水木しげる 想い出など | れぽれろのブログ

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11月30日の月曜日、漫画家の水木しげるさんが亡くなられました。
享年93歳とのこと。
水木しげるさんは「ゲゲゲの鬼太郎」や「悪魔くん」などの妖怪漫画を
たくさん残された方、1922年生まれで戦争末期に南方戦線に出征しており、
そのときに左腕を亡くす経験をされています。
そのこともあって、妖怪の漫画以外にも「総員玉砕せよ」や
「劇画ヒットラー」などの第二次大戦をテーマにした作品も制作されています。
水木しげるさんは自分にとって何かと想い出深い方ですので、
今回は少し自分の幼いころの想い出などををまとめておきたいと思います。
ややマニアックな内容になりますが、ご興味のある方はお読みください。


自分が初めて水木しげるさんの書籍を手に取ったのは
記憶が確かなら5歳か6歳のころ。
小学館から刊行されていた「入門シリーズ」という子供向けの
解説書シリーズの一冊「妖怪なんでも入門」を親に買ってもらい、
幼いころはこれをやたらと読みふけっていました。
ネットで調べると「妖怪なんでも入門」は1974年初版、
自分が読んだのはおそらく1983年か84年なので、
それなりに長いロングセラーであったことが分かります。
今の子供向け書籍がどうなのかはよく分かりませんが、
70年代にはそれなりに真面目な(?)出版社の子供向けの教育入門シリーズでも
普通にUFOだとか宇宙人だとか超能力だとかネッシーだとか忍者だとか、
今から考えると非常に胡散臭い(笑)テーマの子供向け解説書が刊行されており、
80年代にもその傾向は続いていたのでした。
水木しげる編集の「妖怪なんでも入門」はそんな書籍の中の一冊。

この「妖怪なんでも入門」は日本にいるとされる様々な妖怪を
水木しげるさんによるイラスト付きで解説している書籍。
当時の自分は本屋さんでこの本を立ち読みし、そのイラストがやたらと怖く、
怖いもの見たさに何度も本屋さんに通い、そしてついに親にねだって
買ってもらったのでした。
親の反応は「そんなアホな本買いな」といった反応だったように思います。
自分はこの本を覚えるほど何度も読み返し、
今の子供がポケモンの名を覚えるが如く(←これも古いかな)
妖怪たちの名前と姿とその習性を覚えて行ったのでした。
これらの妖怪たちのことは概ね現在でも記憶しています。

自分は当時これらの妖怪が本当にいるのだと思いましたが、
親に尋ねると、「そんなもんおるわけないやないか」という反応でした。
この本の冒頭には「妖怪を知るポイント」のというそれなりに長い解説が
書かれており、それを子供なりに読み下すと、
人間が大自然などを前にした際に「何者か」を感じとってしまい
妖怪というものはその人間の共振能力と想像力が生み出した代物である、
過去の人間は万物との共振能力が高くそれ故に妖怪は存在したが、
科学文明の発達した現在では妖怪は存在しにくくなった、
などと書かれていました。(細部の記憶は曖昧です。)
はて、存在しないのに姿かたちが与えられている・・・?
かつては存在してたものが今は存在しにくくなり自分の親も存在しないと
言っている、でも本には妖怪はいると書かれている、
おるのかおらんのか、どっちやねん・・・。

自分は今でも文科系的な概念的・抽象的・非具体的な思考をする書籍、
哲学・宗教・美学的なことに関心が強いですが、
そのきっかけを遡っていくと、おそらくこの「妖怪」なるものに行きつきます。
「いないのに、いる」ということをどのように理解すればよいのか・・・。
今にして思えば、人文知への関心のとっかかりがこの妖怪たちだったのだと、
振り返って思います。
そういう意味では、水木しげるさんの「妖怪なんでも入門」は、
大げさかもしれませんが、自分のその後の生育過程に重要な影響を
与えた本であったのだと、
今から考えて思います。
この「妖怪なんでも入門」の末尾には妖怪関連地図と妖怪関連年表なるものも
記載されており、自分はこの妖怪関連地図で日本の都道府県の
位置関係を覚え、
この妖怪関連年表で日本の時代区分
(平安時代だとか江戸時代だとか)を覚えました。
そしてそのあと、学習まんが「日本の歴史」シリーズを買い求めるに至るまでに
さほど時間はかかりませんでした。

その後、「妖怪なんでも入門」と同シリーズの「妖怪世界編入門」や
「世界の妖怪100話」など、いくつかの本を買って読みましたが、
残念ながらこれらの本は
高校生に上がる際にすべて廃棄してしまいました。
今から考えると、残しておけばよかったなと思います。


