暑い夏には90年代ロック | れぽれろのブログ

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猛暑の夏。
毎日暑い日々が続きますね。
7月中旬から始まった危険な暑さ、なかなかおさまる気配がありません。
エアコンのお世話になりつつ日々を乗り越えていますが、人間の体というのは意外と柔軟にできているのか、このところは自分は暑さにも少し慣れてきています。

ということで、夏真っ盛りの中、久しぶりのロックミュージックの記事。
暑い夏は熱い音楽で乗り越える。毒を以て毒を制す。
90年代日本のロックの「名曲」を4曲ほど並べてみます。
とにかく暑苦しい曲を並べますので、ご興味のある方は覚悟の上で(笑)聴いてみてください。


・EVIL CAR/ゆらゆら帝国

 


90年代後半~ゼロ年代を代表するロックバンド、ゆらゆら帝国のメジャーデビューアルバム「3×3×3」からの1曲です。
9分を越える長い楽曲。
この曲の良さ(暑苦しさ)は何といっても4分間の間奏部分、3分30秒~7分45秒あたりのサイケデリックな音作りにあります。
この部分のイメージは車の急加速+高速走行。
ベースとドラムのリズム隊の上にに乗って奏でられるウィンウィン・キュインキュインと唸るギターノイズの重なり、音色豊かなノイズの組み合わせが楽しいです。
YouTubeの音質でも堪能可。
だんだんノイズの音色が増えていきますので、できればヘッドフォンで、細部の音をじっくり聴いてみると面白いと思います。

歌詞の不気味さにも要注目。
「さらわれる子供」「動植物との意思疎通」というモティーフは、ゆらゆら帝国のいくつかの楽曲と共通します。
歌詞の雰囲気が気に入った方はアルバム「3×3×3」の表題曲なども聴いてみると面白いかもしれません。


・ガストロンジャー/エレファントカシマシ

 

 

90年代末、1999年の暮れも押し迫った12月に発売された楽曲。
この動画には「Live Ver.」と書かれていますが、この音源はスタジオ録音盤のはずです。
エレカシと言えば「今宵の月のように」のようなミディアムナンバーが有名だと思いますが、この「ガストロンジャー」は畳みかけるようなラップになっています。
自分は99年当時、テレビでこの曲(≒絶叫)を聴き、ボーカル宮本さんのエキセントリックな言動と合わせて面白いなと思いました。
この曲が収録されたアルバム「good morning」は、自分が唯一持ってるエレカシのアルバムです。

歌詞で表現されるのは1999年当時の社会に対する苛立ち、ひいては歴史を通しての人間社会全体に対する苛立ちと反抗心。
高度成長が終わった70年代以降の低成長時代の、こんなはずじゃなかった感がよく現れた歌詞になっています。(タイトルの「ガストロンジャー」の意味はよく分かりません。)
成長により得られた成果は「豊かさとどっちらけ」。
「憂うべき状況とは思っていないけれども、ならばこれが良いのかと問われればまあまあだと答えざるをえない」というのが90年代末の不全感をよく表しているように思います。
「人の良さそうな変な奴がのせられて偉くなっちゃって」の部分は、99年当時誰しもが小渕恵三首相を瞬時に思い出したはず。
この社会に対して「化けの皮を剥がす」「勝ちにいく」と叫びますが、誰の化けの皮を剥がすのか、何に勝ちにいくのか、その対象は不明確。
「あいつら」が誰なのかが分からない。(歌詞のニュアンスから考えると少なくとも小渕内閣ではない。)
この具体性のなさが90年代の漠然とした不全感そのもののように感じます。

「ガストロンジャー」が収録されたアルバム「good morning」の発売はこの翌年(2000年)の4月、奇しくも小渕首相が昏睡状態に陥った中、慌ただしく首相交代した直後に発売されました。
この曲から20年弱、現在の社会は「憂うべき状況」がより深刻化しているようにも思います。
混迷の大きな歴史的要因の1つが、小渕首相昏睡後の密室での首相推挙に端を発する、旧経世会・宏池会的なものから清和会的なものへの移行。
小渕恵三よりもっと「人の良さそうな」人がのせられて偉くなっている現在、今から振り返ってこの曲を聴くと、この歌詞はまだまだ呑気なものだという印象をも感じます。


