大阪市 東西南北の端っこを見に行く | れぽれろのブログ

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よく日本最○端とか、本州最○端とか、東西南北の端であることを謳う土地があります。近畿圏なら、本州最南端の潮岬(串本)などが有名ですね。
なかなかこういった極点まで行くのは難しいですが、近場の極点を訪れてみるのも面白いかも。
ということで、大阪市の東西南北の極点、大阪最北端、最東端、最西端、最南端を見に行ってみることにします。
それぞれの端っこはどのような土地で、どうなっているのでしょうか?

google mapで大阪市の領域を表示させると以下の図のようになります。

少し線が薄くて見にくいですが、赤い線で囲まれた部分が大阪市の領域です。
このうち、赤い丸でプロットした部分が、大阪市の東西南北の端っこになります。
この4か所を訪れ、周辺の様子などをまとめてみたいと思います。
訪問はいずれも9月下旬です。


(1)最北端 東淀川区 井高野

まずは最北端です。

地図を拡大すると以下の通り。


大阪市の北側は神崎川が流れており、神崎川を超えると吹田市、豊中市、尼崎市になります。
神崎川のさらに上流が安威川(あいがわ)で、大阪市の北限は東淀川区、安威川の南の井高野(いたかの)という場所、この安威川を越えると摂津市になります。
上の地図の赤で囲ったあたりが北の端っこ、最寄り駅は地下鉄今里筋線井高野駅です。

以前大阪市24区の区役所を見に行く記事で、東淀川区の区役所周辺は郊外の市役所のある場所のようであると書きましたが、東淀川区の井高野周辺は郊外の住宅地の趣きで、とくに集合住宅が目立つ場所でした。


地下鉄今里筋線井高野駅の出入口。

今里筋線のラインカラーはオレンジ色。このため出入口も非常に目立つオレンジ色になっています。
なお、今里筋線は2006年に開業した新しい路線です。新しい路線の割に各駅の駅名は非常に普通で、いわゆるキラキラ駅名は付けられておらず、このあたり大阪地下鉄はなかなか保守的で好感が持てます。(「だいどう豊里駅」は若干キラキラっぽくみえますが、これは大道(だいどう)と大桐(だいどう)の2つの地名があるが故の折衷案としてのひらがな化です。)


周辺は集合住宅が目立ちます。一戸建てもあることはありますが、集合住宅の方が目立ちます。

少し古い団地群もあれば、


比較的近年の物と思われるデザインのマンション群もあります。


 

古めの一戸建て+新しめの一戸建て+古めの集合住宅+新築中のマンションの組み合わせ。

都市景観は統一的ではなく、いろんな住居が混在しているのが楽しいです。


井高野の地名の来歴はよく分かりません。
1908年(明治41年)測図の地図には既に井高野の表記が見えるため、古くからの地名のようですが、明治末当時この周辺には集落はなく、田畑のみが広がる土地でした。
明治~大正の地図には「大道村地」「大道村飛地」の表記が見えますので、南にある大道村の田畑があったところなのかもしれません。
一説によると語源は「居鷹」で、古代の渡来人による鷹狩の場であったという説もあるようです。
井高野近辺は戦前の地図には住居は見られないことから、戦後に宅地化した場所と思われ、それ故に郊外市域の雰囲気に近いということなのかもしれません。


