大阪府とその周辺 数字のある駅名・地名 その1 | れぽれろのブログ

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コロナでお出かけがままならない昨今、7月以降の感染者数増加に伴い、美術館や演奏会に行くこともなかなか難しくなっています。
感染者再増加以降、職場の中間集団全体主義はますます盛んになり、厚労省のコロナ感染接触アプリのインストールを社員は指示され、常に監視状態に置かれる、まるで一昔前の近未来ディストピアSF作品が現実化したような昨今。
権力とは何か、自由とは何か、などということを考えざるを得ない(笑)今日この頃です。

屋内への外出はややこしいですが、街歩きなら咎められることもないであろう、ということで、近畿圏再発見シリーズです。大阪府とその周辺(奈良県・兵庫県)の近場の町をウロウロしつつ、写真を撮りに行ってきました。
今回は「数字縛り」で遊んでみます。
駅名・地名に数字が含まれている場所を巡り、その周辺の風景やランドマークなどを撮影し、街の雰囲気や土地の来歴などについてコメントしてみたいと思います。

登場する場所は(一部都心もありますが)郊外の住宅地が多いです。

郊外行きの電車は空いており、概ねゆったりと距離を取りながらお出かけすることができました。
住宅地が多いので個人宅の写真などはなかなか撮影しにくいですが、それでも面白いランドマークなどは発見できます。

以下、「一」から順番に並べてみます。
今回は第1回、「一」~「四」までの数字が登場する駅名・地名を取り上げます。


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(1) 一分

まずは近鉄生駒線、一分駅とその周辺の記録から。

今回大阪府近辺の数字のある駅名を探してみた中で、いきなり「一」が最大の難所でした。
「一」のつく場所ってあったっけ?
少なくとも大阪府内には「一」が入る駅名はありません。
あれこれ探してみたところ、近場では奈良県生駒市に壱分町(いちぶちょう)という地名があり、この最寄り駅が一分駅(いちぶえき)となっています。
「一」はこちらをチョイスし、出かけてみることにしました。


一分駅の様子。

近鉄生駒線の駅です。
構内踏切のある小さな駅、郊外の私鉄支線ローカル駅という感じです。
ホームはかなり狭いです。

近鉄生駒線は生駒山の東側、奈良県の生駒と王子を接続し南北に走る鉄道です。北は近鉄奈良線生駒駅、南はJR大和路線新王寺駅に接続しています。
自分は今回初めて生駒線に乗りました。

この周辺の地名は壱分町。
1908年(明治41年)測図の地図によると、現在一分駅のある場所の東側には昔から集落があることが分かります。
この集落は昔は一分村または一部村と言われ、地名の由来は、日本書紀の有間皇子邸「市経(いちふ)家」の所在地であるという説、クヌギに由来し櫟生(いちいふ)に由来する説などがあるようです。

一分駅東側(矢田丘陵の側)は、現在でも古くからあると思われる大きな家がたくさん残っています。


邸宅の壁の一部。

旧家の御屋敷といったイメージです。
駅東側の丘の坂の上にかけて、このような大きな住宅がたくさんあります。
生駒周辺は近鉄(当時は大軌)の開業とともに宅地化が進んだ場所。
生駒線も1922年(大正11年)に開業していますので、それ以降、昔からあった集落を中心に宅地化したということなのかもしれません。
比較的宅地の規模が大きいのが一分の特徴と言えそうです。


丘を上がったところにあるお寺。

無量寺という浄土真宗のお寺です。
1304年の五輪塔があり、少なくとも鎌倉時代からある古いお寺。


このお寺の近くからは町の風景を一望できます。

後ろに見えるのが生駒山麓です。


駅の西側には竜田川。

西の生駒山と東の矢田丘陵の間を流れる川で、過去に訪れた法隆寺のある斑鳩方面まで続く川です。


西側は開けており、郊外型の幹線道路と高速の高架が見られます。


一分を歩くなら、古い宅地と丘のある、矢田丘陵方面(駅の東側)がお勧めです。



(2) 二色浜

続いては「二」。

大阪府貝塚市、二色浜(にしきのはま)に移ります。
先ほどの一分駅は山あいにある駅でしたが、南海本線二色浜駅は海のそばにある駅です。


駅の様子。


カラーはブルーで統一されてます。

これまた構内踏切のあるローカル駅ですが、一分駅に比べるとまだ規模は大きいです。


駅から西に向かって歩くと二色浜海水浴場に出ます。

途中の道は住宅地で、府道204号線(旧国道26号線)沿いにそって住宅や郊外型の店舗が並んでいる街です。一分のような古い大きな邸宅ではなく、昭和中後期のものと思われる小ぶりの住宅地が多く見られます。町の建物も二色浜駅と同じくブルーの意匠が多いです。
自分は以前泉佐野市の府道204号線のすぐ近くに住んでいたので、海沿いの泉州の風景は懐かしいです。


海まで1分!


