読書記録 2015年(3) | れぽれろのブログ

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美術、音楽、本、日常のことなどを思いつくままに・・・。

最近読んだ本についての覚書き。
「読書メーター」への投稿内容とコメントです。


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■復興期の精神/花田清輝 (講談社文芸文庫)

<内容・感想> ※読書メーターより
歴史上の作家・哲学者・科学者・宗教家・画家などの人物を軸に、
様々な事象について自由自在に考察されたエッセイ。
独特の文章は内容もさることながら文体が非常に魅力的です。
タイトルは復興期となっていますが、考察はルネサンス期のみではなく
多岐に及びます。
レオナルドとマキャヴェッリ、ゴッホとゴーギャン、ルターとレオ10世、
ウェーバーとブレンターノなど、相異なる人物を対比した考察がとりわけ印象的。
そしてコペルニクスの静かな闘争は著者自身の戦時下での闘争を思わせます。
各人物の著作を読みたくなる、読書の幅が広がる一冊。

<コメント>
作家花田清輝により戦時下に記されたエッセイ。
著述は戦時下ですが、刊行は戦後とのことです。
考察対象となる人物は、
ダンテ/レオナルド/マキャベリ/コペルニクス/ジョット/ゴッホ/ゴーギャン/
コロンブス/ポー/ガロア/スウィフト/ルター/アンデルセン/カルヴィン/スピノザ/
セルバンテス/ソフォクレス/ルイ11世/ヴィアン/ゲーテ/アリストフォネス
これらは各章のタイトルに登場する人物を並べたのみですが、
この他にも例えばポーの項にはアインシュタインが、
ルターの項にはレオ10世が、
カルヴィンの項にはウェーバーやブロンターノが登場します。
この本は単なる伝記や思想内容の紹介には非ず。
各人物の思想内容や業績や特徴から自由自在に想像力を広げ、
別の人物との関連性などの考察を織り交ぜながら、
著者自身の自由な思想が発露された文章となっています。

とりわけ印象的なのがコペルニクスに対する論考です。
コペルニクスは天動説主流の時代に地動説を唱え、
決して闘争的ではなく静かに自己の理論を証明した人物です。
著者の戦時下の行動も同じ、検閲や発禁、あるいは共産主義者の弾圧に
見られるような当局の監視に対し、静かな抵抗を示したかのようにみえる
この著者の文章が、コペルニクスの論考と重なります。
現在は戦時下ほどではありませんが、とくに2012年12月に発足した政権以降、
大手メディアは言うなれば半検閲状態にあると言って良い状態であると思います。
静かな闘争は、このような現在のメディア環境においてこそ重要です。

そして世界は「見る立場」によりその構造は異なり、
絶対的な基準はなくあらゆることは相対化可能という前提もこれまた重要です。
従来の天動説とコペルニクスの地動説、概念的にはどちらが間違っていると
いうことでもなく、
相対的には原点が太陽にあるか地球にあるかという違いが
あるのみです。
スウィフトの「ガリバー旅行記」は、極大と極小、知性と本能など、
主人公は対称的な概念を持つ別々の国を訪れますが、
これらの差異は結局は鑑賞者の視点による差異に帰結します。
アインシュタインの理論は、時間ですら絶対的なものではなく、
どのような運動状態であるかにより時間の見え方は変わってくるとされます。
あらゆることに絶対的な基準がない中、
我々の社会はあえて何を基準とするかを決める必要があります。
その基準の決定には誠実な視座の確保と歴史の参照が必須だと思いますが、
それ故にこのような本の論考はある視座の確保のための参照点として、
重要であると考えます。

人物と思想については、いくつかの対比が印象深いです。
例を挙げてみると、
ゴッホとゴーギャン
  ・ゴッホ-前時代的-ヒューマニズム的-生
  ・ゴーギャン-同時代的-諦念的-死
ルターとレオ10世
  ・ルター-プロテスタント-後進的ドイツ-経済的被搾取-俗物的
  ・レオ10世-カトリック-先進的イタリア-経済的搾取-人文的
マックス・ウェーバーとブロンターノ
  ・ウェーバー-カルヴィニズム研究-職分精神の肯定
     -労働組合的なるものへの無関心
  ・ブレンターノ-マキャヴェリズム研究-営利精神の肯定
     -労働組合的なるものの肯定
このあたりの「なぜこんな結論に」というような内容が面白いです。

その他、復興期の重要な2要素、
  ・ルネサンス-ギリシア-生-肉体
  ・主教改革-キリスト-死-精神
これらが互いに折衷したのが近代であるこということ、
アンデルセンに孤独とエゴイズムを見るなど、
面白い論考がたくさんあります。
「ガリバー旅行記」はきっちりと全編を読んだことがないので、
ちゃんと読んでみたくなりました。


