大阪府とその周辺 数字のある駅名・地名 その3 | れぽれろのブログ

れぽれろのブログ

美術、音楽、本、日常のことなどを思いつくままに・・・。

大阪府とその周辺の、数字のある駅・土地を訪れてみようシリーズ。
今回は最終回、大阪府内にある「九」「十」「百」「千」「万」の5か所を訪れてきましたので、駅周辺の風景と土地の特徴などについてまとめてみます。
前回までの地名は古代より続く古い地名が多かったですが、今回はいずれも近世以降の比較的新しい地名となります。


---


(9) 九条

「九」は大阪市西区の九条(くじょう)をチョイスしました。
九条という駅名は多く、大阪・京都・奈良にそれぞれ存在します。逆に「九」は九条以外はなく、それ以外だと和歌山県の九度山駅まで行かなければなりません。
大阪市の九条駅は、阪神なんば線と大阪メトロ中央線が交差する駅です。


こちらが阪神九条駅。

阪神の九条駅は地下の駅です。
2009年の阪神なんば線の開通に伴ってできたかなり新しい駅。
阪神なんば線の開通に伴い近鉄奈良線と相互乗り入れになりました。
近畿圏の私鉄はターミナル駅を大切にし、相互乗り入れは避ける傾向にありますが、阪神電鉄は近畿圏の私鉄では珍しく相互乗り入れに積極的で、過去から既に山陽電鉄に乗り入れています。

阪神なんば線の開通の結果、名古屋から姫路まで、一度も改札を通らずに私鉄の電車で移動できるようになりました。おそらく国内の私鉄ではこの距離は最長なのではないかと思います。


こちらはメトロ九条駅の入口。

大阪メトロは地下鉄ですが、メトロ中央線は阿波座を出ると地上に出て、一気に高架の駅になります。これにより、阪神九条駅が地下にあるにも関わらず、地下鉄九条駅は地上、しかも高架の駅というややこしいことになっています。


写真の奥が九条駅。手前が阪神高速の高架です。

地下鉄と高速の高架が同じ高さになっています。
ちなみにこの次の弁天町駅は、高架であるJR弁天町駅のさらに高い位置に地下鉄弁天町駅があるという、これまたややこしいことになっています。


九条は大阪市西区の西部にある町。
この近辺は古代は海でしたが、淀川が運ぶ土砂が堆積し徐々に陸地化、やがて九条島と呼ばれる難波八十島の1つとなった場所です。広く陸地化して以降、江戸初期(17世紀前半)にはようやく開発され、新田が作られました。
江戸初期に林羅山が衢壌(くじょう)島と名付けたとか、京都九条家の木笏が漂着したとか、いろんな地名の由来があるようですが、どうもそれいぜんからくじょう(衢壌、九条)と呼ばれていたようです。
常に海水が逆流して家が壊れるので衢壊(くじょう)という説もあります。確かにこの近辺は土地が低く水害が発生しやすい場所です。
1684年に安治川が開削され、九条は東西に分断されます。これが現在の西区と此花区の境界で、分離された西側が西九条となりました。

九条が栄えるのは近代明治以降、九条新道は多数の寄席や映画館が集まる歓楽街で、西の心斎橋とも言われるほどに栄えました。かつての大阪市電の最初にできた停留所も九条でした。
九条がかつて栄えたのは、九条の東側に当時の人気スポットであった松島遊郭があったこともおそらく大きいです。松島遊郭はその移転を巡っての怪文書により、昭和初期の若槻礼次郎内閣を揺るがし、松島遊郭移転疑獄として日本史に登場する場所でもあります。


ナインモール九条(商店街)。

かつて栄えた九条新道は、現在はよくある普通の商店街になっています。


大阪市電創業の地。

ナインモール九条の前の交差点にありました。
かつての市電(路面電車)は1903年(明治36年)に開業、その最初の停留所が九条のこの地にありました。
大阪市電は戦後大阪市営地下鉄に取って代わり、その後継の大阪メトロの本社は現在もこの付近(九条南)にあります。


茨住吉神社。

江戸時代から続く神社です。(建物は新しい。)


拝殿は二階建てになっています。

二階まで階段を上ってお参りします。
こういう神社は珍しい?