 

海辺の食堂。

お店の前に浮輪、脱衣預り、シャワー室あり。
昔ながらの海の家という感じ。


二色の浜公園の入り口。

カニのマークの二色の浜公園。


距離を取りつつ、海水浴を楽しむ人たち。


大阪湾というと工業の海というイメージがあるかもしれませんが、泉州南部の海岸は綺麗で、海水浴場もいくつかあります。
二色浜は古くからある白砂青松の海岸で、六甲山や淡路島を見渡せる、風光明媚な場所として知られていました。昭和初期に海水浴場として開発され、現在は二色の浜公園となっています。
同じく風光明媚な海水浴場であった堺市の浜寺公園が、現在は埋め立てと工業化により景観が変わってしまったのに対し、二色浜は往時の面影を残しているのかも。


松並木がよい雰囲気。

後ろには阪神高速4号湾岸線が見えます。


いきなりレンガー=パッチュ風の写真が撮影できてしまうのも、現代の郊外の景観の悲しいところ 笑。


しかしこの高速は海岸線に沿って平行に走っているため、それほど気になりません。以前訪れた大阪市旭区の淀川沿いの城北公園は、川に対し垂直に高架が走っていましたが、あれに比べるとずいぶんマシです 笑。


仲良く泳ぐイルカとシャチ。


 

巨大な巻貝と極小のクジラ。

スケールのギャップがはなはだしい 笑。


公園の案内図も諸々の注意事項で見えなくなってしまっています。

「こんなとこ来んな、はよ帰れ」と言われているようです。
仕方ないとはいえ、世知辛い世の中ですね。


近くにあったラブホテルと畑の組み合わせ。

こういう写真を撮ると、個人的に「ああ泉州やな」という感じがしてきます。



(3) 三国

続いては大阪市淀川区の北の端、aikoの「三国駅」で有名な、阪急宝塚線三国(みくに)駅とその周辺です。


駅の様子。


 

駅前のロータリー。

一分や二色浜に比べると比較的規模は大きく、都心にほど近い郊外の駅という感じがします。


三国駅の周辺は三国もしくは三国本町という町名。
すぐ北側に神崎川があり、川の向こうは豊中市です。豊中市側にも三国という地名があり、川の南北で同じ地名があることになります。
三国の地名は神崎川を渡る「三国の渡し」に由来。
南北朝時代の合戦により、神崎川のこの場所に3人の大将の首が沈んだため「三首の渡し」と呼ばれたとことに由来するという説があるようです。中世14世紀の大阪は戦乱の地、南北朝の争乱に由来する史跡などもよくみられます。


三国の渡し跡。

現在は渡しはなく、橋が架かっています。


三国橋の様子。

この日は天気が悪かったので、写真が暗い。
橋の向こうは豊中市です。
橋の向こうの豊中市側にボーリング場がありますが、ここがaikoの歌詞に登場する「あそこのボーリング場」なのかな?


川べりには高層マンションが屹立しています。

真ん中に小さく見えるのが三国駅。
三国駅は梅田駅まで3駅という好立地、aikoにより「変わらない町並み」と歌われた三国ですが、近年の都心回帰とタワマン化により、景観は変わってしまっているのかもしれません。


駅東側の商店街。

花と緑と水の街 サンティフルみくに。


比較的長い商店街です。

赤のイメージで統一されている区域もあれば、

緑のイメージの区域もあります。



気球に乗る象さんと猫ちゃんとピエロ。

こういうイラストは和みます。
この商店街の雰囲気は「変わらない町並み」と言えるかもしれません。

1909年(明治42年)測図の地図によると、三国周辺には大きな集落はありません。
やはり三国は阪急電車の開業とともに開けた街、ということのようです。



(4) 四天王寺前夕陽ヶ丘

最後は大阪市天王寺区、大阪メトロ四天王寺前夕陽丘(してんのうじまえゆうひがおか)駅とその周辺です。
この周辺は、四天王寺や愛染堂、天王寺七坂と、過去記事で散々取り上げた場所でもありますが、それでもまだ面白いものが残っています。
今回は谷町筋の様子と、その周辺のランドマークを取り上げます。

天王寺区は上町台地上にある区で、大阪市内でもかなり歴史の古い場所です。
この近辺の谷町筋周辺は昔からお寺が多い場所ですが、
お寺と合わせて住宅地や商業地もあります。


駅の入口。



谷町筋の様子。

三国周辺と同じく、都心回帰によるタワマンが並ぶ風景。


マンションの間にお寺が残っていますが、現代的に建て替えられたイメージのお寺も多いです。


 

そんな中、ビルの谷間に昔ながらの建物が残っているケースも。

まる50年代のディズニーアニメ「小さな家」のようです 笑。


突如現れる、遠州奥山半僧坊大権現の碑。

臨済宗のお寺の前にあった碑です。
調べてみると遠州浜松は奥山の地に臨済宗の方広寺というお寺があります。
そのお寺と関わりがあるのかな。


こちらは鳳林寺というお寺。

古い景観を残しているお寺です。


その敷地内にあった上島鬼貫の墓。

上島鬼貫は江戸中期の上方の俳人で松尾芭蕉との交流もあった方のようです。
元禄前後の日本の文化にとって、大阪は非常に重要な地です。


聖徳太子の飛び出し小僧。

これを見ると、ああ天王寺区やなという気がしてきます 笑。


パイン株式会社。

パインアメで有名なパイン株式会社の本社は谷町筋沿いにあります。
建物の外観もパインカラー。

甘みと酸味が心地よいパインアメは、個人的に好きな飴ちゃんです。


お寺とラブホテルの組み合わせ。

街歩きの書籍などではこの近辺は「坂とお寺のある風景」と取り上げられることが多いですが、大阪メトロ四天王寺夕陽ヶ丘駅の北側を経て谷町九丁目駅のあたりは、大阪屈指の(?)ラブホテル街になっており、このあたりは普通の観光ガイドではなかなか気づかないポイントです。
お寺とラブホテルという組み合わせはなかなかギャップがあり、人間の誕生と死が交錯する、不思議な光景が見られるのがこの界隈の特徴。


ホテル壁面の自由の女神。

過去に取り上げた京橋駅前といい、東三国駅前といい、なぜか自由の女神が多い大阪市。



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ということで、数字のある駅名・地名の第1回、「一」~「四」の土地の風景でした。

次回は「五」以降の駅名・地名が登場します。
大阪府近辺に詳しく、ご興味のある方は、どの駅名・地名が登場するか、予測してみてください 笑。