古関裕而の昭和史/辻田真佐憲 | れぽれろのブログ

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辻田真佐憲さんの著作「古関裕而の昭和史」(文春新書)を読みました。
以下、覚書と感想などをまとめておきます。


辻田真佐憲さんは近現代史研究家で、主に文化と政治との関わり、歴史との関わりについての著作を出されている方です。
自分は辻田真佐憲さんの著作が好きで、過去に「ふしぎな君が代」「たのしいプロパガンダ」「大本営発表」「文部省の研究」「空気の検閲」「天皇のお言葉」を読んでいます。(「日本の軍歌」はまだ読めていません。)
主として明治以降150年の日本の様々な事象を取り上げてその構造を解き明かし、さらに現在の政治や文化を考える上でも有益な視点が提供されているところが、辻田さんの著作のポイント。

というと硬いテーマの小難しい本という印象を受けるかもしれませんが、さにあらず。文章は読みやすく、ときに笑いの要素も織り交ぜながら書かれており、近現代の政治や文化に関心のある方のみならず、多くの方にお勧めしたい著述家です。

お勧めを一冊あげるなら「大本営発表」、戦時下においてなぜ嘘八百の報道が繰り返されたのかについて分析されている本で、軍とメディアの共犯関係からいい加減な報道が量産されていく様子は、今現在の日本のテレビ・新聞を考える上で有益(実は現在のメディア構造も戦時下とそんなに変わっていない)。
「たのしいプロパガンダ」「空気の検閲」も現代政治に通じるテーマで、政治宣伝や規制がどのような構造を持っているのか、我々は何に注意すればよいのかがよく分かる本。
個人的に好きな本を一冊あげるなら「文部省の研究」で、個人主義と共同体主義、グローバリズムとローカリズムの間を揺れ動く明治以降150年の教育の歴史は大変面白いです。
その他、「空気の検閲」の巻末に記述されている「趣味と政治と学問の関係図」は必見。文化・政治・近代史に関心のある方は、辻田さんの著作を読むときっと面白いと思います。


今回出版された「古関裕而の昭和史」は、作曲家古関裕而の生涯を描く評伝の形式をとりながら、同時に昭和史を辿る、とくに大衆音楽文化の歴史を辿ることができる、面白い本でした。
合わせて、本書を注意深く読むと、歴史の中の人物がどういう原理で行動するのか、音楽文化が歴史・政治とどうかかわっているのか等についても考えを深めることのできる、興味深い本であると感じました。

古関裕而は1909年(明治42年)福島県の生まれで、1989年(平成元年)に亡くなった作曲家です。1930年代から作曲家として活躍しており、昭和の終わりと同時に亡くなっていますので、まるまる昭和という時代を作曲家として生きた人物、ということになります。
楽曲は多岐にわたり、昭和初期はレコード文化の隆盛とリンクする形で大衆歌謡曲を作曲、戦時下は多数の軍歌を作曲し、戦後は映画音楽や多くの社歌・校歌・団体歌などを作曲されています。
主な楽曲として、「紺碧の空」(早稲田大学応援歌)、「六甲おろし」(阪神タイガース応援歌)、「露営の歌」「暁に祈る」「若鷲の歌」(以上軍歌)、「とんがり帽子」(NHKラジオドラマ「鐘の鳴る丘」のテーマ)、「栄冠は君に輝く」(高校野球の歌)、「ひめゆりの塔」「君の名は」「モスラの歌」(以上映画音楽)、「オリンピック・マーチ」(1964年東京オリンピックの入場行進曲)などが有名でしょうか。
生涯5000曲あまりを作曲したと言われており、昭和という時代の変化とリンクして、時代の要請に従いながら、様々な楽曲を作曲した方ということになります。本書を読むと、多くの方は「おおっ、この曲も古関裕而だったのか」という感慨を抱くことになると思います。

古関裕而の人物伝としても本書は面白い(奥さんとの出会いのエピソードや、戦時期の南方への訪問体験、戦後の奥さんの株取引の話などがとくに面白い)ですが、本書の興味深い点は昭和の大衆音楽史を俯瞰できる点にあると思います。
雑誌「赤い鳥」などの童謡ブームに始まり、昭和初期の浪花節から流行歌への移り変わり、SPレコードとその販売枚数の詳細、レコード会社と作曲家の関係や作詞の懸賞文化、戦時下の軍歌やニュース歌謡の在り様、戦後のラジオドラマと音楽の関わり、SPレコードからLPレコードへ至る流れや、戦後映画音楽の重要性、社歌・校歌・団体歌が大量に量産される様子など、時代と音楽の関わりが要所要所でまとめられており、音楽好きの方はきっと様々な発見があって面白いと思います。
とくに戦前のSPレコード文化の隆盛と世相(世相の変化によりエロ歌謡から軍歌へあっという間に切り替わる様子など)や、戦後のラジオドラマが生放送であり(なので音楽も生演奏)、作曲が間に合わずハモンドオルガンでほぼ即興で演奏した回もあるなど、細かいエピソードも面白いものがたくさん。
昭和音楽史の概要を知るのに本書は最適、渡辺裕さんの「歌う国民」(中公新書)などと合わせて、近代大衆音楽史を知るための手頃な著作として、本書はお勧めの著作であると感じます。


