8月11日の木曜日、お盆休みの小旅行ということで、岡山県岡山市にある吉備津神社に行ってきました。今回はその記録。吉備津神社の写真と覚書を残しておきます。
連日猛暑の日が続く毎日、この日も大阪府では例によって熱中症警戒アラートが発令されていましたが、午前中に確認する限り岡山県にはアラートは出されていませんでした。新幹線で新大阪を出発し、相生を越えて岡山県に差し掛かるや否や、にわかに空は暗い曇天模様に変わります。
この日の岡山は日差しが弱い分、比較的過ごしやすかったのだと思われますが、曇天はなかなか寂しいものがあります。雨雲レーダーを見ていると部分的に雨が降っています。「晴れの国、岡山」などと言われますが、残念ながらこの日はお天気は悪いです。
JR岡山駅で新幹線を降り、JR吉備線(通称桃太郎線)に乗り換えます。吉備線の列車は二両編成の小さい車両で、電化はされておらず、気動車のようです。乗客はそれなりに多く、閑散としている雰囲気はありません。
JR西日本では現在1日2,000人未満の路線は廃止が検討されているようですが、吉備線は1日4,000人~8,000人とのことで、乗車率もそれなりに高い区間のようです。ローカルな鉄道車両に乗って岡山駅を出発。4駅目の吉備津駅で下車し、吉備津神社に向かいます。
吉備津駅の駅からしばらく歩くと、吉備津神社の鳥居が見えてきます。
ここで早速アクシデント。いつものデジカメを使おうとすると「レンズエラー」が発生したとのことで、デジカメが起動しません。2008年に購入し14年間使い続けているコンデジ(キヤノン IXY 20IS)で、使い慣れていて重宝しているカメラなのですが、ついにガタがきはじめたようです。
仕方がないので今回はスマホのカメラ(SHARP AQUOS SHV45)で撮影。使い慣れていないせいや、設定の問題もあるのかもしれませんが、14年前のコンデジと比べてもかなり画質がショボいです。軽量でどこへでも携帯可能、ポケットからサッと出して指1本でズームし、一瞬で撮影できるのがコンデジの魅力ですが、それに比べてスマホのカメラは、パスワード解除→アプリ起動→指2本でズーム(これが異様に面倒くさい)→ディスプレイを押して撮影(爪が当たってやりにくい)と、良いことが全くありません 笑。
この鳥居以降、今回の旅行の写真はすべてスマホで撮影したものです。撮影のテンションがダダ下がり(笑)の中、神社に向かって歩きます。
こちらは吉備の中山。
大和朝廷が派遣した吉備津彦命(きびつひこのみこと)が、この山に住む鬼神を退治したという伝説があるとのことで、この吉備津彦命が後に桃太郎の原型になったとの解説。桃太郎もさかのぼれば、古代日本の国威発揚と関わっているキャラクタのようです。
こちらが吉備津彦命。
銅鐸にキャラが描かれています。
高松は付近の地名です。(備中高松)
神社への参道は松の並木になっており、よい雰囲気。
こちらが吉備津神社の入口。
提灯が並ぶ階段を上がると、早速本殿の建物の内部につながっています。
こちらが吉備津神社の本殿&拝殿。
横側(側面)から撮影したものです。この写真の右側が前面(拝殿部分)になります。
本殿&拝殿は1425年(室町時代)の再建で、国宝に指定されています。本殿の内部は天井がたいへん高く、荘厳な雰囲気がありました。
敷地内の様子。
吉備津神社は備中一宮で、旧官幣中社です。神社の解説によると崇神朝からの由緒ある神社とのことですので、4世紀ごろにさかのぼるようですが、いつのことやら分かりません。文書に見られるのは847年からとのことで、平安時代には存在しており、延喜式では名神大社となっています。
本殿は日本唯一の吉備津造と言われる様式らしく、たいへん貴重なものです。本殿の内部を見るためだけでもこの神社に訪れる価値はありそうです。近世になると長い回廊(あとで触れます)が建設され、門前町も栄え、山陽道の中でも重要な街であったようです。
岡山といえば桃太郎。吉備津神社のおみくじ販売所も桃太郎がデザインされていました。
上記の通り桃太郎は吉備津彦命が由来のようですので、吉備津神社は桃太郎ゆかりの神社ということもできそうです。
そして最終的におみくじはこうなります。
合格祈願の願い事が多いのかな?
