感覚の領域 今、「経験する」ということ (国立国際美術館) | れぽれろのブログ

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2月26日の土曜日、「感覚の領域 今、「経験する」ということ」と題された展示を鑑賞しに、中之島の国立国際美術館に行ってきました。
 

・感覚の領域 今、「経験する」ということ
https://www.nmao.go.jp/events/event/sense/

この2週前には、このたび新たに開館した大阪中之島美術館に行ってきました(→こちら)ので、再び中之島です。中之島美術館は開館直後ということもありそれなりに混雑していましたが、国立国際美術館の現代美術の展示はいつもの通り?空いていて、のんびり鑑賞することができました。
以下、本展の覚書と感想です。

 

 

鑑賞前にまずは年間パスポートを購入しました。自分は昔から国立国際美術館の展示が好きで、長らく友の会の会員を継続していましたが、ついに会員の有効期限が終了しました。

現在国際美術館では友の会の入会・継続は中止されており、代わりに年間パスポートを購入することにより、国際美術館と京都国立近代美術館の特別展示が各1回1年間無料で入場できるという形になります。これは友の会を引き継ぐもののようでですが、友の会の特典であったイベントの優先予約はなくなり、住所登録がないので冊子の郵送もなし、定期的に刊行される「国立国際美術館ニュース」の配布もありません。しかも友の会の年会費は3,000円でしたが、この度の年間パスポートは5,000円で、ざっくり言って金額のアップとサービスの低下です。
国立美術館もコロナやら何やらで事業維持がたいへんなのかもしれません。この度新しく中之島美術館もできたことですし、ついでに国際美術館に立ち寄るお客さんも増えればいいなと思います。また友の会制度が復活することを願いたいと思います。


今回の「感覚の領域」展は、日本のアート作家7人による展示で、タイトルの通り感覚がテーマとのことです。純粋に視覚(目)を考える作品から、全身の感覚を使って鑑賞する体感的な作品、記憶や思考を動員する作品まで、幅広く感覚をテーマにするという趣旨の展示のようです。
元来美術は視覚的なものですが、古い時代はとくに絵画の場合は何が描かれているかという主題が重要でした。近世から近代に移り変わるにしたがって、何を描くかよるどう描くかが重視されるようになり、絵画作品は主題から視覚へと全般的に移行していき、その極北が20世紀中盤の抽象表現主義芸術です。

逆に20世紀半ば以降はコンセプチュアルアートが増え、再び美術は視覚からコンセプトへと傾斜していき、さらには視覚以外の感覚を重視するインスタレーション作品も増えてきました。そのような中で今現在における視覚・それ以外の感覚・コンセプトが、各作家においてどのように考えられているのかが、本展でおぼろげながら浮かび上がってくるような展示になっていたように思います。


個人的に最も面白かったのは名和晃平さんの作品です。これは純粋に視覚的な面白さを追求した作品と言ってよいのではないかと思います。
名和さんの「Dot Array」と題された連作は、黒い画面に緑・紫・ピンクのドットを並べて描いた作品で、パッと見た感じ、眼を閉じたときに瞼の裏に浮かんでくる光の残像をパターン化した形に見えてくるような印象です。

各ドットは色ごとに平行に規則的に並んでいて、3色それぞれで微妙に平行軸がずれています。これにより、3色の色が重なる部分と重ならない部分が生じ、全体を俯瞰して見たときに密度の低い部分(黒が優位の部分)と密度が高い部分(色が優位の部分)が現れます。さらに作品番号がアップしていくに従い、ドットが徐々に大きな円になっていきます。円が大きくなると実は各ドットの平行軸はそれほど正確ではなく、フリーハンドで割とアバウトであることが分かります。
非常に抽象度の高い視角優位の作品ですが、かつての20世紀半ばの抽象表現主義作品に比べると手法の点で新しく感じる他、とくに色のチョイスが全く違う点が面白いです。かつてはこういった抽象作品は原色中心の色の組み合わせが多かったですが、この作品は淡い色彩がチョイスされています。(色彩の淡さは2019年に当美術館で特集されていた「抽象世界」展でも感じたことで、近年の抽象芸術の一つの特徴なのかもしれません。)
1枚の絵に近づいたり離れたり、連作をぐるぐる巡ったりしてみていくと楽しく、純粋に見ることの面白さを体感できる、楽しい作品になっていたように思います。名和さんはもう1作、「Line Array」という線が並ぶ同趣向の連作作品も展示されていました。こちらも楽しい作品ですが、個人的には「Dot Array」の方が観察するのが楽しかったです。