さて、こちらが大阪市の北の果てにある白鳥橋という橋です。

この周辺が大阪市の北の端っこです。
この橋を越えると安威川の中州になります。


安威川の向こうは摂津市の正雀(しょうじゃく)です。


小さく見えるのが阪急の正雀工場でしょうか。

ということで、まずは北端の様子でした。


大隅神社。

住宅地の中にあるこじんまりとした神社でした。


大阪経済大学の建物とお墓の組み合わせ。




(2)最東端 鶴見区 茨田大宮

続いては最東端です。

地図で確認してみます。

大阪市の鶴見区は東に飛び出たような区です。
そこからさらに東に飛び出たような場所が茨田大宮(まったおおみや)です。
この東端は大阪市と大東市と門真市が接する場所。
大阪市は大正から昭和にかけて大規模な市域拡張を行いましたが、このときに大阪市に入る集落と入らない集落の差が出ました。
大阪市の西は大阪湾で、北は神崎川と安威川、南は大和川という領域が分かりやすい(後で見るように必ずしも大和川が領域ではないことには注意)ですが、東は領域がややこしく、大阪市に入る/入らないの差ゆえに市域はごちゃごちゃしています。

最寄り駅は地下鉄長堀鶴見緑地線の門真南駅です。
名前の通りここは門真市(かどまし)で、ここから歩いて茨田大宮に向かいます。


門真南駅の出入口。

レンガ風の外観です。


その南には巨大なドームが。

ラクタブドームというスポーツ施設です。ここはまだ門真市です。


しばらく南に歩くと大阪市鶴見区に入ります。

つるみ薬局なるお店が見えます。ここは鶴見区。


茨田大宮の景観。

やはり集合住宅が多いです。
大都市郊外という感じ。

茨田大宮の茨田(まった)の由来は、北河内地区の旧郡名である茨田郡(まんだぐん)に由来するようです。大宮の由来はよく分かりません。
明治から大正期の地図にはこの近辺に集落はなく、戦後になって大宮住宅の表記が登場します。井高野と同様、戦後に宅地化した場所のようです。


鶴見区と大東市の境目。

この道路の左側が大阪市鶴見区、右側が大東市です。


この道をしばらく歩くと大阪市の東端に辿り着きます。

このあたりが東端でしょうか。
大東市の新田境町の表記が見えます。


東端付近の集合住宅内の公園にて佇む動物たちの様子。

ライオンと象さん。


 

お馬さん、ウサギさん、かえるくん。


 

睨み合うラクダとサイ。

今にも戦いが始まりそうです。一触即発の事態。


とうことで、東端付近でした。
北端と同じく、周辺は集合住宅が多いという印象、この傾向は北の門真市南部も同じような印象です。



(3)最西端 此花区 夢洲 (住之江区 咲州から)

大阪市の西側は大阪湾、ここに大規模な埋め立て地が戦後に登場し、咲州(さきしま)、舞洲(まいしま)、夢洲(ゆめしま)などと名付けられました。
このうち最も西側にあるのが此花区の夢洲で、2025年の大阪万博の予定地でもあります。

地図で確認すると以下の通り。

西端のある島が夢洲です。
夢洲は現在工事中で、車で訪れることはできますが、おそらく西端は工事車両しか入れません。
今回はその少し南東、住之江区の咲州の西端である大阪南港野鳥園から夢洲の様子をうかがってみることにします。


最寄り駅はニュートラムのトレードセンター前駅。


 

その南にそびえ立つ、悪名高きWTCコスモタワー。

80~90年代の大阪の公共政策の失敗として名指されることの多い建物です。
来月1日に大阪市の消滅を推進するための住民投票が予定されていますが、この閑散としたコスモタワーがこのような政策が検討されるようになった一因です。(個人的には空いているので好きな場所ではあります。)
この最上階の展望台の様子は過去記事でも書きました。実はこの展望台からの方が夢洲の様子はよく見えるのですが、今回は地上から見てみることにします。


アジア太平洋トレードセンター(ATC)。

ここも以前に訪れ記事化しました。
ATCは意外と賑わっており、今回もコロナ下にも関わらず人がたくさんいました。


大阪南港に停泊するさんふらわあ号。

コロナで客船のイメージもすっかり悪くなってしまいました。


片側3車線の巨大な道路に沿って野鳥園を目指します。


 

付近は物流倉庫ばかり。

南港は物流拠点ですので、都市のサイズはトラック基準です。
なので、徒歩で訪れると楽しくありません 笑。


北側には一部遊歩道があります。ここの方が歩きやすい。


 