漫画作品について。
自分が小学2年生のころ(1985年)に「ゲゲゲの鬼太郎」が何度目かの
アニメ化がなされ、このアニメも自分は毎週見ていました。
確か土曜日の夜6時半スタート。
悪い妖怪を退治する、正義の味方鬼太郎のアニメ作品です。
このアニメをきっかけにして何度目かの鬼太郎ブームが起こり、
その際に60年代の漫画「ゲゲゲの鬼太郎」の単行本も復刊され、
自分はこれらの本も買い求めていました。
この60年代の「ゲゲゲの鬼太郎」は80年代の子供向けの漫画の作風とは
明らかに異なり、物凄く緻密に描きこまれた大自然の背景を前にして、
適当に描かれたような(笑)マンガチックな鬼太郎、ねずみ男、眼鏡出っ歯、
その他の妖怪たちがちょこんと描かれるという、
そんなギャップがすごく印象に残っています。

作品内に登場する言葉の中にも
「共産主義者の謀略だ」
「選挙はどっちつかずの民社党」
「妖怪退治のために米軍が小型原爆を提供する」
だとか、子供ながらに「何やこれ?」というものも含まれていました。
毛沢東語録を携帯した中国の妖怪がソ連の妖怪といがみ合うだとか、
小笠原諸島の主権を巡って日米の妖怪が戦争するだとか、
ある妖怪を追っていくと第二次大戦の南方戦線で戦死した兵隊に行きつくだとか、
母子家庭の妖怪は生活保護受給のためテレビも持てないだとか、
その後の自分の歴史的・社会的なものに対する関心を引き立てるのに十分な
設定を持った作品であったりもしました。

中でも印象に残ったのが「鬼太郎夜話」のシリーズ、
このシリーズでは鬼太郎が悪い妖怪を退治するといったようなヒーローもの
少年漫画の体ではなく、
人間の小学校に通う妖怪鬼太郎の日常を描いた作品で、
正義の味方のはずの鬼太郎が小学校1年生で普通にタバコ吸っており
(確かピースを吸っていました)
ネズミが入ったお弁当を鬼太郎が学校に持っていって食べていたりだとか、
これまた「何やこれ?」というような作品。
人間が生きたまま木になったり、生きたまま地獄に送られたりといった
恐ろしいエピソードもあれば、鬼太郎が失恋して自殺しようとしたり、
金融王(森脇将光のパロディ)の依頼で鬼太郎が借金の取り立てに協力したり、
ねずみ男が口にチャックのついたガマ女(笑)に恋したりだとか、
とにかく物語は行き当たりばったり。
各登場人物に一貫した主体性もなく、鬼太郎も恐ろしいことの被害者に
なったかと思うと、また別の作中人物を恐ろしい目に合わせたり、
鬼太郎が純粋な子供に見えたと思えば、
別のシーンではとんでもない俗物になっていたり、
とにかく物語の点でも人物造形の点でも完全に破綻しているのですが、
そのくせ物語的な強度だけはやたらと強いという、ものすごく変な作品でした。
その後、鬼太郎の漫画単行本もすべて捨ててしまったのですが
この「鬼太郎夜話」だけはやたらと印象深く、大人になってからちくま文庫で
復刊された際に買って読み直した記憶がありますので、
「鬼太郎夜話」は
現在でもおそらくは我が家のクローゼットの奥の奥に収納されています。


水木しげるさんは妖怪のイラストに江戸時代の絵師:鳥山石燕の作品を
元絵として採用していることが多いのですが、それだけではなく、
様々な絵画作品や写真作品を漫画やイラストに引用しています。
自分はその後美術ファンになるのですが、
アンソールの「燻製にしんを奪い合う骸骨たち」だとか、
ルドンの版画集「起源」の中の一作だとか、
内藤正敏の写真連作「キメラ」より「淀橋浄水場破壊現場」などを見ると
おおっ、水木さんはここから引用されてるなと気づき、
何やら嬉しくなったりもしました。
最近でも本屋さんで「日本の民俗 祭りと芸能」(芳賀日出男、角川ソフィア文庫)の
表紙の写真を見て「おおっ、畑怨霊の元絵やん!」と思ったりだとか、
こういう経験も継続的にあったりするのです。

その他、ザ・ハイロウズの楽曲に「つき指」という曲があるのですが、
この歌詞から水木さんを想像された方もおられるのではないでしょうか。
"つき指をすれば痛い"が、"昭和十八年ラバウル"に出征後"マラリア"を発症し、
爆撃による腕切断を経験した水木しげるに比べればつき指など
"痛いけど死ぬほどじゃない"と、
この歌詞はなんとなくそういう風にも読めてしまいます。


ここ数年の間に米子や松江に遊びに行きましたが、
そういえば境港(水木さんが育った場所)には行ってないので、
行ってみたいなと思ったり、何かと書きたいことは尽きませんが、この辺で。

改めて水木しげるさんのご冥福をお祈り致します。