祈願トンネルなる謎の絵馬の奉納所も。
「このトンネルをぬけると陽光うららか花の園!」などと、熱いメッセージが記載されています。
さて、こちらが16世紀末ごろの造営と言われる回廊です。
回廊は400メートルほどあるとされ、本殿といくつかの末社を連絡しています。なかなか良い雰囲気の回廊で気に入りました。
回廊を横側から見たところ。
良い雰囲気ですね。
回廊には地元の小学生が制作したと思われる提灯が取り付けられていました。
いくつかの提灯の写真を並べてみます。
世界平和は大事ですね。
「夕立ち」とのことですが、描かれているのはなぜかピッコロさんと孫御飯。自分が子供のころのマンガですが、今でもドラゴンボールは人気なのですね。
こちらは「ともだち」の表記とともに、「おにカート」と言われる謎の絵が描かれています。鬼も友達、仲良しは大切です。
個人的に気に入ったのはこちら。
神社と税金、何やら面白い組み合わせです。…確かに税金は大切です。
回廊はかなり長く続きます。
回廊の横に会った広場。
弓道場でしょうか?
こちらは御竈殿。
1612年の再建。古代の台所の様式が残されている建物なのだそうです。伝説によるとこの竈の下に吉備津彦命が退治した鬼の首が埋められているのだそうです。
回廊の北側、道路を隔てた平地の部分には末社である宇賀神社があります。
小さい橋を渡って池の中に入っていきます。
宇賀神社。
おそらく比較的新しい神社です。
この付近が良い雰囲気でしたが、曇天&スマホカメラのショボさ故、写真はいまひとつ。
宇賀神社から遠目に見る本殿の様子。
山から屋根部分が見えているのが良い雰囲気ですね。
吉備津神社は犬養毅(岡山県出身)とも関わりの深い神社のようです。
こちらは入り口部分の表示。
大正3年1月に何があったのか。看板で隠れており見えません。
裏にまわると「犬養毅 書」の文字が。
看板で文字を隠される、かわいそうな犬養毅 笑。これでは犬養も浮かばれません 笑。
調べてみると1914年(大正3年)に吉備津神社は官幣中社に昇格したとのことなので、それを記念しての碑なのかもしれません。
こちらは西側の入口にあった表示。
こちらはちゃんと犬養毅の字が確認できます。
こちらが犬養毅の像。
空模様の問題とカメラの性能の問題で、誰だか全然分かりません 笑。(この写真の撮影時にちょうど雨が降り始め、コンディション的には一番悪い時間でした。)
像は昭和9年(1934年)に建てられたとのことですので、犬養の死の2年後です。犬養毅の生家もここから南に3キロの地点にあるのだとか。解説によると犬養毅の祖先は犬養健命(いぬかいたけるのみこと)と言われ、吉備津彦命の随神なのだそうです。地元では犬養の神格化がなされています。
その他、いくつかの碑など。
藤井高尚の碑。
犬養像のすぐ隣にありました。この写真ではやはり何やらまったく分かりません(笑)が、藤井高尚は18世紀後半~19世紀前半にかけて活躍した国学者とのこと。本居宣長の弟子で、平田篤胤とも親交があった人物です。
皇太子殿下御参拝紀念桜樹。
大正15年(1926年)とのことですので、昭和天皇が皇太子の時代にこの地に訪れたようです。1926年は昭和元年でもありますので、即位の年です。
皇太子殿下御降誕記念樹。
文字がかすれてよく見えませんが、12月23日の表記が確認できますので、今の上皇の生誕記念のようです。
岡山一中吉備津教場跡。
1945年の空襲の際に、一時的に学生はこの地に疎開し勉強していたとのこと。
殉国烈士の碑。
こちらは兵士の慰霊碑のようです。どこに行っても空襲や慰霊の碑が見つかるのが戦後日本。
揮毫は松平永芳とのことで、70年代後半~80年代の靖国神社の宮司です。A級戦犯を靖国に合祀してしまったことでも有名な人物。
殉国烈士の碑の横にあった、「世紀の鳥」と題された歌碑。
イラストが手塚治虫の「火の鳥」に酷似していますが、大丈夫なのかな。
ということで、吉備津神社の様子でした。天候とカメラのコンディションに恵まれませんでしたが、雰囲気はたいへん良くて、また訪れたい神社です。近隣には犬養毅の生家や、臨済宗の僧である栄西の出身地などもあるようですので、再訪もまた楽しそうですね。