大阪南港野鳥園の入口。

謎のモニュメントを抜け、敷地内へ。


野鳥園の様子。

この林道はいい雰囲気です。野鳥の声が聞こえてきます。
バードウォッチャーの方々も見られました。


展望塔。

ここから海が見えます。


夢洲の様子。

手前が咲州内にある干潟と葦原の湿地、その奥に見える土地が夢洲です。
5年後ここで万博が開催される予定で、現在は工事中。


ということで、西端の様子でした。
南港野鳥園は雰囲気の良い公園ですので、お散歩にはお勧めです。



(4)最南端 住吉区 杉本・山之内

最後は最南端です。

大阪市の南は大和川が流れており、川を越えると堺市・松原市です。この大和川が屈曲している部分が大阪市の最南端。
最寄り駅はJR阪和線の杉本町駅。この阪和線を境に東側が杉本、西側が山之内という地名になっています。大阪市の最南端はこの杉本と山之内のそれぞれの南端が接する場所にあります。


JR杉本町駅。

 

 

駅のすぐ東側にあるのが大阪市立大学です。

自分の出身大学でもあります。めちゃくちゃ懐かしいです。
この写真に見えるひときわ大きくそびえ立つのが法学部棟です。


大学敷地内を東西に走る並木道。

この右側(南側)が文系学部、左側(北側)が理系学部の敷地です。


工学部棟。

すぐ北側の工学部棟です。自分はここで4年間を過ごしました。
外観が補修されていますが古い建物で、自分がいた約20年前と趣きは変わっていません。


こちらが1号館。

文系学部の敷地内にある大学の中心施設です。
大阪市大は元々商科大学で、伝統的に商経法文理工医というヒエラルキー(?)があり、別格の医学部(キャンパスの場所が違う)は別にして、理系学部の方が後回しにされがちな印象がありました。このためか、メインの建物も文系敷地内にあります。(自分は工学部でしたが、あんまり言うと怒られそうですが、理系の本当に賢い人は大阪大か大阪府立大に行くように思います 笑。)
学生食堂も文系敷地内と教養棟の敷地内にあり、理系敷地内にはありませんでした。(今はよく知りません。)
この大学も維新政治の煽りをくらい、大阪府立大との統合が検討されており、悲しくも消滅が予定されている大学です。


思わず郷愁に浸ってしまいますが、それはさておき、南端を目指します。

この付近には昔から杉本と山之内という集落がありました。かなり古くからある村で、今回訪れた東西南北の中では最も歴史が古い場所です。
1909年(明治42年)測図の地図にも両集落が確認できます。時代を経て阪和線が敷設され、その東側が杉本、西側が山之内と分かれることになります。


こちらは山之内側の南にある公園。

公園の南が大和川になりますが、木々が茂っており南端の様子は見えません。


杉本側からは南端の様子が見えます。

流れているのが大和川。
右奥に阪和線の橋が見えますが、その右のあたりが大阪市の南端です。

大和川は元々北を向いて流れ、北で淀川に合流していましたが、江戸時代に人工的に付け替えられ、西の大阪湾に注ぐようになりました。
この付近も人工的に作られた川で、今は大阪市と堺市の境界になっていますが、土地の来歴から言うと元々川の両側の繋がりが強い場所です。
この付近も川の両側に浅香という同じ地名があります。(大阪市の浅香と堺市の浅香がある。)これ以外にも、遠里小野(おりおの)、矢田、瓜破(うりわり)といった地名も、川の両側に見られます。

ということで、大阪市の南端でした。


住吉区のゆるキャラ、すみちゃん。

大阪市が消滅するとすみちゃんもいなくなってしまうのでしょうか。
24区のゆるキャラの今後も気になるところです。



(5)東住吉区 矢田7丁目  (おまけ)

