特別企画「令和6年 新指定 国宝・重要文化財」(〜5/12)
今月上旬に見てきました
はたして今年新たに重要文化材に登録されたこちらは、護良親王の直垂なのでしょうか…
結論:説明文では護良親王ノータッチでした。
しかし情報の端々から得られる情報から、勝手に推察。
「きっとこちらを召されるのは宮さま以外にはいない‥(鎌倉時代にこんなに高身長な方)」
国宝・重文(新登録)のエリアは撮影禁止のため図録から写真をお借りして‥
赤地牡丹唐草紋錦直垂 一領
附 赤地牡丹紋錦旗 一旒
湯川宗光譲状 一通
南北朝~室町時代
東京国立博物館
展示に添えられた説明では、まず始めに
「赤地の錦の直垂は、大将級の者だけが着用を許されたもの」であることが書かれていました。
(ふむふむ、大塔宮護良親王は大将なのでもちろん召されて当たり前。そもそも“伝護良親王の直垂模造”と同じデザインだし?)
しかも「この直垂は錦旗一旒とセットだった」、と。
(え。錦旗ってもう。天皇の軍の旗。護良親王の可能性が高まりました~。日か月のどちらかが一枚あったのかな。その旗は展示無し。)
からの、「足利義持の裏書安堵を伴う譲状から、この直垂と旗が応永二十二年(1415)年に湯川宗光から、嫡子の満春に譲られたことが知られる。」
(紀州の湯川さんじゃん。熊野のあたりで敵だったり南朝についたりしてたから、護良親王のことよく知っていたはず。)
はっきりと大塔宮着用と記録して伝えることができなかった時代背景を考慮にいれてみても、護良親王のものと言える要素はいくつも散りばめられているのでは、と勝手に解釈しました。
決定打となるサイズも記載あり。
(直垂)身丈 77.0 裄 91.0
(袴)総丈 99.0 腰幅 51.0
この直垂をお召の大将は、身分が高い上にかなりの高身長の御方ですよ
現代のサイズチャートと比較しても、こちらの持ち主は推定身長180cmは確実
ほらあ、もう【大塔宮護良親王直垂】でしょう
(翡山弓組店さんの写真をお借りしました)
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