幻想と衝撃の夢体験 (いずみシンフォニエッタ大阪) | れぽれろのブログ

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時系列が前後しますが、2月10日の土曜日、いずみホールにて開催された、いずみシンフォニエッタ大阪の第40回定期演奏会「幻想と衝撃の夢体験-超人的オーボエ!インデアミューレを迎えて-」と題された演奏会の覚書を残しておきます。

2月10日は冷たい雨が降り続いた日。
いずみシンフォニエッタ大阪の定期演奏会では、毎回本番の30分前にロビーにてミニコンサートが催されるのですが、この日はなぜかチケット引き取り場に大行列ができており、ミニコンサートの鑑賞を逃しました。
いつもは並ばずにチケットを引き取れるのですが、なぜなのか。
今後はもっと早く行かないといけないのかもしれませんね。

いずみシンフォニエッタ大阪は少人数編成のオーケストラで、主として現代音楽を演奏する大阪のクラシック音楽演奏団体。
ほぼ半年に一度(なぜか猛暑の夏と極寒の冬に)定期演奏会が開催されますが、今回が第40回めということで、節目の演奏会になるようです。
基本的に一度演奏された曲は再度演奏されることはなく、常に違う曲を採り上げるチャレンジングな演奏団体で、日本初演や世界初演の演奏も多いです。
しかし、今回は節目の回として、第1回定期演奏会で演奏された曲を一部再演するとのことです。
自分は第1回は鑑賞していませんので(確認すると自分は第28回から鑑賞しています)いずれにせよ初めてです。

以下、各楽曲の覚書など。


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1曲目は、レスピーギ作曲・川島素晴編曲の「ローマのいずみ」なる曲。

「いずみ」はおそらくいずみシンフォニエッタ大阪の「いずみ」。
レスピーギの「ローマの噴水」を、いずみシンフォニエッタのような小編成オケ向けに編曲しなおした作品ですが、本曲はそれだけに非ず。
全編に「ローマの松」や「ローマの祭」からの引用も散りばめられ、ごちゃまぜ感のある、華やかな曲に仕上がっていました。
原曲は三管編成の曲ですが、これを小編成に編曲しているため、各パートの忙しさが尋常ではありません。
ピアノ、チェレスタ、パーカッションも奏者が入れ替わり、何やら大変そう。

「ローマの噴水」は個人的に第1曲目が好きで、心地よいオーボエ、体に響くオルガン、キラキラしたチェレスタの響き、金管のアクセントが楽しめます。
本曲においては、第2曲では唐突に「ローマの祭」の酔っぱらいのトロンボーンが登場。
第3曲でも後半に「アッピア街道の松」のトランペットのファンファーレが聴こえ、同曲のコルアングレの動きも聞こえてきます。なんやこれは(笑)。
自分はレスピーギにそんなに詳しいわけではないので、全ての引用は判別不能ですが、それにしてもなかなかの詰め込み具合です。
名画の断片をコラージュしまくる横尾忠則の絵画風というか、過去映画へのオマージュを連発するタランティーノの映画風というか、マニアックで好き放題やりすぎの感がありますが、このような音楽もまた楽しいものです。


2曲目。
いずみシンフォニエッタ大阪の音楽監督である西村朗作曲、オーボエ協奏曲「四神」の世界初演。
4つの楽章からなるオーボエ協奏曲で、独奏オーボエが楽章ごとに4種類のオーボエを持ち替えるという、これまたかなりの無茶振り(笑)の協奏曲です。
各楽章が異なる季節と神を表しており、
 1楽章-夏-朱雀-コルアングレ
 2楽章-秋-白虎-オーボエ・ダ・モーレ
 3楽章-冬-玄武-バスオーボエ
 4楽章-春-青龍-普通のオーボエ
という構成になっています。
ソリストはトーマス・インデアミューレという方で、素敵な演奏&テクニックを披露されておられました。

全体的にメロディよりも音色が重視され、ときどき高音のきらりと光るようなアクセントが入り、それが閃光のように炸裂する、西村さんの心地よいパターンを踏襲している曲でした。
オーボエの音が低く、オケ・打楽器の高音との対比が印象に残ります。
独奏オーボエはポルタメントが多用され、微分音のような微妙な音があちこちに登場、なんぼダブルリードやいうてもここまで音程揺らしたら大変やろ、というような難易度の高そうな曲です。
全4楽章の構成はアレグロ-スケルツォ-アンダンテ-アレグロといった感じで、2楽章のお祭りのようなリズムとカデンツァ、4楽章の輝くような音楽とカデンツァが印象的。
とくに4楽章のカデンツァでは、これがオーボエの音なのかというような、不思議な音色になっています。
最後はオーボエのトリルと長いブレス(息がたいへんそう)が続いて、おしまい。
奏者と楽器に多大な負担をかけそうな(笑)曲ですが、音が非常に楽しく、今回の音楽の中で最も楽しめました。