■中世的世界の形成/石母田正 (岩波文庫)

<内容・感想> ※読書メーターより
古代末期から中世にかけての伊賀国黒田庄の土地・人民支配の歴史を
詳述した本。
中世的権力としての領主・武士団・悪党などが時代ごとに現れ、
古代的権力である東大寺と随時対立しますが、ことごとく中世的権力が
敗北していく歴史を捉えつつ、
中世の終焉と共に最終的に東大寺も
権力基盤を喪失していく様子が描かれています。
古代から中世へ、都市集権から農村分権へ、慣習的支配から法的支配へ、
南都系の旧仏教から浄土教へ、徐々に移行していった様子が分かり、
「貞永式目」「平家物語」「歎異抄」を中世の代表的著作物としているのも
印象的です。

<コメント>
古代律令制度が一応の規律を保っていた時代が終わった後、
11~16世紀にかけて土地と人民が経済的権力とどのように関わってきたかを
東大寺に残された伊賀国黒田庄の文献を読み解き詳述した本です。
登場人物は4人。
まずは古代南都の時代からの宗教的権力基盤である東大寺。
そしてこれに対抗するのが、古代末期の開発領主:藤原実遠、
中世の武士団:源俊方、そして中世混乱期の暴力集団:黒田悪党の3者です。
それぞれ東大寺と対立する勢力は最終的に東大寺に屈することになりますが、
東大寺の基盤も徐々に崩れ、最終的に近世幕藩体制により東大寺も
権力基盤を失います。
古代的なもの(南都の宗教的都市権力が集権的に農村から収奪する)から
中世的なもの(地方の分権的権力が法的正当性の主張や暴力装置を以て
農村を分割統治する)へはある時代区分から急に切り替わったのではなく、
グラデーション的に徐々に移行し、
そして古代権力の完全なる終焉と同時に
中世も終焉を迎え、
近世が始まるという事実がよく分かります。

この書籍も上記の「復興期の精神」と同様戦時下において書かれ
戦後に刊行されたものとのこと。
なので、花田清輝と同様、この本にも「静かなコペルニクス的闘争」の
あとが見られ、東大寺や武士による農村統治のまずさから黒田悪党のような
暴力部隊が発生してしまったことなど、
戦時下の統治主体の過ちと重ねて
読んでしまいます。
古代-中世-近世などの時代区分にやたらとこだわるのもおそらくは
時代的なもので、マルクス主義の発展段階説に基づいた時代区分の定義に
パワーを割くのは、
宮崎市定などのこの時代の著作にも共通しています。
こういった時代区分の定義よりも、時代にそぐわぬ復古的政策を取ったり
統治責任を放棄したりすることが世の乱れにつながるという事実をこの本から
読み取る方が普遍的で建設的であり、現代にも通じる視点であると考えます。

第4章の第2節「中世的世界」において、平安時代から鎌倉時代への変遷を
かなり俯瞰的に詳述している部分がとくに面白いです。
このあたり、研究書としては資料的分析をやや逸脱した「筆が滑った」記述に
なっているとも言えるのかもしれませんが、一読書人としてはこのあたりが
最も面白いです。


■昭和陸軍全史1 満州事変/川田稔 (講談社現代新書)

<内容・感想> ※読書メーターより
昭和陸軍のルーツ、及び満州事変を巡る陸軍と内閣の動きを纏めた一冊。
永田鉄山を中心とした一夕会グループが昭和陸軍のルーツであること、
満州事変は世界恐慌由来の関東軍の暴走ではなく恐慌以前から検討されて
いたこと、事変勃発後関東軍に対し一夕会系の強力なバックアップがあったこと、
若槻内閣の倒閣により国際協調派の宇垣系グループが一掃され一夕会系が
主流となったこと、そして永田鉄山の総力戦構想や
石原莞爾の世界最終戦構想の詳細などが纏められています。
事変発生に際し若槻礼次郎らがかなり戦略的に立ち回っていたことも
印象的です。

<コメント>
昭和陸軍の全史、全3巻のうちの第1巻とのことです。

著者の川田稔さんは以前に中公新書で
「昭和陸軍の軌跡-永田鉄山の構想とその分岐」という本を出されており
この本は自分も読んだことがあります。
旧日本陸軍は、大正~昭和初期の長州閥系・宇垣一成系グループから
永田鉄山を中心とするいわゆる「昭和陸軍」に基盤が移り変わります。
この本は、石原莞爾、武藤章、田中新一といった、満州事変、日中戦争、
太平洋戦争に大きく関わった人物たちを中心に、昭和陸軍の動きを纏めた
一冊でした。
今回講談社現代新書で出版されるこの「昭和陸軍全史」のシリーズは
上記の「昭和陸軍の軌跡」をさらに全3巻で詳述しようという企画のようです。

