12月11日は歌人・斎藤茂吉の妻・斎藤輝子の
生誕日。
(明治28年~昭和59年)
斎藤輝子は東京・青山脳病院長・斎藤紀一の娘。
ここに養子となった医師・歌人の茂吉と結婚。
東京のお嬢さん育ちであった輝子は派手好きで
活発な女性で、律儀な茂吉とは価値観や性格が
あわず、輝子の男性問題もあって、別居していた
こともある。
この器の大きい女性が精神科医・斎藤茂太と
医師で作家の北杜夫を育てた。
なにしろ79歳で南極大陸、81歳でエヴェレスト
登頂をやってのけたのだ。
・・・・・なに、なに
79歳で南極大陸、81歳でエヴェレスト?
ホント?
~~ ほんとだ。
輝子の初めての海外旅行は大正13年。
この時、茂吉は欧州で留学中だった。
そこで二人で3か月ほど旅行をした。
・・・・・へー、いいね
わたしも好きな人とヨーロッパ旅行を
したい。
見たい所がたくさんあるし・・・
~~ 輝子が普通の人と違うのは
本格的な世界旅行が始まったのは
65歳(昭和35年)からだったのだ。
輝子は20年間に約100回海外に
出掛けた。
秘境や前人未踏の地が多い。
エヴェレスト登頂、南極旅行、エーゲ海
クルーズなど。
昭和54年時点での旅行距離はなんと
地球と月の2往復分、1,438,800kmという。
一旦決めたら何が何でもやりぬく輝子。
その結果、イタリアでは「歯の抜けた爺さん」
にせまられたり、
マサイ族にべらぼうな記念写真代を要求され
たり、旅先で手術をする羽目になったり
チチカカ湖に落ちたりした。
なにしろ一番乗りやドラマチックな体験が
大好きで、息子たちにおくれをとるまいと
した。
この辺は長男で精神科医の斎藤茂太氏の
著書に詳しい。
また孫の斎藤由香さんが書いた
「猛女とよばれた淑女 」 ―祖母・齋藤輝子の生き方― (新潮社)
いわく どうしたらおばあちゃまのように 強く生きられるのですか――。 大病院のお嬢様として乳母日傘で育ちながら、 明治女の気骨をもって、関東大震災、 東京大空襲など次々起こる困難を毅然と乗り越え、 89歳で亡くなるまでに海外渡航数なんと97回、 地球36周分を旅した齋藤輝子。 波瀾の生涯を人気エッセイストである孫娘が綴る。
(注)来歴等に関する出典はWikipedia他 |