松島料理組合。

かつての松島遊郭は戦後西側の九条に移転しました。
松島料理組合と名を変え、小料理屋という体で現在も営業しているようです。



(10) 十三

続いては大阪市淀川区の十三(じゅうそう)です。
「十」は近畿圏では京都の十条の他、和歌山の六十谷(むそた)、三重の五十鈴川(いすずがわ)といいう駅名があります。「十」単独は少なく、どうしても「十三」「五十」「六十」の数字になってしまいます。
十条だと九条と「条」がかぶるので、近場の十三を訪れることにしました。


阪急十三駅。

阪急十三駅は、梅田からやってきた神戸線・宝塚線・京都線の電車が分離する重要な駅です。


十三は過去に淀川区を取り上げたときにも商店街の様子を記事化しました。
このときに淀川区役所の写真を間違って撮影(旧区役所を撮影)してしまったので、今回は正しい区役所を訪れました。


こちらが淀川区役所(正)。

2年ぶりに区役所のタイポロジーをコンプリート(笑)。


付近ではヒマワリが綺麗に咲いていました。

夏らしい写真が撮れました。


区役所前によくあるタイプの像(恒例)。


 

淀川区のゆるキャラは夢ちゃんです。

区の花であるパンジーがデザインされたキャラクタです。
 

 

現在はゆるキャラもマスクを着用する時代。


 

十三という地名はここ100年程度の間にできた新しい地名です。1909年(明治42年)測図の地図にも十三という地名はなく、付近には小島、今里、成小路などと呼ばれる集落があります。
十三渡という淀川の渡しはかなり古くからあったようで、十三大橋も1909年の地図に既にあります。十三渡の由来は淀川の13番目の渡しという説があるようですが、はっきりしたことは分からないようです。
1932年(昭和7年)測図の地図になるとこの近辺は十三となり、市街地化が進んでいることが分かります。十三は阪急電鉄の開業とともに栄えた場所のようです。
現在は逆に小島、今里、成小路といった地名はなくなり、付近は十三本町、十三東といった地名になっています。


神津神社。

商店街の外れにありました。1909年(明治42年)にできた新しい神社です。
これまた阪急開業とほぼ同タイミングにできた神社、十三は阪急とともにある町と言えそうです。


恒例の忠魂碑。

英霊を祀る、戦後にできた碑です。
現代日本の8月らしい写真が撮れました。


十三付近は商店街がたくさんありますが、多くは過去記事にも登場しましたので今回は一部のみ取り上げます。

重要なランドマークはやはりこのカニのイミテーションです。

かに道楽は道頓堀が有名ですが、十三にもあるのですね。


その隣にあった、越前屋のビル。

「阪急服部、十三、千里中央、越前屋」のフレーズで有名な仏壇仏具のお店、越前屋。今年1月に訪れた服部の越前屋に続き、十三も訪れました。


サカエマチ商店街。

前回取り上げなかった商店街です。

昨今目の敵にされている、いわゆる夜の街の雰囲気が漂う商店街。
訪れたのはお昼間ですので静かな感じでした。


十三大橋。

十三の橋は1878年からありましたが、現在の橋は1909年(明治42年)に完成したものです。北区梅田と淀川区を結ぶ重要なルートです。
中央奥に見えるのは梅田スカイビルです。
橋の入口の両側にあるブロックはかなり古くからあるもので、最近たまたま見た十三の空襲の写真でもこのブロックは存在していました。


淀川と対岸の梅田のビル群。




(11) 中百舌鳥

続いては「百」に移ります。
「百」が付く駅名は、百舌鳥(JR阪和線)、百舌鳥八幡(南海高野線)、中百舌鳥(南海高野線、大阪メトロ御堂筋線)の3つです。これら以外に近畿圏で「百」の駅名は見つかりません。要するに百舌鳥シリーズしかないということです 笑。
百舌鳥駅は仁徳天皇陵と大仙公園の最寄り駅、百舌鳥八幡駅はその名の通り百舌鳥八幡宮の最寄り駅で、いずれも過去に登場しました。
今回はまだ登場していない堺市北区の中百舌鳥(なかもず)を取り上げます。