・悪いひとたち/BLANKEY JET CITY

 


90年代バンドブームを代表するBLANKEY JET CITYからの1曲。
発売は1992年ですが自分は少し後になってから聴きました。
ボーカル浅井健一さんは声楽的な意味でいわゆる歌が上手い人ではなく、男性ボーカリストとしての声質もそれほど魅力的ではありませんが、しかし不思議とこの歌唱はクセになります。このオーラはなんなのか。
この「悪いひとたち」は9分を越えるスローナンバー。
悪いひとたちの歴史を歌った歌詞はやや過激なため、シングル盤はインディーズで発売されたといういわく付きの楽曲でもあります。

この曲の魅力はやはりその歌詞世界です。
序盤で悪人たちの侵略・略奪・虐殺が描写され、中盤ではその子孫たちの享楽に溺れる退廃ぶりが描かれ、そして終盤では破滅に向かう終末的な予感が描かれ、そんな世界に対する「僕」「オレ」のイラつきと自己破滅が歌われる。
しかし、この圧倒的に非合理でどうしようもない世界に対し、「ピースマークを送るぜ」と叫び、悪い人間たちが生む赤ん坊は「きっとかわいい女の子だから」と予感する。
破滅へと向かう土壇場での世界の肯定。
これは何かに微かな希望をみているのか、それとも単にアイロニーなのか?
暗く過激で退廃的な歌詞世界の中に、可愛らしいもの・愛しいものが一瞬浮かび上がるというのは、ブランキーの楽曲に何度も現れるモティーフです。
基本的にこの世界は苦しみでしかない、放っておくと悪が栄え、破滅に至るのは世の習い。
しかしその世界もなぜか時に愛おしく感じられる瞬間がある、だから人は生きていける、このような世界把握を自分はこの楽曲から感じます。

自分ブランキーの名を知ったのは、90年代に流行ったヤンキーギャグマンガ「カメレオン」がきっかけ。
この作品に登場する成田の女の子が、松戸の不良少年に恋するきっかけになったのがこの「悪いひとたち」のシングルCDで、個人的にあれこれと90年代を思い出してしまう楽曲でもあります。
このYouTubeライブ映像は自分は今回初めて見ましたが、なかなか感動的。
中村さんのドラムさばきにも注目、長いアウトロもいい雰囲気です。
スタジオ録音盤よりこちらの方がよいテイクと言ってもいいかも。


・怒りのグルーヴ ~震災篇~/嘉門達夫

 

 

昔、ロックの定義について、作家の中島らもは「ロックはある種の精神状態」と規定しました。
楽曲の構成云々ではなく、精神状態がロックであるか否かを規定する。
嘉門達夫さんのこの曲は1995年の阪神大震災の直後に作られたコミックソングですが、らもさんの規定に従えばこれはロックと呼んでもよい音楽です。
当時嘉門達夫さんご自身も神戸で被災し、その後かなりの金額を被災地に寄付したのも有名な話。
歌詞は主として当時の政治やマスコミに対し怒りをぶつけたもの。
今聴くと、「経済界要人と昼食パーティーをする村山総理」という部分は、つい最近の水害時の政治家の振舞いを直ちに思い出させ、人間の振舞いの変化のなさをも感じさせます。

この「怒りのグルーヴ」には宗教編もあり、こちらは先月教祖・幹部が処刑されたオウム真理教事件がテーマで、95年当時の日本社会の混乱ぶりがよく表れた歌詞になっています。
宗教編はYouTubeでは見つかりませんが、ニコニコ動画にはあるようですので、
ご興味のある方は聴いてみても面白いかもしれません。