フェルメールとレンブラント 世界劇場の女性 | れぽれろのブログ

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2016年、明けましておめでとうございます。
本ブログにアクセスして頂いている皆様、
本年もどうぞよろしくお願い致します。

新年1回目の記事は展覧会の感想から。
1月2日の土曜日、京都市美術館にて、
「フェルメールとレンブラント 世界劇場の女性」
と題された展覧会を鑑賞してきました。

昨年の秋は何かとバタバタしており、あまり美術館には行けませんでした。
京都国立博物館の琳派展や、京都国立近代美術館の琳派イメージ展も
行けず仕舞い。
京都市美術館の「フェルメールとレンブラント」も行けなかった展覧会の
1つなのですが、ふと確認するとこの展覧会、まだやっています。
秋の展覧会なのでてっきりもう終わったものと思っていましたが、
会期は昨年10/24から本年1/5日までとのこと。
しかもお正月の2日から開館しているという、
公立の美術館にしては何とも珍しい対応。
これ幸いと、ふらりと京都まで行ってきました。

会期末の京都市美術館ということで混雑を予想していました。
そもそもお正月の京都という時点で既に混雑するもの。
阪急電車も混雑しており、四条河原町も人がうじゃうじゃいます。
高瀬川に沿って北に向かい、三条大橋経由で東に向かってトコトコ、
岡崎公園前も非常に混雑しています。
しかし、群れ成す人々の列は平安神宮の方に向かっており、
京都市美術館の方に向かう人は少なく、
美術館の中は意外なほど空いていました。
平安神宮にお参りに来た方が
「お、なんやフェルメールとかやっとるやないか、ちょっと見て行ったろかい」
とついでに寄っていきそうなものですが、
そういう人は実際は意外と少ないのかもしれません。


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今回は17世紀オランダ絵画の特集です。
16世紀は絶対王政&重商主義のスペインの時代でしたが、
16世紀末以降、スペインは世界史の表舞台からは消えていきます。
代わって17世紀に登場するのがオランダです。
16世紀のオランダ地方はスペイン・ハプスブルク王の領土でしたが、
スペインの弱体に伴い16世紀末にはオランダは独立。
17世紀にスペインに代わっていわゆる「近代世界システム」の
覇権国となったのがオランダです。
オランダの経済的キーマンとなったのは王様ではなく商人たち、
それ故に文化も世俗的・脱宗教的なものに変化していきます。
絵画についても歴史画や宗教画などの伝統的な作品は少なくなり、
代わって登場するのが風景画・静物画・風俗画など。
王様や諸侯のお城に飾るのではなく、
商業従事者の室内に飾るような絵が主流となっていきます。
鑑賞に一定のリテラシーが必要な歴史画・宗教画などよりも、
見てそのまま理解できる風景画・静物画・風俗画が受容される、そんな時代。

本展はメトロポリタン美術館、ロンドンナショナルギャラリー、
アムステルダム国立美術館などの協力の元、
フェルメールとレンブラントを中心とした様々な絵画が展示されていました。
展示の最初の方は伝統的なイタリア由来の歴史画・宗教画の類が
数点並べられていましたが、これは4点に留まり、5作品めからは
当時のオランダらしい世俗的な作品が並んでいました。


最初に登場するのは風景画の数々。
見るだに心地の良い、お部屋に飾るといいなという感じの作品たちが続きます。
お空の画家ライスダールの作品がいい感じ。
そんな中、今回の展示は建築画・海洋画というジャンルが
独立して展示されていました。
建築物の内部を描く建築画、そして海や船を描いた海洋画。
面白いのは海洋画、海&船と言えば19世紀初頭のロマン派画家が好んで
描いたテーマで、彼らが描くのは荒れ狂う海&波にさらわれる船の姿でした。
しかし、17世紀のオランダ画家の場合は部屋に飾ると心地よいような、
なんとも穏やかな海と船の絵画になります。
海戦を描いた作品「ロイヤル・プリンス号の拿捕」でさえ、
パッと見はぜんぜん海戦に見えないような(笑)、穏やかな作品でした。

続いて登場するのが、17世紀オランダ絵画の真骨頂、静物画です。
ワールドワイドで蒐集した数々のものを並べて描く。
果物・貝・エビなどの食べ物、装飾的なコップその他キラキラの食器、
そして食材になる鶏の死体などが並んでいます。
(よく考えると死体を静物と言い切ること自体、なんとも世俗的な感じがします。)
ウィレム・ファン・アールストの「狩りの静物」、鶏の毛並みが心地よい作品です。

