内藤正敏 異界出現 (東京都写真美術館) | れぽれろのブログ

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7/14~7/15の2日間、東京に遊びに行ってきました。
14日の土曜日は恵比寿にある東京都写真美術館に行ってきましたので、覚書を残しておきたいと思います。

この日、東京都写真美術館では、「内藤正敏 異界出現」「イントゥ・ザ・ピクチャーズ」「世界報道写真展2018」の3つの展示が行われていました。
自分は3つとも鑑賞しましたが、メインの目的は内藤正敏の写真展です。
内藤さんの作品には以前から関心があり、この度東京都写真美術館で特集が組まれるということを知り、これはぜひ見ておかなければということで、今回の旅行を計画したのでした。
会期は7/16までですので、ギリギリの鑑賞。
この「内藤正敏 異界出現」は非常に面白く、興味深い展示になっていました。

会場ではほぼ年代順に作品が展示されていました。
内藤正敏さんは1938年の生まれ。

いわゆるフォークロア、民俗的なものの写真家として有名な方ですが、50年代末から60年代初頭の初期作品は実験的な作品が多く、同時代のアヴァンギャルド(前衛)美術とリンクするような作品が続きます。
化学薬品の反応を撮影し、未知の生命体や宇宙空間のようなイメージを作り出す作品群は、アーサー・C・クラークや小松左京などの当時のSF作家の本の装丁にも使用されています。
人間の目とのコラージュを取り入れた「キメラ」のシリーズは、水木しげるの妖怪バックベアードのデザインに影響を与えた可能性も。(解説によると関連性は現時点では不明とされています。)

1963年に山形県で即身仏を撮影、これ以降作風が変わり、民俗的なものを主題とする作品がメインになります。
同時にこの時期に、幕末~明治初期にかけての日本草創期の写真家の研究を行っており、上野彦馬らを中心とする九州のグループや下岡蓮杖らの関東グループよりも、撮影対象と対決するような田本研造らの北海道グループの写真作品の重要性を強調。
これ以降、北国:東北地方の写真が多くなり、この時期の代表作品が青森県のイタコを撮影した「婆バクハツ」のシリーズです。

70年代から80年代にかけて、継続的に東京の都市部を撮影。
個人的にこの都市の闇を幻視するシリーズが一番面白いです。
夜の闇に浮かび上がる人物たち、事故、暴力、酔っ払い、路上生活者、キャバレー・性風俗の看板、見世物小屋の女芸人、近代化した大都市でありながら、そこに前近代の江戸的なものが噴出する。
斜めに捉えられた構図が多く、ストロボにより白い人物と黒い人物が交錯する、前景と後継が分離してコラージュに似た効果を生んでいる作品も多く、ストレートフォトであり、都市民俗的な主題でありながら、前衛的な要素も感じられるという、非常に面白い作品になっています。

以降、「遠野物語」のシリーズなど東北の村落への関心が継続します。
東北の仏像などの文化遺産のクローズアップ写真も同時期の作品。
80年代以降は出羽三山を主題とした作品が増え、霊峰から撮影した壮大なカラー写真がこれまた面白いです。
大型の機材を用いて長時間に渡り露光し、これにより太陽や星の動きが光線として現出、それが動かぬ山々と対比される作品群は、そのカラーリングも非常に綺麗で荘厳な作品になっています。
展示の最後には、初期作品と後期作品の大判プリントが並べて展示されており、初期のSF的作品と後期の霊峰の写真が組み合わされて展示されているのも、眩暈的な面白さがありました。

本展示を通じて、内藤正敏さんの面白さは民俗的なものと実験的なもの折衷にあるということに気付かされます。
通常民俗的なものを撮影する場合、そのありのままの様子を撮影しようとするケースが多いようと思いますが、内藤正敏はさにあらず。
上にも書いた通り、都市や農村の在り様の撮影法、山々の撮影法が実験的であり、これは初期の前衛芸術としての写真への構えが後期まで継続しているということなのかもしれません。
60~80年代以降の日本社会(都市・農村)や山々の自然風景を鑑賞する面白さと、構成・カラーリング等の画面そのものの心地よさが交錯する。
同時にこのあたりは、単に対象をクリアに撮影しようとする上野彦馬-下岡蓮杖的なものと、対象と対決しようとする田本研造的なもの差、ということなのかもしれません。
自分は草創期のこれらの写真家をきっちり比較したことがないので、このあたりについても何やら興味が湧いてきます。


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同時に開催されていたコレクション展「イントゥ・ザ・ピクチャーズ」も面白い展示になっていました。

まず、何よりも有名作家の作品がずらりと並んでいることに驚きます。
超有名作家による超有名作品の数々。
アンドレ・ケルテス、ブラッサイ、アンセル・アダムス、アンリ・カルティエ=ブレッソン、ロベール・ドアノー、ロバート・キャパ、ユージン・スミス、ダイアン・アーバス、ロバート・フランク、ウィリアム・クライン、ロバート・メイプルソープ、シンディ・シャーマン、中山岩太、木村伊兵衛、土門拳、植田正治、奈良原一高、森山大道、荒木経惟、鬼海弘雄、橋口譲二、・・・。
これだけの有名作品のプリントを所蔵しているというのもすごいです。

恐るべし、東京都写真美術館。

一方で今回の展示では作家名・作品名はキャプションとして表示されておらず(目録には表示されている)、固有名から離れてあくまで写真のみを鑑賞し、そこから何が見えてくるか思考する、ということが展示の趣旨のようです。
これはこれで面白い試みですが、自分はやはり固有名を表示し、年代別・地域別・分野別に整理するようなオーソドックスな展示の方が好みかもしれません。
国立国際美術館の前回の大規模なコレクション特集「視覚芸術百態」(これはこれでかなり面白い展示でした)もそうでしたが、コレクションをどのように展示するかということに、学芸員の方々は現在頭を悩ませているのかもしれず、今後の写真展示を占う上でも重要な展示であるようにも思います。
(自分はどちらかというと保守的なのか、あまりにキュレーションが強すぎる展示法よりは、オーソドックスな展示の方が好みであるということに最近気づいてきています。)

展示の最後は、中平卓馬、ホンマタカシ、ルイジ・ギッリの小特集。
これが素晴らしかったです。
中平卓馬の、アヴァンギャルドから超ストレートに移行して以降の、素晴らしいカラー作品の数々。
ホンマカタシの、現代の都市と家族と社会をあれこれ想像せざるを得ない作品群。
そしてルイジ・ギッリ、これは知らない作家さんでしたが、有名静物画家ジョルジョ・モランディのアトリエを撮影した作品が展示されていました。
モランディの「モデル」たち、あのコップや瓶などが、絵画作品のように撮影されている!、これは面白いです。


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上記2つの展示は空いていましたが、もう1つの「世界報道写真展2018」は混雑していました。
圧倒的な現代デジタル写真の力に驚きを覚える展示。
自分は途中から頭痛が酷くなり、報道写真の方はさらっと鑑賞、頭痛薬をドーピングし、併設のカフェと4Fの図書スペースで夕方までのんびり過ごしていました。
併設のカフェに入るのは今回が初めて。
以前は確か自販機が設置されている休憩スペースがあったはずですが、今回は見当たりません。自販機は撤去されたのかな?
4Fの図書スペースはゆったりと様々な写真集を鑑賞することができる素晴らしいスペースで、自分は毎回ここで休憩しているように思います。


ということで、東京都写真美術館の展示は毎度面白い。
今回もたっぷりと楽しむことができました。

次回の記事では、ついでに訪れた東京の街の様子をまとめる予定です。