丹波を歩く -穴太寺- | れぽれろのブログ

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27日の土曜日、亀岡に遊びに行ってきました。


亀岡市は京都市の西側に位置し、

大阪府北部と京都市に挟まれるように存在する市です。
律令国で言うと旧丹波国の南部に相当。
京都府内では3番目に人口の多い都市で、
京都駅からはJR嵯峨野線で25分くらいです。

 

亀岡の地は平安京以降、都の西側の交通路として重要視された地点。
戦国時代には明智光秀が亀山城を城築し治めていたそうですが、
この亀山城は明治時代に大本教の出口王仁三郎に売却され、
現在も亀山城址は大本教の宣教の中心地となっているようです。
江戸時代に活躍した心学の石田梅岩や京都円山派の開祖円山応挙も

この地が出身、様々な歴史的側面を持つ都市のようです。
山あいを縫って走る保津川(桂川)が観光名所となっており
峡谷を走るトロッコ列車なるものも季節によっては運行しているのだとか。

 

今回の目的は西国三十三所の第二十一番札所、穴太寺(あなおじ)です。
自分はお寺の名前もその読み方も全く知らなかったお寺、
どんなお寺なのでしょうか・・・?

 

JR嵯峨野線は園部方面に向かう電車で、福知山方面に向かう特急も

ここから出発しており、そのまま山陰本線に繋がっているようです。
電車は1時間に3本。
ローカル線なので空いているのかなと思いきや、えらく混雑していました。
新快速の大阪-京都間より混んでいます。外国人観光客がたくさん。
それもそのはず、嵯峨野線は亀岡・園部方面の電車とはいえ、
京都市内の二条・太秦・嵐山と言った観光地を経由しており、
これらの観光スポットへ向かう乗客であふれているということのようです。
案の定嵯峨嵐山を過ぎると乗客はごっそりいなくなり、
電車は保津峡を越え、山越え谷越えて、嵯峨嵐山から3駅で亀岡に到着しました。

 

JR亀岡駅から穴太寺まではバスで10分+徒歩で10分くらいの距離。
バスは1時間に3本走っています。
長らくお寺巡りをしているとバス地獄表(日にバスが数本しかない)に

たびたび遭遇しますが、穴太寺はまだ比較的アクセスが良いお寺のようです。
穴太寺は山の中にあるお寺というパターンではなく、
市街からはやや離れていますが、普通の道路に面したお寺です。
どちらかといえば京都市街にある町中のお寺に近い感じがします。

 

山門はこんな感じ。

山門は普通に府道(406号線)のすぐ前に設置されています。

 

お寺の敷地も狭いです。
京都市街にある六波羅蜜寺や六角堂と同じくらいのスペースでしょうか。
建物なども少ないですが、それなりに見どころはあるようです。

 

穴太寺は8世紀初頭、705年の創建とされています。
開祖は大伴古麿と呼ばれる方。
宗派は天台宗、ご本尊は聖観音菩薩。
ですがこの聖観音菩薩は1968年に盗難に遭い、
現在も行方が分からなくなってしまっているのだとか。
平安時代には観音様が仏師の身代わりになって仏師の命を救ったという
「身代り観音」のお話が今昔物語の中に伝えられているのだそうです。
中世には踊念仏の一遍上人も観音様のお導きにより

穴太寺に立ち寄られたのだとか。
近畿圏の他のお寺と同様、例によって戦国時代に兵火に遭い、

伽藍は荒廃。
現在の本堂その他の建物は近世は18世紀中ごろに

再建されたもののようです。

 

本堂の写真。

こちらが18世紀の建物です。
本堂内も拝観してきました。

 

本堂内部の目玉は「なで仏」です。
自分の体の悪いところをなでるとご利益があり、
その部分が快方に向かうのだとされています。
過去訪れたお寺にもなで仏というのはありましたが、
(中には「なで牛」という牛の形をした彫像もありました)
穴太寺のなで仏は鎌倉時代の作で、ずいぶん古い彫刻のようです。
このなで仏はお釈迦様の涅槃のポーズ
(右側を向いて横たわる)を取っています。
このなで仏の面白いところは、ちゃんとお布団をかぶって
枕を使って寝ていることです。
何やら本当に仏様が眠っているようにみえます。
本堂内には誰もおらず、そんな中お布団を捲って
体に触れるというのは、別に悪いことをしているわけではないのですが、
なんとなく憚られる行為です(笑)。
しかしせっかくの鎌倉彫刻ですので、あちこちペタペタと撫でてきました。
御利益がありますように・・・。

 

山門と本堂の間には多宝塔があります。

これも本堂と同時期の再建で18世紀の建物のようです。
この多宝塔もなかなか良い雰囲気の建物です。

 

立春を過ぎたとはいえ季節はまだ冬、
草木も茂っておらず木もこのとおり。

季節によっては綺麗なお花が咲くのでしょうか・・・?

 

敷地内にある鐘。

 

穴太寺の庭園は京都府の名勝指定を受けているそうですが
庭園前にもこんな張り紙が。

今は入れないようです。
来る日を間違えたようです(笑)。

 


ということで、お寺を後にしました。
行きはバスを利用しましたが、帰りは駅まで歩いて帰ることにします。
よくある地方都市の街並み。
亀岡の街はこの日なぜか小さな虫が多かったです。
まだそれなりに寒い季節なのになぜだろう。

 

観光地恒例のゆるキャラ撮影シリーズ。

これが亀岡のゆるキャラ、明智かめまるくんです。
モデルは亀山城主の明智光秀。
亀の甲羅の兜をかぶり、顔立ちもどことなく亀のよう。
過去の姫路のかんべえくん(黒田官兵衛)、浜松の家康くん(徳川家康)、
大津のおおつ光ルくん(光源氏)に続く、歴史由来のキャラクタ。
過去撮影したキャラクタの中では、かめまるくんが一番可愛げがあります。

 


夕方が近くなると雨が降りそうな雲行きになってきたので、帰ることにします。
亀山城址にも行こうかなと思っていましたが、これはまた次の機会に。


さて、亀岡と言えば保津峡。
JR嵯峨野戦の列車の窓からは、3度ほど峡谷の景観を

見ることのできるタイミングがあります。
しかし見れる時間は短いので、写真は取り損ねました。
保津峡を鑑賞しながら走るトロッコ列車なるものものもあるようですが、
これも3月以降の運行とのこと。訪れる季節を間違えています(笑)。

 

代わりに亀岡ゆかりの画家、円山応挙の保津川図屏風で〆たいと思います。


波の描写がおもしろく、応挙の中でもすごく好きな作品です。
穴太寺の現在の本堂が再建されたのは18世紀中期ですので、
ちょうど応挙の生きた時代に再建された建物なのですね。


西国三十三所、残り十五所。