そして肖像画。
この時代の肖像画家と言えばなんといってもフランス・ハルスです。
荒い筆致で大胆に描かれた作品は非常に魅力的です。
今回は2作品が展示されていました。
「ひだ襟をつけた男の肖像」は顔面は割と丁寧に描かれていますが、
服装の描写を細かく見ると、荒々しい筆致が見て取れます。
「男の肖像(聖職者)」はやや小ぶりな板絵。
過去に鑑賞した有名な「リュートを弾く道化師」や「笑う少年」と比較すると
今回の作品はやや落ち着いた印象があります。


さて、この次の展示スペースがいよいよ今回の展示のメイン(と思われる)、
フェルメールを中心とした風俗画家のスペースです。
いろんな作家さんが登場しますが、それぞれの作家さんごとの
個性が表れており、面白いです。
ピーテル・デ・ホーホ「女性と召使のいる中庭」は遠近法と画面構成が楽しく、
人物はどちらかというと無個性で、この作品はとくに三角形と斜めの線が
形作るリズムが印象的。
一方でヘラルト・テル・ボルフ(2世)の「好奇心」になると
こちらは画家の関心は人物描写の方に向かっているように見えます。
手紙をのぞき込む女の子の表情がなんとも楽しい。
そして猥雑風刺画家(笑)ヤン・ステーン。
男女間のあれこれを揶揄するような作品を過去にも何度も鑑賞しましたが、
今回の「恋の病」も同じ、胸を強調した服装の女性の脈をとるのは
いかにも好色そうな顔をしたお医者さん。
画面の隅に交尾している犬が描かれるなど、
そのまんますぎて寓意にすらなってない(笑)、楽しい作品です。
「二種類の遊び」も女将にあからさまにセクハラする老人が登場(笑)。
一件似たような風俗画ですが、作家さんそれぞれに個性があり、面白いです。
画面の構成的強度、人物造形、猥雑な風刺、
当時の商人たちがどんな作品を好んで蒐集していたのかが分かり、
各作家さんの間である種の「嗜好の分業体制」のようなものが
できていたのでは、などと考えてみるのも面白いです。

そんな中、別格感を醸し出しているのがやはりフェルメールの
「水差しを持つ女」です。
テーブルクロス・スカート・上着、それぞれの赤・青・黄の色合いが
やたらと心地よく、窓辺の光の描写も素晴らしい、
そしてお椀とグラスに映り込むテーブルクロスと布の描写がまた素敵です。
絵画を鑑賞することの楽しみを存分に味わえるフェルメールの作品、
こうやってみると集客力があるのも頷けます。
ここ数年かなりの頻度で京都でフェルメールを見ていますが、
(自分の中で、何やらフェルメール=京都市美術館という勝手な
印象付けもされてしまっています)その中で今回の
「水差しを持つ女」はかなりお気に入り度が高い作品となりました。


最後のスペースはもう1人の主役:レンブラントを中心とした展示でした。
このスペースの目玉はレンブラントの「ベローナ」。
これは戦いの女神だとかで手にはメデューサの盾を持っています。
いわゆる歴史画(神話画)なのですが、このベローナが全然神様っぽくなく、
女の子は理想化されている感じが全くなく、
その辺にいる女の子みたいに描かれているのが、
レンブラント&17世紀オランダ絵画の面白いところだと思います。
歴史画を描いても世俗画のようになってしまうこの普通っぽい女の子
(どこが戦いの女神やねん、とつっこんでしまうな 笑)が何ともいいですね。
鎧や盾の細部の描写もいい感じです。


17世紀も後半になると近代世界システムの覇権はオランダからイギリスへ
徐々に移っていき、時期を同じくしてオランダ絵画の黄金時代も終わります。
イギリスの幻想的な絵画や風刺画の類も面白いですが、
オランダに匹敵するような著名画家や作品の豊饒さはありません。
なぜ17世紀のオランダとその周辺のみに、このような豊饒な世俗画が
集中して誕生したのかも、自分はあまり詳しくないので、気になるところです。


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ということで、サブタイトルの「世界劇場の女性」の意味こそ不明ですが(笑)
素敵な作品もあり、会期末ギリギリに鑑賞できてよかったです。


せっかくお正月に岡崎公園まで来たのでついでに平安神宮の方にも
向かいましたが、ものすごい大混雑でした。
屋台もたくさん並んでおり、大賑わい。
お参りしようと思いましたが、本殿の前に集まるは夥しい人の群れを見て
拝観は諦めました(笑)。
初詣はやはり家の近所の神社にしよう。

帰りは三条から京阪電車に乗って大阪に帰りました。
この日のはいつもの特急ではなく「急行」なる電車が走っており、
「伏見稲荷」だとか「八幡市」だとか、普段停車しない駅にも止まり、
途中で後続の特急に追いつかれました。
お正月仕様のダイヤなのかな・・・?


ということで、今年もいろんな展覧会を鑑賞したいですね。