クラーナハ展 500年後の誘惑 | れぽれろのブログ

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1月28日の土曜日、「クラーナハ展 500年後の誘惑」と題された展覧会を鑑賞しに、中之島の国立国際美術館に行ってきました。
この日は展覧会の開催初日、入場者は比較的少なく、あまり混雑していない中、のんびりと鑑賞することができました。

クラーナハはいわゆる北方ルネサンスの画家。
16世紀前半のドイツで活躍した画家で、美術史上ではデューラー、ファン・アイク、ボッシュ、ブリューゲル、ホルバイン、グリューネヴァルトらの北方の画家たちと同じカテゴリで登場する画家です。
偉大な古代の復興・人間賛歌を謳ったイタリアルネサンスとは異なり、アルプス以北においては全体の調和より細部に神が宿る世界、禍禍しく妖しげな身体、そしてモンスターたちが跳梁跋扈する世界が描かれました。
自分は昔から北方ルネサンスの作家への関心が強く、このブログにおいても、レオナルド、ミケランジェロ、ラファエロらのイタリア系の作家に比べて、上記の作家たちの登場頻度が高いのはこのせいです。
当ブログの「美術」カテゴリの記事を見返してみると、3回目にブリューゲルを、4回目にクラーナハを取り上げています。

クラーナハについては、自分は2010年に京都国立博物館で開催された「THE ハプスブルク」という展覧会で、ブダペスト国立西洋美術館所蔵の「洗礼者聖ヨハネの首を持つサロメ」を鑑賞しています。
この作品はサロメの身体の形状、そして服装や背景の細部の描写が楽しめる、クラーナハを代表する素敵な作品でした。
このときにはクラーナハ単体の展覧会などまず見られないだろうと思っていましたが、今回まさかの実現で驚いております。
この展覧会はウィーン美術史美術館の協力の下に開催される展示で、通常は現代美術を取り扱う国際美術館の誘致、これはぜひ鑑賞せねばということで、楽しみにしていた展覧会です。
会期初日に出かけていくという展覧会は何年ぶりでしょうか。

本展覧会はクラーナハの宗教画、神話画、肖像画、裸体画など多数が展示されており、板絵もあれば版画もある展覧会。
合わせてクラーナハの同時代の作家や、クラーナハの影響下にある作家の作品なども展示され、クラーナハの魅力が余すところなく堪能できる展覧会になっていました。


本展示を鑑賞し、とくに面白かったところを3つほど。

1つは細密描写です。
これは北方ルネサンスの作家全般に言えることですが、とにかく細部が面白いです。
クラーナハの場合、とりわけ服や髪の毛や木々などの細部の描写がいちいち細かくて面白く、細部をじっくり長時間鑑賞していても飽きません。
色彩も豊かで、このあたりは絵画の復元に対する研究者の努力の賜物であるのかもしれません。
当時の人物たちが身にまとっている服の質感、髪の毛や帽子などの細部、宝石や装飾品の描写、そしてある種の禍禍しさをも感じさせる背景の木々や草などの描写、これらの描きこみが素敵です。
一方で人体の造形や絵画全体の空間配置などはいびつなものもあり、イタリアルネサンスのようなバランス感覚や、遠近法的なもの、ある種の合理性の探求のようなものは期待できません。
作品によっては人体の在り様に違和感を感じたり、顔のパーツが変だったりするものあります。
洗練された作品であるかどうかという点で鑑賞すると、パッと見だけだとイタリア系に劣るように見えますが、それを差し置いても細部が面白と感じます。

2つめはクラーナハの独特の人体造形です。
会場にはデューラーの版画作品もいくつか展示されていましたが(有名な「メランコリア」や「騎士と死と悪魔」など、この展覧会はデューラーを何点か鑑賞できるというところも重要なポイント)、デューラーの人体造形はやはり素晴らしく、デューラーが古代ギリシャ的・理想主義的な身体表現を探求していたことが分かります。
その一方でクラーナハの描く人体は、独特の「くねり」を帯びています。
とくにこの傾向は女性の裸体画において顕著。
初期作品こそそんなに特徴的ではありませんが、1520年ごろの作品になると、独特のほっそりした身体、S字状のくねりを持った身体が登場します。

