金井勝の世界 | れぽれろのブログ

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11月7日~8日の2日間、国立国際美術館にて半年に一度開催される
中之島映像劇場に行ってきました。
中之島映像劇場は今回で第10回、自分は第2,4,5,6,8回を鑑賞しており、
今回で6度目の鑑賞となります。

中之島映像劇場は毎回違ったパターンの映像作品を上映してくれます。
今回もまた今までの作家さんの作品とはかなり異なった種類の作品でした。
今回取り上げられるのは日本の映像作家、金井勝(かない・かつ)さんの作品で、
60年代後半~70年代初頭の「微笑う銀河系三部作」と呼ばれる3作品、
及び金井さんがカメラマンとして参加した1作品が、2日に渡り上映されました。
「微笑う銀河系三部作」は60~70年ごろのアングラ映画といった感じの作品で、
3作が3作ともそれぞれ全く異なった視点で制作されており、
それぞれに面白い作品でした。
当日は金井さんご自身も会場に来られており、
作品に関わるトークも披露して下さいました。

ということで、以下に各作品の覚書及び感想などをまとめておきます。
ご興味のある方はお読みください。


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まずは「微笑う銀河系三部作」の内容と感想から。
いずれもシュルレアリスム的な作品と言えるのではないかと思いますが、
それぞれの作品は全く異なるアプローチで製作されているように感じました。


・無人列島  (1969年、55分)

7日の土曜日に上映された作品。
3部作の中でもシュルレアリスム的な雰囲気がとくに強く、
暴力的・性的イメージに溢れる悪夢的な映像作品ですが、
作品の至る所に戦後日本の歴史がコード化されており、
非常に社会的な作品であるようにも読み解けます。

主人公はヒデクニ(日出国)という青年。
彼は尼僧たちに捉えられ修道院にて罪状を述べ立てられ、
尼僧から鞭打ちの罰を受けます。
鞭打たれたヒデクニの腫れあがった背中からは子供が誕生し、
その子供はヒデクニの背に取り着いたままシャム双生児のような形で
あっと言う間に成長して行きます。
ヒデクニは口論の末背中の子を刺殺し、
「新聞紙で世界を埋め尽くそうとする男」の家に入り込み彼の妻をレイプ、
その妻の胎内からは5人の男が誕生し、その男たちとヒデクニは
国会議事堂前で乱闘を繰り広げます。
ヒデクニは勝利しますが、再び尼僧が登場し、
切腹の白装束を着せられたヒデクニは、舞台上で観客に見守られながら、
ロックミュージックの轟音の中、尼僧に刺殺されます。

ヒデクニ(日出国)は日本そのもの。
尼僧たちはアメリカを中心とする連合国、修道院内の法廷劇は東京裁判、
ヒデクニと背中の子の列車内での討論
「どうしてお前は東を向かず西を向いているのか」のセリフはやはり
サンフランシスコ講和条約(アメリカとの単独講和)後の日本立ち位置とリンクし、
国会前の戦いは60年安保を思わせます。
尼僧と村人のマシンガンの撃ち合いは東西冷戦に伴う局地戦、
(この死体のおこぼれ=朝鮮特需でヒデクニの子は成長)、
新聞紙の男は西側資本主義社会の寓意でしょうか。
新聞男の妻の、「君が代」の流れる中での出産(=国生み)にて誕生する5人は
日本列島4島と沖縄で、末っ子だけ取り残されるのは沖縄の運命を表している、
というのは考えすぎでしょうか・・・?
最終的に「調子に乗りすぎた」ヒデクニ(日本)は尼僧(アメリカ)に刺されますが、
これはその後の歴史(プラザ合意からTPPに至る経済的制裁の歴史)を
予見しているようで、何やら興味深いですね。

悪夢的な映像の中には他にも様々なコードが隠れているようにもみえ
(ヒデクニの子が朗読する童話「鼠の嫁入り」が示唆する円環構造も興味深い)
映像を楽しみつつ歴史を考えることのできる興味深い作品でした。
映像の中にときどきボッシュやブリューゲルが描くモンスターたちが
瞬間的に登場するのも、美術ファンとしては楽しかったです。


・GOOD-BYE  (1971年、52分)

