漫画の思い出  ジョジョの奇妙な冒険 | れぽれろのブログ

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90年代前後のサブカルチャー・大衆文化について考えてみようシリーズ。
思い出の少年漫画編第2回として、荒木飛呂彦さんの「ジョジョの奇妙な冒険」について書いてみようと思います。

「ジョジョの奇妙な冒険」は週刊少年ジャンプにて1987年から連載されている漫画作品で、その後掲載誌を移して現在も連載が継続しています。
少年ジャンプお馴染みのいわゆるバトル漫画ですが、物語の舞台となる時代や場所は様々、第1部は19世紀のイギリス、第2部は1930年代の北米とヨーロッパ、第3部は1980年代のアジアとエジプト、第4部は90年代末の日本、第5部は21世紀初頭のイタリア・・・と移り変わり、ジョースター一族の奇妙な冒険が描かれ続ける、長大なサーガともいえる作品です。
自分がほぼリアルタイムで読んでいたのは、1987年から一旦連載が中断する1999年までの12年間、物語で言うと第1部から第5部の頃、小学校高学年から大学生の頃で、若干のずれはありますが、だいたい第1,2部が小学生、第3部が中学生、第4部が高校生、第5部が大学生の頃と重なります。
第6部はゼロ年代前半の連載で、自分は連載終了後にまとめ読みしました。
第7部と第8部は読んでいません。
従って、本記事は第1部~第5部の12年間の記憶を中心とした記事になります。


・ジョジョの奇妙な冒険(63巻)

一旦連載が中断する第5部の最後の巻の表紙です。
奇抜なデザインのファッション・髪型をした登場人物たちの身体が折り重なる独特の画風が魅力的です。(画風については後でも触れます。)


前回「ドラゴンボール」の記事で、80年代から90年代にかけて少年ジャンプがすごい人気でほとんどの子供が読んでいたこと、強い敵と闘って勝つというバトル漫画がとくに人気が高かったこと、その中で敵の強さがインフレ的・バブル的に増大しがちであったこと、などについて述べました。
本作「ジョジョの奇妙な冒険」においても、第1,2部はややインフレ敵に強さが増大(吸血鬼から究極生物へ)する傾向にありましたが、第3部以降はバトルの方向性が変わり、ポストバブル的バトル漫画ともいえるような作品に変わっていきます。


本作の面白さ。
1つは「スタンド」と呼ばれる一種の超能力の設定が追加されたことです。

スタンドは第3部から登場、登場人物1人につき1体の視覚化された超能力のビジョン(スタンド)が付与され、このスタンドが発動することにより、時間を止める、壊れたものを修復する、触れたものを爆弾に変える、無生物を生き物に変える、などの不思議な超能力が発動できるようになります。
スタンドの設定によりバトルが独特のものになり、超能力を利用したある状況設定の中での攻撃に対し、機転を利かしてその状況設定を如何に切り抜けて反撃するか、といったところが本作の重要な面白みの1つです。
これによりパワーのインフレ化には歯止めがかかり(第2部の究極生物カーズ様のようなわけのわからん強さの人物は以降登場しなくなる)、殴り合いというよりは心理戦の要素が強く、バトルの方式も様々なパターンが登場、場合によってはポーカー、テレビゲーム、サイコロゲーム、じゃんけんなども、複雑な心理戦に変化します。(この漫画を読んで「グラスとコイン」ゲームをやってみたことがある人もいるはず。自分も当時弟と1円玉をかき集めて対決してみました 笑。)

奇妙な状況設定を機転と知恵で切り抜ける、このスタンドという設定の面白さは、ミステリやホラーの影響の他、昔の忍者漫画やある種の講談の面白さにの延長上にあるようにも思います。
その反面、状況設定の面白さを追求するあまり、つじつまの合わなさや伏線回収の放棄がみられるのも本作の特徴。
前回「ドラゴンボール」がなんだかんだ言って物語がつながっている、ストーリーテリングが上手いということを書きましたが、「ジョジョの奇妙な冒険」は近隣の作品であれば「キン肉マン」や「魁!男塾」の方に近く、今週の面白さのために先週までの設定を犠牲にする、ということもしばしば行われていたように思います。
ディオ様のスタンド能力は明らかに途中から変わっている、玉美や間田は数週間で身長や体格や顔まで変わる、アナスイに至っては性別まで変わる 笑、ポルポの隠し財産の在処が突然タオルミーナからカプリ島に変わる、第3部の家出少女はどこへ行った?、ジョルノの感覚が暴走する能力はどうなった?、ポルポの指の描写は何だったのか?、というようなことが度々ありました。
小林玉美に代表される体型の極端な変化がその典型で、これは人物造形の一貫性よりも、瞬間ごと不気味さや情けなさの描写を優先した結果です。
細かいことはどうでもよく、今週をいかに面白く見せるかというところに力点が置かれるのも本作の楽しい要素。