現在、国際的にも日本はいわゆる東京裁判史観を踏襲し、悪かったのは
軍部と一部の指導者で、天皇と国民は免罪されたという構造になっています。
しかし当然ですが物事はそう単純な話ではなく、軍部に問題があったにせよ、
なぜ陸軍があのような暴走を続けたのか、
なぜ内閣が陸軍の暴走を
阻止することができなかったのかということは
詳細に分析されるべき事実で、
この本はその背景にまで遡り分析している著作であると
位置づけることができると思います。

第1巻は昭和陸軍のルーツと、満州事変が勃発した1931年前後の
陸軍及び内閣の動きが纏められています。
第一次世界大戦において戦争は国家経済と国民を総動員する総力戦となります。
この総力戦時代の対処方法を巡って、大きな2つの対立軸があったとされます。
一つは国際連盟の機能を重視し、国際協調により総力戦を回避しようという
考え方。
当時の主要な政党政治家、若槻礼次郎や幣原喜重郎らはこの考え方で、
当時の陸軍上層部、宇垣一成や南次郎らの宇垣系グループもこのような
考え方です。
これに対し、総力戦は不可避であり欧米と戦争することを前提に国内整備・
対外政策を進めるべきだとという考え方が、永田鉄山や石原莞爾らを中心とした
陸軍中堅層の考え方です。

陸軍中堅層は主として総力戦への準備に向けた資源確保の観点から、
満州を日本領あるいは属国とするため満州事変を勃発させます。
満州事変の中心となったのは当時関東軍の参峰であった石原莞爾ですが、
事変は突然石原らの意志によって始められたわけではなく、
陸軍中堅層によって前々からアウトラインは構想されていたとのことで、
事変後も陸軍中堅層は関東軍を強烈にバックアップします。
時の首相若槻礼次郎は事変の勃発に対し何もできずオロオロしていたなどとも
言われますが、この本によるとそれなりに戦略的に立ち回っており、
日本が事変勃発により国際的な非難の的となることを何とか回避しながら
関東軍の暴走を制止し妥当な落としどころを見つけようとしていく様子が
詳述されています。

若槻内閣は1931年末に瓦解しますが、この背景には内相安達謙蔵の
離反があったとされます。
当時の事変への対処としては挙国一致的に若槻内閣をサポートしていくという
考え方が主流であったようですが、この安達謙蔵の行動(陸軍中堅層の
関わりも示唆されている)により内閣は総辞職、
この時に南次郎らの
宇垣系グループは一掃され、昭和陸軍がいよいよ台頭することになります。
この後組閣した政友会の犬養毅は若槻のような調整型リーダーではなく、
自己の意志を貫徹するタイプの政治家でしたので軍部との折り合いは悪く、
結局515事件により政党内閣は終焉を迎えます。
このあたり、動乱期のリーダーの資質とは何なのかということを
考えてみるのも興味深いです。

また、当時は統帥権が独立しており、関東軍は内閣の指揮下になく、
シビリアンコントロールが不十分であったことは当然事変勃発の原因には
なりましたが、
内閣の承認がないと予算も付かず追加師団の派遣もできないため
事変後の経過においてはやはり内閣との関わりが重要、故に問題は統帥権の
独立だけではなく、軍部大臣が現役または退役の武官のみで構成する必要が
あるという
当時の内閣制度の問題(陸軍大臣が「辞職する」と脅しをかけて
内閣を揺さぶる)も大きいです。
また、宮中との関わりも重要で、元老西園寺公望をはじめ、
最終的には天皇を免責することに最大の力点があったことも、
問題解決に支障を来たす要因になっています。
やはり問題は明治憲法体制の構造的問題に帰結するということは
重要なことだと考えます。

この本の最後には永田鉄山の永田鉄山の構想も纏められており、
石原莞爾の理論はやや飛躍的で唐突な感じですが、
永田鉄山の総力戦体制の構築については
理論面だけを見るとそれなりに妥当な考え方であることが分かります。
彼らの最大の問題は歴史に対する想像力の欠如、
「歴史を舐めている」ことにあると自分は考えます。
30年代中期に永田鉄山は部下により殺害され、
石原莞爾は政争に負けて失脚します。
自らの理論の正当性と実行可能性は、自らの目の黒いうちは戦略的に
推し進めていくことが可能ですが、自ら亡きあとその理論がどのような帰結を
もたらすのか、
革新的な政治的決定をする人間はこのことを考慮することが
非常に重要です。
彼ら亡き後の歴史のアイロニーがどのように進展して行くのか、
2,3巻を読むのが楽しみです。