休憩を挟んで3曲目。
マウリシオ・カーゲル作曲の「フィナーレ」という曲で、この曲が第1回目定期演奏会の曲の再演となるようです。
カーゲルは20世紀の作曲家で、アルゼンチンで生まれ、ドイツに移住し作曲を続けた方。
パフォーマンスやハプニングの要素を取り入れた音楽が特徴とのことで、この「フィナーレ」(1981年の曲)も、ハプニング要素の強い、実験的で楽しい曲になっていました。

「フィナーレ」というタイトルの通り、曲は終わりに近づこうとする雰囲気で、終わりそうで終わらない感じが続きます。
と言ってもベートーヴェンの交響曲の4楽章のような、輝かしくもなかなか終わらないという感じではなく、カーゲルの方は死に絶える憂鬱と言えるような感じで、どことなく不穏な音楽が続く。
R・シュトラウスの「死と変容」に似た印象も感じられ、ときどきアクセント的な勃発もあります。

そして演奏の終盤、指揮者(飯森範親さん)の指揮の勢いがだんだん弱くなり、ついに指揮者が前のめりに倒れてしまいます。
気を失ったと思しき指揮者、譜面台を倒し、楽譜も散乱。
オケメンバーは慌てて指揮者のもとに駆け寄ります。
このたりの演技もスコア上の指示らしく、スコアによってあらかじめハプニングが指示された音楽、ということのようです。
オケメンバーは指揮者の死を確認、弦楽器の弓で指揮者の死体を突っつき、顔の上には白布がかけられますが、これもスコアの指示なのか、それとも本楽団のアドリブなのか、どちらなのかな?
以降はコンマスがオケに指示出しし、曲が進んでいきます。
そして奏でられる「怒りの日」の旋律、「フィナーレ」とは最後の審判の意味もあるのでしょうか。
ピアノからオケに渡って演奏される「怒りの日」は正確な再現ではなくどことなく中途半端。
その後、会場の両端から、布(担架)を持った人が登場し、指揮者(の死体)は運ばれていきます。
足を踏み鳴らす音が聞こえ、奇怪な音をたてながら曲は終了に近づく、最後は会場の照明が消え、オケメンバー全員が退場し、おしまい。
何なのかこの曲は(笑)。
半年前のグルーバーによる「フランケンシュタイン!!」以上の問題作ですね。

前回の記事(国立交際美術館で開催中の「トラベラー」)にて、美術分野でパフォーマンスの重要性が増していることや、パフォーマンスを所蔵・保存すること(再現可能な形で指示を残す)について書きました。
20世紀中盤以降の音楽もこのあたりのこととは無関係ではなく、どのようにパフォーマンスとしての要素を取り入れるかについては、音楽家の関心の対象でもあったことが本公演からも分かります。
ハプニングの保存という点では、スコアという作曲者の指示が明確に存在する音楽という分野においてそもそも適しているのかも、などと考えながら鑑賞しました。

最後は指揮者の飯森範親さんのメッセージ。
第1回の定期演奏会の直前にお母様が亡くなられたことについて、エピソードなどを語られていました。
天国から母の「何あほなことやっとるんや」というような声が聞こえる、という趣旨のコメント。
あほなこと、そう、馬鹿馬鹿しいことを真剣にやるのは面白い。
アートはどこか諧謔の部分を含んでいることも大切で、個人的にも崇高性よりも遊戯性が高いものの方が好みです。


ということで、いつもながら興味深い演奏会でした。
いずみホールは今春から改装に入るため、今年の夏の公演は中止とのこと。
次回の定期演奏会は1年後です。
今後もいずみシンフォニエッタ大阪からは目が離せません。


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さて、いずみホールのホームページを確認すると、磯山雅さんの訃報が伝えられていました。
磯山さんは音楽学者で、いずみホールの公演にも関わられておられた方。
自分はモーツァルト「魔笛」のCDの解説で初めて知った方です。
15年ほど前の放送大学の西洋音楽史の講義でも、確か登場されておられた記憶があります。
その後、講談社学術文庫の「モーツァルト=翼を得た時間」を読み、この本は我が家の本棚に残っています。
ご冥福をお祈り致します。