8日の日曜日に上映された作品。
71年の発表ですが、制作されたのは70年とのことです。
この作品もやはりシュルレアリスム風ですが、
こちらは明け方の夢のイメージが非常に強く感じられる面白い作品でした。
この作品は1970年の戒厳令下の韓国で撮影されたとのことで、
このような映像自体が当時としては非常に珍しいようです。

主人公は人前で上手く言葉を発せない青年。
彼はラーメンをうまく注文できず何度もラーメン屋に通います。
その道中に出会う女性と何度もすれ違ううちに、
青年はこの女性が自身の先生か叔母か母であることを思い出し、
浜辺でこの女性に無理やりセックスさせられた次の瞬間、
青年は韓国の浜辺に瞬間移動します。
韓国にて青年は自らを撮影するカメラに気づき、突如登場する金井監督と
話すうちに、
自らが虚構内の存在であることに気づき、
「Good-Bye」と宣言して作品外へと逃走。
しかし作品は終わらず、再び登場する青年の母・・・を演じる松井康子と
セックスしたその瞬間、またしても浜辺で目覚め、世界は終わらない・・・。
作品は父を探す金井監督の視点に移動、
父を探しながら韓国の街をうろつくうちに突発的に画面が切り替わり
「映画など撮らずに革命を志せ」と叱責されながら監督は同性に強姦され、
黒い下着姿のサド女に痛めつけられ、
李舜臣の像を背にしてイルボン(日本)と対峙しながら終了。

この作品、ものすごく明け方の夢っぽく感じました。
作品冒頭で流れるラジオ体操のテーマ、ラーメン屋内で流れる
ラジオ体操第1の音楽は、朝の6時30分の夢うつつの状態を連想させます。
何かをしようとしてもできない(言葉を発しようとしても発せない)というのも夢的。
浜辺の女性はユングのアーキタイプで言うアニマかグレートマザーで、
こういう女性とセックスするのも男性の明け方の夢ではよくある(?)パターン。
金井監督はアーキタイプのシャドーとして機能しているようにもみえ、
青年が作品から出ようとしても出られない構造は
起きたと思っても実はまだ夢の中という、これまた夢によくある感覚に似ます。
作品のラストの目まぐるしいイメージの移り変わりも、
唐突にいろんな荒唐無稽なイメージが連続した直後に目が覚め、
起きた瞬間「変な夢やったなあ」と思い出すあの雰囲気に近いように感じます。

自分は今回の3作品のうち、一番面白くてもう一度見てみたいと思ったのが
この「Good-Bye」です。
「無人列島」のような作りこまれた映像も面白いですが、
1970年の韓国の町中をカメラが移動するという珍しい映像、
偶然の要素が強い映像も面白く、今回の鑑賞ではプロットを追うのに集中して
画面の細部を観察できなかったので、
機会があればもう一度見てみたいですね。

金井さんのお話によると、作品の発表当時の日本では「無人列島」よりも
この「Good-Bye」の方が評判が良かったらしいです。
確かにこういう「虚構」を意識したメタ的な構造を持つような作品は
当時の日本の批評家に受けそうな気がします。
逆に「無人列島」は日本人の痛いところを付かれるような作品なので
なんとなく日本では嫌われそうな気もしますね。
(「無人列島」は海外での方が評判が良かったのだとか。)

あと、印象的なのが何度か繰り返される飴売りの歌。
 和歌山有田のみかん入り♪
 青森県ならりんご入り♪
 朝鮮高麗人参入り♪
  ※うろ覚えです 笑。
これの詳細が何やら気になって仕方ありません 笑。


・王国  (1973年、84分)

8日の日曜日に上映された作品。
ある青年の日常の描写からスタートしますが、作品はどんどん壮大になり、
生物-時間-神-宇宙と、とてつもないスケールに作品の視点は
移動していきます。

