3月13日は日本語のローマ字表記の創始者
ジェームス・カーティス・ヘップバーン(へボン)
の生誕日。
初の和英辞典の編纂者。
この辞典のためには、日本語をローマ字表記する
必要があった。
ヘボンは米国長老派教会 の医療伝道宣教師で
あり、眼科医。
聖書 の日本語訳にたずさわり、また初の和英辞典
である『和英語林集成 』を編纂した。
ヘボン式ローマ字 表記は『和英語林集成』中での
日本語の表記法が元になっている。
宣教師デュアン・シモンズ と共に、横浜の近代医学
の基礎を築いた。
その功績を称えて、横浜市立大学医学部 にはヘボン
の名を冠した講堂「ヘボンホール」がある。
明治学院大学 )を創設し、初代総理に就任。
日本の教育にも貢献した。
・・・・グッ モーニン
~~ああ おはよう
・・・・How are you ?
~~Fine thank you.
・・・・ええとですねー
~~なんだ 今日は全部英語でくると
思ったが
これ以上はだめか・・・
・・・・そうね、挨拶ぐらいなら何とかなるけど
込み入った話になるとやっぱり日本語ね。
それでへボン先生のことだけど
眼科医だったの?
~~ そうだ。
ペンシルヴァニア大学医学部で学び
ニューヨークで眼科医として開業したんだ。
・・・・・へー。
それで日本へいつ来たの?
~~ 1859年(安政6年)へボン44歳のとき
クララ夫人とともに日本にやってきて
横浜で施療所を開いた。
当時の日本はまだ異人は生命の保証も
おぼつかない物騒な時代。
よく来たね。
・・・・・ で、そんな危ないのに
あえて来たということは、もっと他に
本当の目的があったんでしょう?
~~ そうだ。
へボンの目的は日本にイエス・キリストの
福音を伝えるためだ。
それは彼の若いときからの願望で
あったのだ。
従って施療はその目的のための手段。
すべて無料にした。
ニューヨーク時代に蓄積した財産をそれに
あてたのだ。
・・・・・眼科以外の診療は
やらなかったの?
~~ そんなことはない。
ここが凄いところだ。
名医の噂に押し掛ける人の
あらゆる病気を診た。
その中には
脱疽(だっそ)に苦しむ歌舞伎の名女形・
沢村田之助や、ハンセン氏病を病む高橋伝
の夫などもいた。
・・・・・へー。それは大したものね!
それで教会は
やはり横浜に建てたの?
~~ そうだ。 1874年 (明治7年)9月、横浜に
横浜第一長老公会(現在の横浜指路教会 )
を建てた。
・・・・・ ああ、あの横浜・尾上町にある・・・
指路(しろ)教会ね・・・・・
わたし毎年、クリスマスイブにあそこに
行っているわ。
結局、へボン先生は聖書を和訳する必要が
あり 辞書の世界にはいったのね。
~~ へボンは岸田吟香(ぎんこう)の協力を得て
和英辞典も作ったが
そのためにヘボン式ローマ字表記を生み出し
また彼の塾から発展した明治学院は、
のちに島崎藤村などの逸材を
輩出したのだ。
(注)来歴等に関する出典はWikipedia他