最後はおまけです。
大阪市の南側に変わった場所があります。


赤の部分が大阪市東住吉区矢田、この大阪市の一部が大和川の南にせり出しています。

上に書いたように大和川の南北に矢田という地名があり、南の矢田も大阪市の市域なのですが、南にある松原市に食い込むようなこの棒状の境界は何なのか。


ということで、行ってみることにします。

最寄り駅は近鉄南大阪線の天美駅。

ここは松原市です。


商店街、トレビアンあまみ。


 

商店街を抜け、府道26号線と187号線が合流する交差点へ。

このあたりが棒状の境界の南端です。

この道は大阪市。左右の建物は松原市(一部のみ大阪市)。


地名は概ね松原市の天美となっていますが、


 

大阪市の矢田の地名も混ざって登場します。

(かすれて見にくいですが矢田7丁目です。)


松原交通株式会社 天美営業所。

松原市の天美の名を冠する企業ですが、この土地は大阪市東住吉区の矢田7丁目です。何ともややこしい。


この棒状の境界線の北側には神社がありました。

阿麻美許曾神社(あまみこそじんじゃ)という神社です。
どうもこの神社の参道のみが大阪市で、参道以外の部分が松原市ということのようです。


拝殿の様子。

お参りしてきました。


元々この北側には矢田部という集落があり、阿麻美許曾神社は矢田部の祭神でしたが、大和川の付け替えにより神社と集落が分断。
それ以降も矢田地域と神社の関わりが強かったため、神社とその参道を含めて矢田の領域として大阪市に編入され、それ故にこの変わった境界線が出来上がったということのようです。
これとは別に南の松原市側には元々池内、芝、油上と言った集落がありましたが、おそらく阿麻美許曾神社の名から後に天美という村落となり、地名化したということになったのだと思います。
矢田由来の「あまみ」が南の地名の由来になる。ややこしい境界と地名ですが、来歴を調べると面白いです。


神社敷地内にあった神武天皇の遥拝所。

至る所で拝まれる神武天皇。
各地にたくさん残る神武天皇遥拝所がいつからあるのかも気になるところ。
おそらく歴史は古いものではなく、戦間期末期から戦中期にかけての国粋化の時期か、80年代以降の再保守化の時代にできたものと推測しますが、真相はどうなんだろう?


松原市域にあった忠魂碑。

少し歩けば戦時の記憶を継承する碑が登場するのも現代日本の町の特徴です。


ということで、おまけ、大阪市南部の謎の境界線の様子でした。



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さて、この大阪市ですが、11/1の投票結果如何によっては消滅してしまいます。
前回(2015年)の時点ではこのような構想は通らないだろうと思っていましたが、今回はどうも通りそうな予感もします。
一応大阪都構想という名目があるようですが、今回の投票は当初語られていた都構想と言えるものではなく、単に大阪市を失くして行政コスト(住民サービス)を下げるという、維新の緊縮財政の一環としての政策です。
本来都構想というのは豊中市、吹田市、門真市、東大阪市、八尾市等も含む地域を都区域として広域化し、一つの特区とすることにより近畿圏の地方再生の足掛かりとするというような壮大な話だったと自分は思っていますが、そのような話はどこへやら、単に大阪市を消滅・分割し行政コストを下げるという非常にショボい話になってしまっているように見えます。(憲法9条の本質的な再検討を避けて字面だけ変えようとする国政政治の傾向にも似たところがある。)
このような大阪市消滅政策のみを行うことは行政にとってのメリットのみで住民にとってのメリットはほとんどなく、自分のような歴史好きとしては池上四郎や関一の時代に構築された大阪市が消滅するのは悲しく、ゆるキャラ好き(笑)としては各区のキャラが消滅するのも悲しいものがあります。
残念ながら自分は大阪市民ではないので投票権はありませんが、大阪市にお住いの方々におかれては、本当に経済保守的な緊縮財政が妥当なのかを見極めた上、投票を行って頂くことを期待したいです。