主人公は五九(ごく)という名の青年。
彼はあるきっかけからスリ集団と知り合い、
そのスリ集団は「時間をスる」ことを目的としていることを知ります。
五九自身もこの集団に参加、日々スリや痴漢に(なぜか)励みますが、
そんな中、鳥類、中でも渡り鳥の本能的な性質に
時間との関わりがあることに気づいて行きます。
スリ集団たちは川辺で時間についての議論を深めていきますが、
確信に触れようとするその瞬間、時の神クロノスの逆鱗に触れ、
火が放たれ全員が焼死してしまいます。
そんな中、五九は様々な鳥類を集めて飼い、鳥たちを観察するうちに
その中の一羽の鳥の肛門の中に入り込むことに成功、
時空を越えてガラパゴス島に辿り着きます。
画面はモノクロからカラーに切り替わり、
ゾウガメと陶酔的(性的)に戯れる五九の身体は白色を経て緑色に変化し、
五九の背中には鳥の尾脂腺が現れ、動物化していきます。
そして地中から登場する時の神クロノス。
五九はクロノスに勝利、自らがクロノスにとって代わり、宇宙に浮かぶ
無数の顔面(この中には金井監督の顔も)のひとつとなったところで終了。

日常から徐々に壮大な世界に移動していき、
最終的に神やら宇宙やらに至るという構造は、
現在でいうセカイ系的なお話ですが、当時としては斬新だったようです。
途中、五九を電車から引きずり下ろし黒い下着姿になる女性は
「GOOD-BYE」のラストシーンに登場する女性と同じ人で、
時間を議論するメンバーの1人(「ホホイホイ」と歌いながら歩く)は
「無人列島」の国生みで誕生する男たちの末っ子と同じ人、
これは過去作品とのつながりを意味するのか、
それとも単なるファンサービスなのか・・・?
かなり荒唐無稽な作品で、ちょっと理解しにくいコードもありましたが、
スケールが大きく衝撃的で面白い作品でした。


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もう1作品、金井さんがカメラマンとして参加した作品について。


・ヒロシマ1966  (1966年、78分)

7日の土曜日に上映された作品。
こちらは金井作品のような前衛的な作品ではなく、
比較的分かりやすい社会派ドラマでした。

広島の原爆資料館の前で土産物を売る被爆者の母と
高校卒業間近で就職活動中の娘が登場。
娘の父は戦後まもなく原爆病で死亡、母は娘が亡き夫と同じ大企業に
就職することを望みに生きています。
しかし娘は母子家庭であるという理由だけで大企業への就職に失敗、
娘はめげずに明るく振舞いますが、母は生きがいをなくし投げやりに
なってしまいます。
仕事をしなくなった母の代わりに娘は健気にも屋台を引継ぎ、
別の町工場に就職しようとし、前向きに生きようと励みます。
そんな頑張る娘を前にして、母もだんだん自分を取り戻していく、
といったところがメインストーリー。

作品内にはときどき原爆資料館の被爆者の写真が
脳内にフラッシュバックするかのように映し出され、
戦後20年の日本で原爆というものが怨念のようにとりついており
原爆に由来する不幸な構造が社会に残存していることが印象付けられます。
物語終盤、母と娘が自転車で走るシーンがとりわけ印象的。
ラストシーン、ベトナム北爆を伝える電光掲示板をバックに
娘が屋台を引くシーンもいい映像です。

一方、このメインストーリーと全く別の、
佐世保と広島で遠距離恋愛する男女のサブストーリーが時々
挿入されるところがこの映画のもう一つ面白いところです。
佐世保の男(演じるのは加藤剛)は60年安保に参加し挫折した経験を持ちます。
このサブストーリーは、別の映画ではないかというくらい
メインストーリーとはセリフ回しや映像の雰囲気が異なります。
サブストーリーはラストで少しだけメインストーリーと関わりますが、
この関わり方も含め、何やらその後の時代によくあるマルチスレッド式映画の
走りのようで、このあたりも興味深いです。

戦後20年を巡る社会派ドラマということで、「無人列島」にも通じる内容、
7日の土曜日はこの作品と「無人列島」が続けて上映され、
興味深く鑑賞しました。


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ということで、中之島映像劇場、今回も楽しく鑑賞しました。
次回はどんな作品が上映されるのでしょうか・・・?


<関連リンク>

・ジョナス・メカス カメラ、行為、映画 (第8回中之島映像劇場)
http://ameblo.jp/0-leporello/entry-11941811682.html

・ビル・ヴィオラ初期映像作品集 心の旅路 (第6回中之島映像劇場)
http://ameblo.jp/0-leporello/entry-11641150272.html

・浪花の映像(キネマ)の物語 (第5回中之島映像劇場)
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・限定と豊饒-マイケル・スノウの実験映像- (第4回中之島映像劇場)
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