大阪市北区 造幣博物館 | れぽれろのブログ

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大阪再発見シリーズ。
11月2日の土曜日、大阪市北区にある造幣博物館に行ってきましたので、覚書や感想などをまとめておきます。

造幣博物館は、財務省所管の独立行政法人である造幣局の敷地内にある博物館です。

造幣局の所在地は大阪市北区天満の大川のほとりで、造幣局の案内によると、天満橋駅から徒歩15分、南森町駅から徒歩15分、大阪天満宮駅から徒歩15分、桜ノ宮駅から徒歩15分となっており、意外とどの駅からもやや遠い位置にあります。
訪れるにはバスが意外と便利、バス停(桜の宮橋)の目の前に造幣局があり、バスだと降りてすぐに着きます。
自分は普段あまり大阪市内のバスは利用しませんが、今回は帰りにバスを利用してみました。バスは10分に1本程度走っており、10分ほどで梅田に着きますので、意外とバスも便利やなという感じです。

造幣局は貨幣の製造を行う法人で、所管は財務省。造幣局の敷地内にある造幣博物館では、造幣局の概要と合わせて、貨幣の歴史の解説や、その他現在造幣局で製造されている勲章や記念コインなど、様々なものが展示されていました。
入場は無料で予約なしで誰でも入れますが、入口のところで警備の方に許可をもらい、入場許可のバッジをもらって、代表者の名前を書いた上で入場する仕組みになっています。さすがに貨幣を扱う法人ですので、一般の博物館などに比べるとやや入場が厳格です。
造幣局の敷地内には桜がたくさんあり、春には桜の通り抜けが有名なためお花見客で大混雑しますが、現在の季節は人はほとんどおらず、のんびり博物館を見学することができました。


展示の内容。

我が国の貨幣の製造は古代に遡り、8世紀以降、律令制度のもとで和同開珎に代表される皇朝十二銭が次々と製造・発行されました。律令制度の退潮と合わせて、皇朝十二銭は平安中期以降に衰退、平安後期から中世にかけては、宋銭に代表される大陸由来の渡来銭が流通するようになります。16世紀末の天下統一を経て幕藩体制に移行、この時期に再び統一通貨としての大判小判や貨幣が国内で製造されるようになります。
展示会場では各時代の貨幣の現物も展示されていました。
江戸時代の小判が面白く、小判複数枚を紙で包むと一見和菓子のようになり、菓子折りの中に賄賂として小判を忍ばせるのに、たいへん合理的な形状であることが分かります(笑)。
江戸中期になると貨幣製造量の増加に伴い、金銀の含有量の少ない貨幣が乱発されインフレになる、さらに幕末の開国以降は海外との交換レートの規定に問題があり、結果として日本経済は混乱します。

明治政府は統一的・安定的な貨幣供給を目的とし造幣局を設置、大阪に造幣工場を建設し、1871年(明治4年)に開業しました。
東京ではなく大阪に建設された背景には水資源の豊富さなどいくつか理由があるようですが、理由の一つに東京の治安の悪さというのがあげられているのが面白いです。治安が悪いというのは貨幣の製造には当然不向き。現在の一般的なイメージとは真逆ですが、明治当時は大阪の方が治安が良かったのだそうです。
当時の貨幣の生産設備はイギリスから輸入されたものであり、生産もお雇い外国人の監督下で行われましたが、貨幣のデザインと型の製作は日本人が行っていたのだそうです。近世日本の美術・工芸は装飾性豊かなものが多く、そのこともあってか、緻密な装飾と型の金属加工技術はたいへん優れたものであったようです。
やがて貨幣製造は外国人の手を離れ、生産設備も国内設計に移行し、現在に至ります。

展示会場では明治以降の硬貨も多数展示されていました。
明治期に円・銭・厘の貨幣制度が確立。戦前の硬貨は龍のデザインが非常に多いです。当時は貨幣=龍のイメージだったのかな? 龍はデザインが複雑なので、偽装が困難という理由もあったのかもしれません。
戦時期になると金属の節約からか小型でシンプルなものが多くなります。
戦後になると龍のデザインは一掃され、現在我々が知るような植物のデザインが一般的になります。
50円玉や100円玉のデザインは何度か変更されており、全然知りませんでしたが昔は穴のない50円玉もあったのだそうです。昔のギザギザ付き10円玉は有名ですが、5円玉も「五円」の書体がある時期から変わっているなど、意外と細かい変化もあります。そんな中、発行後一度もデザインが変わっていないのが、1円玉なのだとか。
現在の500円玉は2000年にデザインが変更され、様々な偽装防止加工が施されています。これもよく知りませんでしたが、500円玉の数字のゼロの部分は、角度によって「500円」という文字が見えるようになっています。現物を確認してあらびっくり。この他にも硬貨の縁に斜めのギザギザがある(加工が難しい)など、500円玉は非常に特徴の多い硬貨なのだそうです。

この他、展示会場では、各種の記念硬貨や貨幣セット、勲章、海外の記念コインなど、様々なものが展示されていました。
日本の記念硬貨は非常に装飾性・デザイン性が高く、彩色も豊かで、海外でも様々な賞を受賞していることが分かります。オリンピックなどの行事があった際に発行される記念硬貨や、各都道府県の名産品をデザインした記念硬貨の他、映画や漫画由来の記念硬貨などもあり、美術品を鑑賞しているようで、非常に楽しいです。
紫綬褒章などの勲章も造幣局で製造しているとのこと、こんなに勲章のデザインに種類があったのかと、展示をみてびっくり。
海外の記念コインも多数展示されており、なぜかクック諸島のコインが非常に多いです。クック諸島では今コインが熱い!ということなのでしょうか? 調べてみると、クック諸島ではコインの製造が1つの主要産業となっているのだそうです。


考えたこと。

キャッシュレスの時代などと言われ、今後は硬貨の製造量はおそらく世界的に減っていくことになると思われますが、日本は諸外国に比べて、キャッシュレス化が非常に遅れていると言われています。各国のキャッシュレス比率を調べてみると、諸外国が概ね取引の40~60%程度がキャッシュレス化されているのに対し、日本のキャッシュレス比率は18.4%に留まっています。(2015年時点)
日本でキャッシュレス化が進まない理由としては、カード決済の煩雑さやATMの普及などいくつか理由があると思われますが、造幣博物館での貨幣へのこだわりについての展示を見ていると、どうも日本では貨幣や紙幣そのもの自体に対する愛着が非常に強いのではないかという気がしてきます。

造幣局が販売している貨幣セットは、その年に製造された1円玉~500円玉各6枚を、デザイン性豊かなパッケージに入れて販売しているものですが、これはよく考えると、硬貨6枚の合計金額(666円)を、それ以上のお金を払ってでも買い求める人がたくさんいるということです。
このような例や、貨幣・紙幣に対する偽装防止などの加工技術や装飾性に対するある種の異常なまでの(?)こだわりを見ていると、貨幣・紙幣に対するフェティッシュな、あるいはアニミズム的な思い入れが、我が国では非常に強いのではないか。ものに魂が宿る、アニミズム的な心性が日本には残っているなどとはよく言われることですが、これが貨幣・紙幣についてもいえるのではないか、という気がしてきます。
諸外国の例をくまなく確認したわけではありませんが、我が国のキャッシュレス化の遅さの背景には、ひょっとしたらこのような理由もあるのかもしれません。


ということで、造幣博物館もまた興味深い博物館でした。
大阪市内の近場でもまだまだ知らない場所はたくさんありますので、今後もあちこち訪れる予定です。