南海高野線中百舌鳥駅。

中百舌鳥駅は1912年(大正元年)にできた駅ですが、この駅が重要になるのは戦後、泉北ニュータウンができたときからです。
1971年(昭和46年)に泉北ニュータウンに向かう泉北高速鉄道が開業し、この鉄道は南海中百舌鳥駅から分岐、1987年(昭和62年)には地下鉄御堂筋線の駅も開業し、中百舌鳥は一気に鉄道交通の要所になりました。
この付近は現在はマンションがたくさんある住宅地となっています。


西高野街道。

仁徳天皇陵の記事にも登場した街道です。
はるか高野山まで続く道。


中百舌鳥というものおそらく新しい地名です。
古くはこの地は万代(もず)と呼ばれ、付近には万代東村(もずひがしむら)、万代金口村(もずかねのくちむら)、といった村々がありました。
1908年(明治41年)測図の地図によると、東村、金口村という地名と合わせて
これらを総称しての中百舌鳥村という名称が見られます。


定の山古墳。

百舌鳥地域恒例の古墳群です。
百舌鳥近辺は歩けば古墳にぶつかる(笑)という、古墳密集地。
この古墳の前は公園になっていました。


こちらは御廟表塚古墳。

周辺の宅地化により前方部は失われている古墳。
定の山古墳も御廟表塚古墳も埋葬者はよく分かりません。


御廟表塚古墳のすぐ隣、筒井邸の前にある巨大なクスノキ。

樹齢千年と言われる巨木です。なんともデカい。

この近辺は万代夕雲開(もずせきうんびらき)と呼ばれ、17世紀に新田が作られた場所。上の九条と同じく江戸初期の新田です。
この新田の開発者が高西夕雲とう人物で、スポンサーが堺の豪商木地屋庄右衛門とのこと。この木地屋の子孫が筒井家で、筒井邸も登録有形文化財となっています。


暑さでへたばる夏のセミ。

実際暑さでへたばっているわけではない(はず)ですが、セミに感情移入するとそのように見えてきます 笑。



(12) 千里中央

「千」のつく駅名は大阪府内にたくさんあります。
千里中央、千里山、北千里、南千里、千里丘、千船、千鳥橋、千林、千林大宮、ドーム前千代崎、千代田、千早口の12か所。なぜこんなにたくさんあるのか 笑。
今回はこのなかから豊中市の千里中央(せんりちゅうおう)をチョイスしました。

千里中央駅付近は新千里西町、新千里東町、新千里南町と言った地名で、これらは新しい地名。
付近は元々千里丘陵と呼ばれ、雑木林と竹林が続く何もないところでしたが、戦後の千里ニュータウンの開発に伴い、一気に市街地化しました。なので、この付近の歴史は50年くらいで、これまで訪れた土地に比べるとずっと歴史は浅いです。
 

千里中央駅前は、これまでの駅前とは全く違う雰囲気でした。


千里中央駅(大阪モノレール)。

千里中央駅は大阪モノレールと北大阪急行という2つの鉄道駅があります。
こちらはモノレールの駅前。


駅のそばは高速道路のインターチェンジで、郊外型の大型店舗が並んでいます。

都市郊外によくある風景で、鉄道駅の駅前という雰囲気ではありません。
どちらかというと車で訪れる場所、といった感じ。


付近には千里ニュータウンの住宅群。



阪急百貨店。

北大阪急行は阪急グループの鉄道です。


こちらが千里中央のセンター街、せんちゅうパルのある建物です。

いわゆる郊外のショッピングモールですが、昭和期に建てられたもので、現在のよくあるショッピングモールとは違い、かなり独特の建物です。意匠が細かく、現代のショッピングモールを見慣れている世代にとっては、奇異な感じがします。
この建物の地下フロアに北大阪急行の千里中央駅があります。


せんちゅうパルの様子。

今年で50周年とのことで、1970年から続くショッピングモールのようです。日本最初期の郊外型ショッピングモールで、それ故に形状が独特なのかもしれません。


北大阪急行千里中央駅。

ショッピングモールの中を歩いていると、いきなり吹き抜けで地下フロアに駅が見えてくるのが面白いです。
北大阪急行の千里中央駅は、これまでの駅のように駅舎に「○○駅」と書かれた駅ビルがあるわけではありません。「千里中央駅」の案内板はありますが、大きな駅名表示はありません。ショッピングモールの地下フロアに無理やり鉄道駅を設置したような、不思議な空間になっています。