裸体画の描き方も興味深いです。
基本的に描かれるのは、キューピッドなどの天使やディアナなどの女神、ルクレティアなどの歴史人物の裸体で、どの裸体画も布をまとっており、その意味では純粋な裸体ではないのですが、この布がなぜかすべて透明、透き通った布で局部を覆っているので、「いっこも布の意味あれへんやないか」と思ってしまうような作品が並んでいます。
とくに印象的なのがルクレティアで、合計3枚が展示されており、その変遷が興味深いです。
ルクレティアは夫以外の男に姦淫された結果、自身の胸に短剣を突き刺して自害したローマ史上の女性ですが、描かれるルクレティアはなぜか胸をはだけており、
しかも3枚目の作品に至ってはルクレティアは意味なく全裸、そしてこの全裸が例によってクラーナハ独特のくにゃっとした身体。
他にも「正義の寓意」に登場する女神なども無意味に全裸で、何が正義やねんと突っ込みそうになります(笑)。
当時のクラーナハへの制作依頼者が、画家に何を期待していたのかが分かる作品たちです。

3つめはルネサンス及び宗教改革との同時代性です。
クラーナハの生まれたザクセン地方は新教派、プロテスタントが増えていた地域ですので、クラーナハは宗教改革者ルターの肖像画を数多く残しており、会場にもルターの肖像画の一部展示されています。
ルター翻訳の1522年版の新約聖書の挿画はクラーナハが描いており、当時の木版印刷による聖書のクラーナハの挿画部分が会場にも展示されています。
この部分だけを鑑賞すると、クラーナハはプロテスタントの影響が強い画家だと思われがちですが、一方でカトリック的な聖母を描いた作品も展示されています。
サロメ&ヨカナーン、ユディト&ホロフェルネス、キリストの幼時など、聖書と関係の深い作品がある一方、上にあげたルクレティアや、ヘラクレスやディアナなど、聖書と関係ない歴史画や神話画も展示さてています。
宗教改革の嵐吹き荒れる当時は新教/旧教の対立が深い時代ですが、クラーナハ自身は非常に世俗的で、どんな依頼でも引き受けて描いている感じです。
このあたりは世俗化したルネサンス的・ユマニスム的なものを感じることができ、16世紀ドイツ地域の様々な顔が見られるようで興味深いです。

様々な素晴らしい作品が展示されていますが、1点だけあげるなら、やはり「ホロフェルネスの首を持つユディト」です。
細部の描写の楽しさ、ユディトの身体性、そしてある種の肖像画としてのバランスの良さも感じられる素敵な作品で、本展示の目玉作品と言ってよいと思います。
このユディトを鑑賞するためだけでも、訪問する価値のある展覧会であると感じます。
(ブダペスト西洋美術館の「洗礼者聖ヨハネの首を持つサロメ」も展示されていましたが、こちらは有名ではない方の作品でした。)

さて、会場にはクラーナハの影響下にあるとされる、近現代の作家の作品も合わせて展示されていました。
ピカソは先人の画家の作品を造形的に再構築する作品を多数残している作家で、クラーナハの「ヴィーナスとキューピッド」の再構築作品も製作しています。
国際美術館ではお馴染みの(?)ジョン・カリンの「スノ・ボ」も、身体はどことなくクラーナハ的。
日本の洋画家、岸田劉生の肖像画も北方ルネサンス的、村山知義のおさげの女の子も顔がクラーナハチックです。
川田喜久治のクラーナハ作品の一部をクローズアップした写真、これがかなり魅力的で素晴らしい。
そして当ブログでも取り上げたこともある(こちら)森村泰昌による「ホロフェルネスの首を持つユディト」の改変作品も大判でどどーんと展示されてました。
ユディトは料理人、ホロフェルネスがジャガイモになる面白写真についても、細部まで堪能することができます。


ということで、かなり密度の濃い、隅々まで楽しめる素晴らしい展覧会でした。
これだけの量のクラーナハ作品を鑑賞できる機会は、日本では滅多にないと思います。
非常に貴重な展覧会ですので、関西の美術ファンは全員今すぐに(笑)国際美術館に行かれることをお薦めしたいです。

なお、現在国立国際美術館の地下2階ではアレシンスキー展も同時開催されていますが、クラーナハが濃すぎるので今回は鑑賞は見送りました。
これはまた別の機会に鑑賞したいと思います。