面白さの2点目は、絵柄です。

独特の身体表現や人物のポージング、スタンドのデザインが本作の大きな魅力。
初期のころは原哲夫や宮下あきらなどのムキムキマッチョな人物が多数登場する絵柄に似ており、自分はあまり好きではありませんでしたが、第3部あたりから人物がやや細くなり(これはバトルの方式がパワーから精神に移行する傾向とリンクしている)、第4部を経て第5部のギャング少年たちが最も細い体型、第6部ではその反動なのか少しマッチョに戻ります。
とくに第4部以降、登場人物のファッションや髪型がかなり奇抜なものになり(おそらくはファッション誌をモデルにしていると思われる)、コマ割りも斜めの線を多用した独特のものに変化していきます。
第4部以降のときにエキセントリックなファッションと構図は必見。

個人的に最も好きなのが第5部の絵柄で、とくにシュルレアリスム風の超能力描写が非常に面白いです。

主要登場人物2人の能力描写がとくに顕著で、無機物が動植物に変化する表現、ジッパーにより身体や物体が分離・貫通する表現の面白さは、ぜひ絵柄を見てほしい描写。
この他にも、固形物に釣り糸を垂らすと水面化する表現、血液が無機物化し身体から飛び出す表現、コンクリートの地面が液状化しその中を泳ぐ表現など、絵的に面白い描写がたくさん。
絵柄は基本的に西洋美術的で(ミケランジェロの影響など著者はどこかで語っていたような記憶あり)、それに加えてファッション写真などとの関連性(例えばアーヴィング・ペンなどに遡れるのかも)もあるように思います。
スタンドの造形はウルトラマンなどの一世代前の特撮番組の流れにあるといえるかもしれません。
このスタンドの造形もかなり魅力的で、人間に似た造形のものから動物のような造形のもの、有機的なものから無機的・機械的なものまで、幅広いモンスターの造形を楽しむことができます。


その他。

悪者の人物表現について。
上に面白さを追求するために連続性やつじつまを犠牲にする、ということを書きましたが、これとは逆にかなり一貫しているのが、悪の定義です。
本作では総じて、結果だけを求める行為、目的達成のためには犠牲はやむを得ないという考え、「過程や方法などどうでもよいのだ」「勝てばよかろうなのだ」という考えが、一貫して悪として否定されています。
その目的が頂点への君臨であれ、生物的本能であれ、平穏な生活の希求であれ、果ては人類の救済であっても、結果だけを求め何かを犠牲にする行動は悪として否定される。
逆に、過程や方法を重視しその積み重ねを後継者に伝達する(アバッキオと殉職警官に代表される)ことが、正しいこととして表現されています。
結果より過程、目的より手段の重視。
これはナチズムやスターリニズムの否定であり、熟議民主主義的なものの肯定と読み替えることもできる、その意味でもこの善悪に関するテーマ設定は非常にポスト冷戦的です。


海外ミュージシャンや映画へのオマージュ。
本作の登場人物やスタンド能力の名前は、多くは海外のロックを中心としたミュージシャンの名前や楽曲名から取られています。
当時CDショップで、このバンドだったのか、この曲だったのか、などと元ネタのCDを見つけて面白がっていた人も多いのではないかと思います。
逆に好きなミュージシャンに関わる名前が登場すると嬉しくなるもの。
自分は高校~大学当時グリーン・デイが好きだったので、チョコラータが登場したときは嬉しく、この人物がまたこの漫画史上最悪の性格で、最終的に7ページに渡ってボコボコに殴られ続け(このような漫画表現はたぶん珍しい)、ゴミ箱に放擲される様子はかなり痛快でした 笑。

本作は映画へのオマージュも多く、後に「激突」を見ればホイール・オブ・フォーチュンを思い出し、「スティング」を見ればダービー兄貴を思い出す、これが元ネタだったのかと知る、ということが多数ありました。
逆に自分は「マグノリア」が好きだったので、ジョンガリ・Aやウェザー・リポートのエピソードでオマージュを発見したときは嬉しくなりました。
(文芸との関係で言えば、トニオさんのイタリア料理のエピソードと筒井康隆「薬菜飯店」の文庫化が確か同じ時期で、自分はほぼ同時に読んだので驚きましたが、これの関連性はよく分かりません。身体から分泌物・老廃物が放出され、その結果身体が治癒するという表現を、それぞれ絵と文章で楽しく表現した、両方とも面白い例なのではないかと思います。)


この他にも本作の面白みははたくさん。
独特のセリフ、フォント変更や引用符(かぎかっこ)の多用。
「ゴゴゴゴ…」に代表される個性的なオノマトペ。
街の地図や建築物の見取り図などがいちいち詳細に説明されるのも楽しい。
ホラーやサスペンス映画のような映像的な見せ方の面白さ。
ときに勢い余って過剰な表現になる(ディオ様とのバトルでは各人物は明らかに空を飛んでいる 笑)。
「じゃんけん5回勝負」を1ヶ月以上に渡ってこれほどドラマティックに描いた漫画は
他に例がないのではないでしょうか 笑。
ちなみに自分が全編で一番好きなお話は、第4部の終盤、時間がループする中で小学生の早人くんが父親(に化けた犯罪者)に一矢報いるエピソードです。


以上、懐かしの「ジョジョ」の思い出などでした。
機会があれば第7部や第8部も読もうとは思っていますが、昨今は新作漫画への関心がほぼ皆無ですので、読む日が来るのかどうかは不明です・・・。