せんちゅうパルにイベント用ステージもありますが、コロナのせいでイベントは中止になっているのか、現在は誰もいません。

ちなみに自分は過去にこの付近で、ウロウロしているくまモンに遭遇したことがあります 笑。


越前屋。

「阪急服部、十三、千里中央、越前屋」を無事コンプリートしました 笑。


駅の東側は住宅地ですが、一部は公園になっており、かつての雑木林と竹林が残っています。




(13) 万博記念公園

最後は「万」。
大阪モノレールの万博記念公園駅(吹田市)を訪れました。
ちなみに「万」のつく駅名は、近畿圏では万博記念公園以外にありません。


大阪モノレール、万博記念公園駅。


万博記念公園は千里丘陵にある公園で、千里中央と同じく歴史は50年程度しかありません。今年は大阪万博からちょうど50年です。
この少し南には、かつて山田上村、山田中村という村があり、こちらは17世紀から続いている村で、現在も付近には阪急山田駅があります。
昭和後期にできた駅ですが、ちゃんと付近の古くからある山田という地名を駅名に採用する阪急は偉い。この点、美加の台、林間田園都市、りんくうタウンなどというキラキラ駅名を付けがちな南海は糾弾に値します 笑。


大阪モノレールのレール。

大阪モノレールは万博記念公園駅で本線と彩都線に分岐します。

この写真では少しわかりにくいですが、写真の銀色の部分がクネクネと曲がってポイントを移動します。
彩都線のようなモノレールの支線は日本でここだけです。


駅前にはヤツがいる・・・。

岡本太郎作の太陽の塔。大阪万博の建物の多くはなくなってしまっていますが、彼だけは現在も屹立しています。
今年1月に国立国際美術館でアンビルト建築(実際に建設できなかった建築)に関わる展示を見ましたが、それらのアンビルト建築の多くより、この太陽の塔がよっぽど奇抜でアンビルト臭が漂い、ここに来るたびに「なんでこんなもんが建っとんねん」といつも思います 笑。
大阪のランドマークとして、彼には末永くこの地にいて頂きたいものです。


駅の北側は万博記念公園ですが、今回は駅の南側を歩いてみます。

駅前駐車場はガラガラ。

コロナで人は少ないようです。
万博記念公園は吹田ジャンクションのすぐ近くで、千里中央と同じくこれまた車メインの駅です。


万国博記念公園と刻まれた石。

 

 

石坂泰三翁。

日本万国博覧会協会会長とのことです。


丸く刈り込まれた木は可愛げがあります。



ニフレル。

水族館&動物園という感じの博物館です。「~に触れる」に由来する、文字通り生き物に触れることができる施設。
自分は過去に訪れたことがありますが、本当に柵なしでカピバラやキツネザルがその辺をウロウロしており、柵なしで鳥がバサバサ飛び交っていました。


巨大観覧車。

この付近は元々エキスポランドという遊園地でした。現在はショッピングモール、ニフレル、その他野球場などのスポーツ施設になっています。
郊外型遊園地は少子化により近畿圏でも近年次々と閉園。巨大観覧車はその名残なのかな?


エキスポシティ。

ショッピングモールです。
手前には109シネマズがあります。東急という首都圏資本に浸食される近畿圏の惨状が窺えます。


巨大なガンダムの像。

なぜかショッピングモール前にありました。
自分は2頭身のロボットがピコピコと戦うガチャポン戦士(SDガンダム)のファミコンゲームで遊んだ世代ですので、このような巨大なガンダムは違和感があり、可愛げがありません 笑。


↓ガンダムとザクの戦いはかくあらねばなりません(個人の見解です 笑)。




---

ということで、数字のある地名、13か所のまとめでした。

一見似たような風景でも、注意深く見てみると細部に差異があり、街ごとに異なった歴史があることが分かります。
古代から続く街もあれば、近世にできた街、過去100年・50年にできた街もある。比較してみると面白いです。
街歩きは楽しいので、今後もあちこち歩いてみようと思っています。