本書は音楽に関わる部分が最も面白いと思いますが、それ以外にもいろいろと考えるきっかけを与えてくれる本です。自分は作家の制作の動機、作家と政治性との関わりについてあれこれと考えました。

我々は作家にはその作家なりの思想信条があり、作家は自らに備わった信条に基づいて制作していると思いがちですが、多くの場合はそうではない。
人を動機づけるものまずもって経済と人間関係であり、平たく言えば「お金」と「居場所」が人を動機づける。「これが私の思想信条だ」と主張する場合も、必ずその背景には、意識的・無意識的にかかわらず、経済と人間関係に由来する要因があるのだと自分は考えます。
政治・イデオロギー・文化の傾向性は、経済と人間関係の傾向性により決定する。
その上で、個人に元々備わった適性(初期条件)と、個人が生まれ育った地域・社会階層(環境条件)により、個人の行動の志向性が確定します。

古関裕而の場合は、おそらく生まれながらに備わった作曲の才能(初期条件)があった。古関はクラシックの作曲家になりたかったようですが敵わず(おそらくは環境条件による)、福島から東京に出て大衆作曲家として生計をたてることになります。
「食えれば何でも作曲する」というのがおそらく古関の傾向、その上で古関を取り巻く人間関係や社会の移り変わりが古関の作曲の在り様を決定して行きます。
それ故に時代の移り変わりにより流行歌も作れば軍歌も作る、映画音楽も作れば社歌・校歌・団体歌も作る、時代の要請に応じて計5000曲あまりの音楽を作曲し続け、ちょうどその足跡が昭和史とリンクする面白い作曲家になったのだと思います。

このような傾向は古関だけでなく、現在の多くの作家にも当てはまります。
例えば政治宣伝に協力したり政治的発言をする作家・音楽家・美術家には、その背景に必ず「お金」「居場所」「初期条件」「環境条件」の問題がある。なので、作家・音楽家・美術家の主張や政治性や作品の変化にのみに単純に着目して、あの人は右派だ左派だとレッテルを貼るのは非生産的であり、その背景の事情を推察することが肝要です。
流行歌から軍歌へ、軍国主義から民主主義へ、簡単に切り替わるのがごく普通の人間です。現在の作家の作風・主張の変化をみていく上でも、古関の歩みと仕事の在り様は参考になります。


ということで、古関裕而や昭和の大衆音楽に関心のある方のみならず、昭和史や政治と文化の関わりに関心のある方にも本書はお勧めですので、ご興味のある方は手に取ってみるときっと面白いと思います。


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ここからは余談。

音楽好きとしては、昭和歌謡の本を読むとやはり音楽が聴きたくなってくるもの。
本書を読み終ってから古関裕而や同時代の音楽をあれこれ探して聴くうちに、自分は古関裕而よりも、同時代の作曲家である古賀政男や服部良一の方が好みであることが分かりました。
ということで、なぜか今は古賀政男ばかり聴いています 笑。

網羅的に聴けているわけではありませんが、古関裕而がどちらかというとすっきりとまとまっていて歌いやすい曲が多いのに対し、古賀政男はメロディやリズムにどことなく屈折がある感じがし、個人的にお気に入り度が高いです。
古賀政男といえばしっとりとした短調の演歌調の楽曲が有名なのかもしれませんが、自分はそれよりも長調の曲が好みで、「丘を越えて」や、「東京ラプソディ」(途中で転調する)、「サヨンの鐘」(リズムと節のクセが強くてかなりいい感じ)、軍歌なら「勝利の日まで」あたりがお気に入り。「東京五輪音頭」もあらためて聴くとトリッキーな曲で、古関の「オリンピック・マーチ」よりこちらの方が面白い。
自分は昔から「南の花嫁さん」が好きで、これは中国の原曲そのままだと思っていましたが、どうも古賀政男による編曲らしく(作曲:古賀政男とクレジットされているケースもある、ウィキペディアでもそうなっている)、中国から日本に普及するに当たって古賀政男の貢献があったのではないかと思います。
作曲に関してはそんなに詳しくないですが、おそらく上手に作曲しているのは古関裕而の方だと思います。古賀政男などに比べると、古関の方はあまり変わったことはせず、歌いやすく耳に残るメロディなので、それ故に社歌や校歌などと相性が良かったのかもしれません。(ちなみに古関の中では「フランチェスカの鐘」あたりがお気に入りです。)

自分は「蘇州夜曲」や「買い物ブギ」が好きなので、服部良一の方もあれこれと聴いてみようと思っているところです。「東京ブギウギ」など真剣に聴いたことはありませんでしたが、あらためて聴くとこれもなかなかええ曲やないか、などと感じたり。
本書をきっかけに、当面自分の中で昭和歌謡ブームが続きそうです 笑。