あと2名チョイスするなら、藤原康博さんと大岩オスカールさんの作品が面白かったです。このお二人の作品はどちらかと言えば視覚性よりテーマ性が強い作品で、あれこれコンセプトについて考えながら鑑賞できる作品でした。
藤原さんは絵画を中心に様々な作品が並んでいましたが、特に印象に残るのが山を描いた連作作品と布団を描いた連作作品です。青色メインで描かれたいろいろな山はパッと見ると心地よい作品ですが、作品によってはそこにデペイズマン的に不思議なものが描かれていたりと、どことなく不穏な雰囲気も漂ってきます。一方の布団を描いた作品は布団の盛り上がりを近距離で描写した作品で、山の作品と並べて鑑賞すると面白く、布団という日常の中にあるミニマムなものが1つの大きな世界に見えてきます。山も布団も1つの世界であり、両者が等価に見えてくるのが不思議です。

シュルレアリスム風の作品もあり、鳥を描いた作品などは1羽の鳥への光の当たり方が不思議で、マグリットの「光の帝国」などを思い出しつつそれでいてなんとなく新しさをも感じさせる作品。
そんな中、天皇陵と思われる森を描いた作品(堀の向こうの森に小さな鳥居が見えるのでおそらく天皇陵)や、サブタイトルが「神武東征上陸の地」となっている山の絵(紀伊半島の山か?)もあり、突然国家と神話的なものが立ち現れてきて、パーソナルなものからナショナルなものへの振れ幅も楽しめる展示になっていました。

大岩オスカールさんは唯一既知の作家でした。大波を描いた大画面の作品が目を引きますが、個人的にはコロナ下の作家自身の経験を描いたと思われる連作「旅に出よう」のシリーズが面白かったです。本展は2020年にコロナの影響で一旦延期になり、今回改めて展示が再開されたという経緯があるようで、おそらくは作家自身のそのときの展示変更による影響が作品化されているものと思われます。
大阪での本展のミーティングが延期になった際に描かれたのは新世界の中心部で、通天閣の真下の風景だと思われますがなぜか上にある通天閣は消えています。グリコの看板が写りこむ道頓堀川を巨大なタコ焼き船が走り、それをかに道楽の巨大ガニが狙う作品は、ステレオタイプな大阪感ながらユーモラスで楽しいです。
コロナ下のニューヨークの風景を描いた作品では、コロナ不況の中で職を求めて並ぶ人たちを描いた作品が面白く、、大恐慌下のウォーカー・エヴァンスの写真などで見たような風景ですが、人々がソーシャルディスタンスを取っているのが現代的。キッチンの食材が牛や鶏や畑に変わる作品などもシュルレアリスティックで面白い。
ラストはこの作家お馴染みの国の地形を擬人化したような作品が登場、中国からやってきたコロナに日本、アメリカ、イギリス、フランス、スペイン、インド、ブラジルなどが向き合うような作品になっており、またしても国家的なものが立ち現れてくる点が面白いです。


ここに紹介した3名の作家さんたちは、どちらかというと視覚や主題を重視した、本展の中ではやや古典的な部類の中に入る作家さんだと思います。本展ではこの他にも、もっと体感的であったり鑑賞にコツが必要な作品があったりで、こちらの作品たちの方が現代的でチャレンジングなものだと思いますが、個人的にはのんびり鑑賞して楽しめるこの3名の作家さんの作品が楽しかったです。
多くの鑑賞者はおそらくはフラフラと物見遊山でやってきている(自分もそう 笑)ので、ふらっと見に来て楽しめる作品は重要です。そういう意味では鑑賞に緊張を有したり技能の習得を有する作品は新しくて現代的なのかもしれませんが、人を選ぶという点で普遍性は薄れていくのかもしれません。
本展は体感的な作品が好きな人も、古典的な作品が好きな人も楽しめる展示になっていますので、ご関心のある方は本展を訪れ、視覚・主題・体感それぞれの現代的な立ち位置を考えてみるのも面白いと思います。