時代に蓄積した財産をそれに


    あてたのだ。


・・・・・眼科以外の診療は


    やらなかったの?


~~ そんなことはない。


    ここが凄いところだ。


    名医の噂に押し掛ける人の


    あらゆる病気を診た。


    その中には


    脱疽(だっそ)に苦しむ歌舞伎の名女形・


    沢村田之助や、ハンセン氏病を病む高橋伝


    の夫などもいた。


・・・・・へー。それは大したものね!


    それで教会は


    やはり横浜に建てたの?


~~ そうだ。 1874年 (明治7年)9月、横浜に


    横浜第一長老公会(現在の横浜指路教会


    を建てた。


・・・・・ ああ、あの横浜・尾上町にある・・・


    指路(しろ)教会ね・・・・・


    わたし毎年、クリスマスイブにあそこに


    行っているわ。


    結局、へボン先生は聖書を和訳する必要が


    あり 辞書の世界にはいったのね。


~~ へボンは岸田吟香(ぎんこう)の協力を得て


    和英辞典も作ったが


    そのためにヘボン式ローマ字表記を生み出し


    また彼の塾から発展した明治学院は、


    のちに島崎藤村などの逸材を


    輩出したのだ。


    

    


        合格   


   



(注)来歴等に関する出典はWikipedia他