前回の続き。
9月18日~19日に東京に遊びに行ったついでに、20世紀の様々な事件現場を訪ねてウロウロした記録、今回は戦後編です。
訪問場所には事件とは直接関係のない周辺の建物なども含まれています。
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■下山事件 (1949年7月5日)
戦後4年目の1949年、国鉄に関連した3つの怪事件:下山事件、三鷹事件、松川事件の3事件が発生します。
このうち初めに起こったのが下山事件。
7月5日に当時の国鉄総裁であった下山定則が轢死体で発見されますが、犯人は現在でも不明。
事件の背景には国鉄の強硬な人員整理に反対する労働運動があり、共産党との関連説やGHQ陰謀説などもあるようですが、詳細は解明されておらず、有名な未解決事件の1つとして数えられている事件です。
こちらは足立区、JR常磐線北千住駅-綾瀬駅間の高架下。
下山国鉄総裁追憶碑がある場所です。
東京の北東部、隅田川・荒川を越えますので、今回訪れた中では東京の中心から最も離れています。
訪れるにはJR綾瀬駅よりも東武線の小菅駅の方が近いです。
こちらが追悼碑。
ここは実際の事件現場からは少し離れているようです。
国鉄常磐線と東武線が交差する辺りで事件が発生したようですので、実際の事件現場はこのあたりでしょうか。
この付近は住宅街です。
線路や電車にカメラを向けて付近をウロウロしていましたので、ひょっとしたら鉄道マニアと間違われていたかも(笑)。
足立区綾瀬というと、東京の中でもどちらかというと下町ということになるのでしょうか?
訪れた9月18日はちょうどお祭りのシーズンなのか、「わっしょい、わっしょい」という子どもたちの掛け声が聞こえてきます。
「わっしょい」などという掛け声は文芸や漫画やドラマのものと勝手に思ってましたが、東京では本当に「わっしょい」って言うんですね(当たり前か?)。
「こーりゃーこーりゃー」「そーりゃーそーりゃー」などというだんじりの掛け声しか知らぬ大阪人にとっては新鮮に感じたりします。
■浅沼稲次郎暗殺事件 (1960年10月12日)
1960年10月12日、当時の日本社会党の委員長である浅沼稲次郎が、日比谷公会堂で演説中に右翼青年により刺殺されます。
当時は60年安保の直後で、この7月に岸内閣が総辞職したばかり。
左派運動が盛り上がった直後の、右派青年による反撃的犯行といった印象がある事件です。
写真愛好家にとっては、この事件は長尾靖による刺殺の瞬間の写真が有名だと思います。
長尾靖はこの写真によりピューリッツァー賞を受賞しています。
現在の日比谷公会堂。
1929年に完成した古い建物で、現在は改修工事のため休館中です。
かつては音楽の演奏会なども行われていたようですが、近年は音響の良いホールがたくさんできたためか、あまり演奏会は開催されていないようです。
こちらは近隣にある日比谷野外大音楽堂。
グッズ販売か何かのイベントで、門の前には行列ができていました。
日比谷公園は9月17日に訪れましたが、この近辺ではスマホを持ってウロウロしている人がたくさんいました。
スマホを真剣に見入る人の群れ。
やはりこれは付近にポケモンが登場しているということなのでしょうか・・・?
目に見えぬポケモンの影を感じながら北の方に移動。
公会堂から少し北側ではドイツビールのお祭りが開催されていました。
たくさんのドイツビールや食べ物のお店がずらり。
大勢の人でにぎわっています。
ドイツビールは詳しくないですが、ハイネケンくらいならわかる・・・ということでハイネケンのお店を探しましたが、ありません。
あとで確認するとハイネケンはオランダのビールなのですね(笑)。
語感から勝手にドイツと思っていましたが大間違い。
昼間っからアルコールを摂取するとこの後の旅程に影響が出ますので、ビールを味わうのはパスして次のスポットへ。
■三島事件 (1970年11月25日)
1970年11月25日、作家三島由紀夫が陸上自衛隊の市ヶ谷駐屯地に乗り込み、自衛隊にクーデターの決起を呼びかけ、その後割腹自殺するという事件が発生しました。
現役の有名作家がセンセーショナルな事件を起こしたということで、この事件は世間に衝撃を与え、現在でも文芸批評の分野においては、この事件の歴史的意味について盛んに議論されていたりします。
自分はここ数年、20世紀日本の文芸作家を網羅的に読んみるということをやっていますが、様々な作家の作品を読み比べていると、改めて三島由紀夫は圧倒的に重要な作家であると感じます。
このような作家がなぜこのような事件を起こしたのか、個人的にも興味は尽きません。
当時の陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地は、現在は防衛省となっています。
三島が演説した建物(現在は市ヶ谷記念館となっているようです)は防衛省の敷地内に現存しているようですが、外からは見えません。
事前に予約すれば見学もできるようです。
余談ですが、自分の母は当時短大生で、親戚の家から関東の短大に通っており、事件当日は渋谷にいたそうです。
家族からこのような話を聞くと、何やら事件が身近に感じられてきます。
さて、市ヶ谷から九段下方面に向かって少し東に歩くと靖国神社があります。
ついでに靖国神社も訪れてきました。
靖国神社南側の大鳥居。
靖国神社は元々は戊辰戦争の戦没者を弔うための施設で、大村益次郎はその創建に関わっている人物なのだとか。
時代を経て靖国神社の意味合いは変わり、現在は第2次大戦の戦没者(戦犯を含む)をも弔う施設となっています。
敷地内はこんな感じ。
写真ではスケールが分かりにくいかもしれませんが、通りの幅は非常に広く、敷地も広いです。
都市の中心にこんなに巨大な神社のスペースがあるのかと驚くぐらいの広さです。
神社の前はこんな感じ。
前回の記事で登場した乃木神社と同様、鳥居前の入退場時に一礼をする人が多く、何やら敬虔な感じで参拝されている方も多いです。
旅行気分でフラフラ訪れるという感じではなく、皆さん真面目に(?)お参りしている感じ。
東京の街を歩いていると、国家神道や皇室に関係する施設や公園などに遭遇します。
以前に明治神宮を訪れたときも少し感じたことですが、東京の神社などの施設は何というか、今風に言うなら「マジガチ感」とでも言うような雰囲気を感じます。
このあたりの施設のマジガチな感じは、三島由紀夫のマジガチな感じとリンクしているようにも思います。
自分は直近に大阪の勝尾寺を訪れましたが、このお寺はお土産物販売に力を入れ、水子供養をやたらと宣伝し、お寺の入口でマイナスイオンの放出が宣伝され(笑)、至る所に派手なダルマ人形が転がっていおり、世俗化・観光地化が進んだ商売っ気丸出しのお寺という印象でした。
同じ神社仏閣でも、東京の神社と大阪のお寺では大きなギャップがあるように感じます。
伝統がある方が敬虔かというとそうではなく、実は歴史的には前者がせいぜい100~150年、後者の方が創建1200年を越えるという差異も面白いです。
ちなみに自分は圧倒的に後者の方を好みますが、これはやはり関西人だからなのかもしれません。
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あと3スポットありますが、長くなりますので分割します。
これまではほぼ歴史的事件ばかりでしたが、次回はまだ多くの人にとって記憶に新しいよう事件も登場します。
というこことで続きます。